閑話 深澄菜由は動かない

 私──深澄みすみ菜由なゆ姫榊ひさかき琴歌ことかと小学校の頃から友達だ。

 でも、そんな琴歌と幼馴染の依河よりかわ行人ゆきひとくんとは、殆ど会話した時がない。所謂、友達の友達。だから、依河くんのことはあまり知らなくて、知ってることと言えば──


 『幼馴染である琴歌を自分の望むように調教している』ということ。


 …………いや、『調教』という言い方は悪いかもしれないけど、琴歌は依河くんの言う通りに髪を伸ばして、更に敬語で話すようになった。それが、中学校の時に噂されていた依河くんの裏の顔。当時は一匹狼は感じだった香木原かぎはら千明ちあきくんも、依河くんには心を許していたのもあって、彼には人を手玉にとる何かがあると、警戒されていた。


「まあ考えすぎだと思うけど……」


 私は依河くんに限ってそんなことはないと思う。が、それでも友達の友達でしかない私には、本当の依河くんについては知らないので、その噂を強く否定できない。


 私は臆病である。

 見た目からクールでかっこいい女性なんて言われるけど、特にホラーなんかは大の苦手だ。でも、びっくりすると、叫ぶのではなく言葉を失うタイプだから、それが冷静さを保っているようで、頼もしいと勘違いされる。

 

 会話は基本的に人から話しかけられるのを待っているし、初対面で話しかけられたら、端的な言葉で会話を済ませてしまう。こんな臆病な性格だから、実は依河くんの噂は本当なのではないかと、少し疑ってしまっているところがある。


「菜由ちゃんおはよー」


 登校して下駄箱で上履きに履き替えていた時、あとから来た駒鯉こまごい陽愛ひまなに声を掛けられる。


「陽愛。おはようー」


 私は少し背が高い方だから、背の低い陽愛を見下ろす感じで挨拶を返した。だから、陽愛の背後に立つ男子に気づくのが遅れた。


「依河くんもおはよう」

「お、おはよう深澄さん」


 声掛けられると思ってなかったのかな。余計なことしたかも……。


 無視するのも失礼だと思ったので、依河くんにも挨拶したが、たまたま陽愛の後ろにいただけで、別に挨拶する必要はなかったか。依河くんも私とはそんなに仲良くないから焦っただろうに、さっきまで依河くんのことを考えてたから……それもあまり良くないイメージをしていたから、誤魔化すように思わず反応してしまったけれど──


「さっきそこで行人くんに会ったんだー」


 …………ん? 『行人くん』?


「へー、そうだったんだ」


 じゃあ、たまたま後ろに居たんじゃなくて、一緒に来たのかー。それなら、別に挨拶してもおかしくないか。


「うん、もう友達だよ」

「コミュ力高すぎだろ駒鯉」


 一理ある。高校に来たときは『緊張しててうまく話せなかった』なんて陽愛は言っていたけれど、そんなことは嘘だと言わんばかりに、今は誰に対しても明るく話せて──…………あれ、『駒鯉』? 友達?


 あっれ、私はまだ友達の友達なのに?


 いや、これはチャンスかもしれない。

 ここで『じゃあ私とも友達だね』なんて言ったら、自然と──……でも、もしかしたら依河くん側が友達だと思っていた場合、『あれ、友達じゃなかったんだ』って傷つくかもしれないな。

 

 あっれ、どうしよう。


 とか考えてたら、依河くんは既に上履きに履き替えて、私達の前に出た。


「じゃあ、俺は先に教室行くから」

「うん、またねー」


 依河くんが陽愛と声を交わして先に教室に向かう。私は完全にタイミングを逃してしまい。何も言えなかった。







 陽愛とも友達なら、依河くんはやはり良い人では?

 噂は結局、噂でしかない。だとしたら私も思い切って依河くんに話しかけるべきか、でも、今更無理に仲良くなる必要があるのだろうか、それに依河くん的にはもう仲が良くて、私とはこの距離感なのかもしれない。だとしたら、逆に気まずくなるかもしれない。


「琴歌ちゃん、どこ行ったんだろうね」

「さあ? 急にいなくなったけど」


 昼休み、次の授業が移動教室になったので、教科書を持って琴歌の机に陽愛と集まっていた。ただ、琴歌はご飯を食べると、すぐにどこかに行ってしまって、まだ帰って来てない。


「また教科書忘れちゃったのかな?」

「んー、琴歌に限って二回も同じミスするとは思えないけどな」


 今日の琴歌は朝からそわそわしていた気がするし、それが関係しているのかもしれない。


「あ! 琴歌ちゃん」


 少し心配になってきたところで、琴歌が教室に入ってきた──それもかなり早足で入って来て、私達に目もくれずに自分の机に座ると、琴歌は俯いて全く動かなくなった。


「琴歌ちゃん。次の授業、教室移動になったんだって」

「そう……なんですね」


 歯切れの悪い返事。私達とは一切目も合わせずに俯いたまま、机の中から教科書と筆箱を取り出し始める。なんだか様子がおかしくて、私と陽愛は顔を合わせた。


「……琴歌。何かあったの?」


 あまり見たことがない琴歌の姿に堪らず声を掛けた。


「……菜由、私…………」


 琴歌は少し顔を上げる。乱れた長い髪に隠れた顔が、ようやく見えると、その頬は真っ赤に染まって、目が少し潤んでいて…………ゆっくりと口を開いて、そして──


「ユキくんに……ユキくんにとんでもないこと言っちゃったかもしれません…………」


 そう言うと琴歌は勢いよく立ち上がった。


「琴歌ちゃん!?」

「私、先に移動してますね」

「ま、待って! 琴歌ちゃん場所知らないよね!?」


 再び早足で教室を出て行く琴歌、それを陽愛が追いかけて教室を飛び出す。ユキくん──確か、琴歌が依河くんのことを、昔はそう呼んでいたような。


「あ、深澄さん」

「依河くん?」


 入れ替わるように、教室に依河くんがやってきて、私に声を掛けてきた。


「その……琴歌がどこ行ったか知らない?」


 ……? あっれ、依河くんは姫榊って呼んでいたような。


「さっき出ていったよ」

「そっか…………。あいつ、急に加速して追い抜いていったけど、なんだったんだ?」


 …………え? 何してたのこの人達。急加速? 追い抜かれた? え? 

 いろいろ気になるけど、二人ともお互いの呼び方が変わっているあたり、何かがあったんだろう。

 

 どうしようか。今なら様子を伺いつつ依河くんと仲良くなれるチャンスかもしれない。いや、高校生の男子と女子だし、変に距離を詰めようとすれば誤解を招くかもしれない。別に私は依河くんに好意を抱いているわけではない。


 だとしたら、今はまだ動くべきではない。依河くんと琴歌の間に、何か変化があったのなら、私みたいな馬の骨に等しい他の女が割り込むべきではない。


「深澄さん。次、移動だけど……」


 依河くんは親切に私に教室移動のことを教えてくれる。やはり良い人かもしれない。それがわかったのなら今はそれで充分だろう。私は…………


「私はまだ動かないから」

「えっ、なんで…………?」


 私は琴歌が可愛いことは昔からわかっていた。そして、琴歌の一番可愛い瞬間は常に、依河くんが絡んだ時にある。


 さっきの真っ赤な顔は良かったな……


 私は少し胸がすくような気持ちで窓の外を見ると、そこには雲一つない青空が広がっていた。

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