8 屏風岩

 瞼の薄い瞳は金色、嘴のように尖った口。その上に二つ小さな穴がある。鼻のようだ。どちらかといえば鳥に近い顔だった。

 これが、天狗?イメージとは大分違う。赤ら顔に長い鼻なんていうあのお決まりの顔かたちではなかった。


 大きな体格の山伏装束はそれだけで圧倒される。そこには何の表情も読み取れないから、何を考えているのかわからない恐怖があった。

 以前、白く見えていた翼は今は黒い。それも黒々として濡れたような艶があり、なぜか美しいとさえ思えた。


 わたしはいつでも逃げられるように目だけで周囲を確認した。でも何かあったら逃げられるのか、こんなに自由自在に現れる者から。

 あれこれ考えながら身構えるわたしに、その声は意外と穏やかだった。


「気をつけるがいい。立烏帽子の系譜の者よ。

 いずれ、大嶽丸おおたけまるはお前たちを探し出すだろう。

 その前に、あやつが、間に合えばよいがな。」

 まるで意味不明だった。

 鬼がわたしたちを探している?高橋さんが鬼を探しているのではないのか。


「な、なんのこと、ですか?その、たち、えぼし?って、・・・

 それは、そうと、あの、あなたは、高橋、一さん、ですか?」

 勇気を振り絞って声に出してみた。一番訊ねたかったことだ。


「ふーん、あやつは、人であったとき、そう呼ばれていたのか。

 もっとも、人であったときの記憶なんぞ、もうすぐ消えてなくなるだろうがな。

 あやつはただもう、大嶽丸と闘うことにのみ、執着しておる。

 それが終わった後、はて何が待っておるのか。

 

 よいか、警告はしたぞ。わが主の命だからな。

 あやつが間に合うとは限らん。

 自分の身は自分で守ることだな。」

 まるで独り言のようにそういったかと思うと、金色の瞳がギラリと光った。もうそれだけで身動きできなくなる。背筋を冷たいものがまた流れていった。

 そして、そのまま霧のようにふっと消えていった。

 

 途端に力が抜けてわたしはそのまま座り込んでしまった。

 すぐ後ろでおばあちゃんたちの声がする。 

「うわあーすごい、これは、もう壁、というか、崖だわね。」

「実際に見るとやはり壮観だ。」

 振り向いた先には、切り立った崖に沿って片側に大岩の壁面と、隣の山々の尾根が広がっていた。新緑の樹々が眩しかった。


「明日香、どうしたの、疲、れた・・・?」

「お、おばあ、ちゃん・・・いま、そこに、・・」

 座り込んでいるわたしの顔をのぞいて、何かを察したようだ。

「なにか、あったの?真っ青、」「大丈夫ですか」

 直樹さんもわたしの顔色に気付いたようだ。


 遭遇したのはほんのわずかな時間だったが、別の世界、別の場所だった。

 怖いことは起きなかったのに身体が震えて、なかなか立ち上がることができなかった。

 わたしたちの傍を通り過ぎ来ていく人々は、みんな顔をしかめている。通行の邪魔になっていた。少しずつ脇に移動して、わたしはあの異形の人の言葉をふたりに告げた。


「立烏帽子の系譜?」「大嶽丸が、探している?」

「高橋さんが、大嶽丸と、闘う?」

「もうすぐ人としての記憶が、消えて、なくなる・・・」

「それに自分の身は、自分で守れって、どういうこと?」

 わたしたちの話している異様なことに気付く人は誰もいなかった。


 屏風岩が壁のようにそそり立つこの辺りは、わたしには何か得体のしれない者が行き来している場所、別の世界へつながる場所のように思えた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る