7 異形の人
「鬼と聞いてどんなイメージを持ってますか?」と彼はいった。
「頭に角、口には牙、体が赤かったり青だったり、それで、トラ皮のパンツをはいてる、かな?でも・・・」
思い浮かぶのは、小さい頃見た絵本。どれもそういう風だった。
でも今、漫画やアニメの鬼は様々な姿かたちの、恐ろしげな技で人を襲うものばかり。あとは、ちょっとコミカルな地獄の獄卒やなんか。
わたしはクラスメイトが夢中になっていた漫画のタイトルをいくつか上げた。
わたしと田中さん、そしておばあちゃんの三人で、これから地元の山並を越えて隣県の「屏風岩」を目指す。車で麓まで行って、そこからハイキングすることになった。
はたから見れば、祖母と親子の三代で仲良く歩いているように見えるだろう。連休中の今日はすれ違う家族連れに、にこやかに言葉をかけられる。
田中さんは、最初に会った時よりずい分若く見える。きれいさっぱり髭も剃り、髪も短く刈り込んで、お父さんより年上だと聞いたけれど、今日はうんと年下に見える。
あの日、わたしがこれまで遭遇したおかしなもののことを話すと、真っ先におばあちゃんが「はじめ、さん、だね。」と、
次に田中さんが
「そんなことがあるのでしょうか。いまの話しからすると、まるで高橋さんは、
高橋さんは、天狗のような姿ではないですか。」
苦いものでも噛んだような顔でそういった。
そう、あの火事の最中、木立の上に浮かぶ姿は、身に着けていたあの装束といい天狗のようだった。それも小さい頃見た絵本やアニメ番組のイメージしかないけれど。
細面で華奢な背格好が本人だとおばあちゃんはいう。場所が場所だけに、まさに高橋さんその人なのか・・・。
焼き尽くされた建物を確認するとすぐに消えたが、空中に浮かんでいる背には翼もあった。「別の者として蘇る」とはこういうことなの。
「いったいなんのために、自分が住んでいた家まで、消そうとするんだろう。」
「・・・・」「・・・・」
それにはおばあちゃんも田中さんも答えられない。わたしたちには何も分からないのだ。
日記のような大学ノートをぱらぱらめくって目を通していた田中さんは、
「これは、いつどこの山へ登ったとかいう記録のようですね。
もっと丁寧に目を通すとまた分かることもあるのでしょうが、」
もやもやしていたわたしは、
「田中さん、あの、わたしに、その、なんとかっていう鬼のこと、教えてください。
できれば、山へも行ってみたい。おばあちゃん、いいでしょう?いいよね。」
思わずそういっていた。
「うーん、そう、ねえ、・・・」
「そう、ですね、僕も、あの山へは行ってみようと思いましたし・・・」
「なら、私も一緒に、お願いします。」
こうしてわたしたちは田中さんに連れられて行くことになったのだ。
おばあちゃんも行くといい出したのは、おばあちゃんなりの答えがほしいと思ったからだろう。何も知らないままの気持ちの悪さをそのままにはしておけない。
わたしたちはよく似た祖母と孫なのだ。
なだらかな山並は初心者でもハイキングしやすい地形だった。おまけに今日は雲ひとつないいいお天気で気持ちいい。「幸先いいね」とおばあちゃんがいう。
「小さい子向けの絵本の鬼は、あちこちのお寺の地獄絵なんかを手本にしたものでしょうね。
鬼は元々化け物の総称でした。中世で鬼が絵巻物に描かれていた頃は、様々な姿かたちで、牛や馬の顔や一つ目や一本足などもあったり、古びた道具が化けたものも鬼として記述されています。
そして、その時々の権力者にまつろわぬ者たちを、あえてそういった姿で表現したこともあります。」
「田中さん、あの、」
「あ、直樹で、いいですよ。なんだか、苗字だと職場で呼ばれている感じがして緊張しますから。」
「えっと、それじゃあ直樹さん、あの大嶽丸という鬼は、いったい何だったのでしょう。」
その直樹さんは分かるけれど、おばあちゃんも意外と山歩きに慣れていることにわたしは驚いた。息も切らさず余裕で話している。
初めは気楽に進んでいたわたしだったが、段々息が上がってきていた。
後ろからふたりの会話を聞いているばかりになっていた。
「以前お話ししたかもしれませんが、大嶽丸は、この辺りに出没していた鬼といわれています。
さっき車で越えてきたあの峠が、古くから京と伊勢を結ぶ街道の要所でした。
平安時代の初期に、峠を通る旅人を襲っていたのが大嶽丸。まあいわゆる、山賊だったのです。
伊勢神宮への参宮のため街道は重要でしたから、時の嵯峨天皇が、坂上田村麻呂に討伐を命じました。大嶽丸は一大勢力となっていましたからね。一説には、蝦夷の一族であったともいわれています。
そして田村麻呂に討たれたのが、これから向かう屏風岩のあたりです。」
「だから初めにそこへ行こうと思われたのですね。」
「ええそうです。大嶽丸の伝説はそこで終わっていますからね。一度見てみたいと思ったので。」
「鬼が人を襲っていたのですか?人が鬼になったのですか?」
「難しいところですね。鬼という言葉自体は、古代日本から存在していました。
人智を超えた驚異的な力、それまで遭遇したことのないような様子の者たちを
鬼と、表現していたのです。」
よくわからない。そのよくわからないものを追って、高橋さんは自身もまた異形の者になってしまったのだろうか。おばあちゃんもわたしと同じことを思ったのだろう、一瞬歩みが止まった。
途中にシャクナゲの群生地が公園として整備され賑わっていた。帰りに覗いてみようかと、振り返ったおばあちゃんがいう。
「あら、こんなとこに藤の花が、あそこも、あっちにも、」
元気な声だ。疲れも見せず同じペースで歩いているのが信じられない。
周りの景色も目に入らないくらい息が上がって辛いのは、わたしだけだった。徐々にふたりと距離が開いてきていた。
そして、緩んだ靴紐を締め直して立ち上がると、目の前には誰もいなくなっていた。「あ、ああれっ?」
ほんの少し立ち止まっただけなのに。ふたりの背中が見えていたからすぐに追いつくとそう思っていたのに。見回すと辺りに人の気配がまったくない。
他にも同じようにハイキングに来ていた家族連れもあったが、今はその影もない。
おいてかれた。いつの間に、こんなに体力なくなってたのか。ため息しか出なかった。まだ決めていない部活はもう絶対運動部にしよう。
おかしなことに、屏風岩までは歩道が整備されているからきっと歩きやすいですよ。と聞いていたのに、目の前には下草しか見えない。
今までそこらへんにあった杉林も消えて、なんの木なのかわからない雑然とした林になっていた。景色が一瞬で変わっていた。わたしは背中に冷たいものを感じた。
そのとき突風が木立を通り抜けてきた。
強風が、わたしの目の前で細い竜巻を形作り、みるみるうちに人型になっていく。
全てが現れる前にわたしはそれが何か分かった。
これで四度目だ。
目の前にはっきり姿を現したそれは、もう見事に異形の人だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます