2 訪問者 

 病院の建物は外も中も明るいのに、人声もなく寒々としていた。

 窓には白いカーテンが引かれ、部屋にはわたしとおばあちゃんだけ。

 おばあちゃんは眠っていた。苦しそうには見えないが意識がない。

 病院に運び込まれてからずっとこうだという。

 

 ぼそぼそと話し声が戸口の隙間から漏れてくる。

「あの、いったいどうしたって、いうんでしょう」

 お父さんとお母さん、良子叔母さんが廊下でお医者さんと話している。


 なんでこんなことに・・・。

 昼間、具合悪そうには見えなかった。元気だったのに。

「うううう、うん・・・」顔が歪んだ。

「わかっ、た、わかり、ました、から・・・」

 おばあちゃんがうなされている。


「おばあちゃん・・・」

 呟いた途端、薄っすらと目が開いた。

「ああ、明日、香、・・・かい」

 意識が戻ったみたいだ。

 わたしは廊下のお父さんたちを呼んだ。

 

 ちょうど良子叔母さんが明日から出張で、しばらく会えないから寄ってみたのだという。

 灯りはついているのに、声をかけても返事はなく、仕方ないからカギをあけて入ったら台所に倒れていたのだ。

 病院はすぐそこだったが、動かしてはいけないかもしれないと、叔母さんは救急車を呼んだ。

 軽い脳梗塞だろうということだった。

 詳しい検査をするため何日か入院することになった。


 翌日、お母さんはお休みをとった。

 病院に行くというから、わたしもついていくことにした。

 病院は、家から車で十分、その目の前がおばあちゃんちだ。わたしの自転車ではもう少しかかる。

「こういうこと、これからも、あるよね。今までなかったのが不思議だったのよね。」と、お母さんは独り言のように呟いた。

 わたしは何ていっていいのかわからなかった。


 ベッドのおばあちゃんは、顔色は悪かったが呼びかけると薄っすら目を開けた。

 看護師さんから今日の検査の説明を受けたあと、お母さんは買ってきた着替えや入院に必要な物を渡し、おばあちゃんの家の様子を確かめてからまた来ますと告げた。

 そうしてわたしたちは病院を後にした。 

 

 昨日、途中だったのだろう、台所がそのままだった。

 一応火の元や戸締りは、良子叔母さんが見て回ったというが。

 ガス台には、お味噌汁でも作ろとしていたのか、お鍋の中に揚げとねぎが浮かんでいた。まな板に包丁、流しにもゴミが広がっている。

 

 お湯を沸かしたりご飯を炊いたりして、お母さんはおじいちゃんの仏壇にお供えするものを用意していた。お花のお水もかえなくちゃというから、わたしがやるからといった。

 そんなに散らかってはいないが、目につくところをふたりでひと通り片付けた。

 何だかこの頃片付けばかりしているような気がする。


「そういえば、明日香。昨日、おばあちゃんと行ったっていうその家、どこにあるの」

 お母さんはやっぱり知らなかったのだ。

 てっきり、ご近所の誰かの家だと思っていたという。

「お母さん、知らなかったの?この裏を抜けて、ほらあの、新しいキャンプ場の看板立ってる、手前のとこだよ。」


 この辺りは古くからの家ばかりで、この頃空家が増えてきたというから、昨日はそのどこかのお宅の作業を頼まれたのだと思っていたらしい。 

 キャンプ場はこの前完成したばかりで、ゴールデンウイークにオープンすることになっていた。看板からまだ二十分ほど車を走らせたところだ。

 キャンプ場へ向かう幹線道路に面した林の中に、ひっそり隠れるようにあの家は建っていた。


「ふーん、そんなとこにうちの持ち家があったっけ・・・

 それにしても、ここら辺もだいぶ変わっちゃって、もうすっかり昔の面影がなくなっちゃったな」

 東西に連なった山々が隣の県との境で、その手前が大規模に開発され、高速道路や工場群になったという。山をはさんだ北側がキャンプ場だった。


「でね、キャンプ場はさ、アスレチックなんかいくつもあってね、道具なんかなくてもそのまま泊まれるコテージや、ちょっとリッチなグランピングなんていうのもあるらしいよ。」


 隣の街の我家には配られなかったけれど、プレオープンの案内をさっきテレビの前で見つけた。

 地元民対象のアスレチック無料の文字にひかれ、のぞいていたのだ。

 ぎりぎりここら辺までが地元の範囲なのかと驚いた。

 昨日おばあちゃんは、わたしに見せようとしていたのかもしれない。

 クリアファイルに入ったそれを見せながら、期待をこめて話したのだけれど、お母さんの反応は「ふーん」のひと言だけだった。まあ今はそれどころじゃないけどね。 


「良子はもう空の上ね。この時間だと、」

 シンガポールへ六か月の出張だといっていた。

 すごいな、良子叔母さん。わたしの憧れだ。独身でバリバリ仕事をこなして役職にもついている。

 おしゃべりしながら戸締りを確認して、帰り支度をしていたら玄関ベルが鳴った。


「わたし、見てくる」

 玄関の戸を開けてみると、そこにはひとりの男性が立っていた。

 背の高い男性。大きなリュックを背負っている。

 ヨレヨレのホコリっぽいトレーナーとジーンズ。日に焼けた顔に伸び放題の髭、そして伸びすぎた髪を後ろにくくっていた。

 若いのか年寄りなのかわからない。 

 「ん?」何だかちょっと嫌な臭いもする。

 わたしはしかめっ面になっていたと思う。

 その人はたった今、山から下りてきたというふうに見えた。 


「あのう、ここは、高橋さんのお宅でしょうか?」

「いいえ違いますけど、」

「ええっと、ここだと聞いたんですが、」

「うちは、うちといっても、ここはおばあちゃんちなんですけど、

 木下です。」(表札、木下って出てるのに、おかしな人だな。)


 お母さんが後ろから車のカギを出しながら、

「ええっと、どなたですか」と声をかけた。

「高橋さんっていうお家、探してるんだってさ」

「あのすいません。ここだと聞いてきたんですが。」

 来る途中、宅配のドライバーに聞いたといった。

「えっと、ほらこの、手紙、」

 その人はわたしたちに封筒から出しながら便箋を見せた。

 近づいてくる人に、しかめっ面はしていないが、お母さんは横を向いて軽く咳ばらいをした。臭いが気になっている。

 

 手紙はくしゃくしゃで、黄ばんでいて、ずい分前のもののようだ。

 封筒の表書きがちらりと見えた。

 田中なんとかとあったから、きっとこの人の名前なのだろう。

 裏には高橋一とあった。

 便箋の最後に追伸として、「今ここにお世話になっている」とあり、下に住所が書かれていた。


 お母さんは驚いた顔をして「あら、これ、確かにここね」という。

 住所はここだけど、書いた人が番地を間違えた可能性が高い。

 近所に高橋という家があっただろうか。

 考えていたがどうも思い当たらないようだ。

 町内会の会合の資料があったはずといって、お母さんはおばあちゃんがいつも大事な物を入れておく引き出しを見に行った。

「ここには、わかるもの、なさそうね・・・」呟く声がする。

 

「あっ、これっ、・・・」すぐに何かを見つけたらしい。

「あの、その差出人の方、高橋一さんって方でしたよね。」

 表に高橋一様用って書かれた箱を抱えてきた。


 それは昨日、あの空家からおばあちゃんが運んできたものだ。

 帰ってきてからおばあちゃんが書いたのだろう。

 そして、軽そうだったその箱を、お母さんは重そうに抱えている。


 取り合えず中に上がってもらうことにした。

 お邪魔しますといいながら、その人は荷物を玄関の三和土におろした。

「ふうーっ。」と、大きなため息をついた顔は案外若く見えた。

「田中直樹、といいます。」

 そして、田中さんからわたしたちは、思いがけない話しをきかされることになった。

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