第8話 幼馴染と手料理②

 姫榊ひさかき琴歌ことかという女の子は、多くの男子の憧れである。腰まで届くほどの、長い白金の髪は僅かな風にもサラサラとなびいて、背筋を伸ばした美しい姿勢は、彼女の華奢な身体と細長い脚を強調させる。

 青い瞳は夏の空のように澄み渡っていて、明るく笑う姿は太陽に向けて咲く向日葵のようで……誕生日は12月3日で、冬なのだが。


 そんな姫榊が髪を結った姿で、エプロンをして、我が家の台所に立っている。俺はソファに座って、彼女の背中を見守るだけ。


 なんともまあ偉そうだが、手伝おうとして人参を切っていたら指を切ったので、結構な勢いで叱られて戦力外通告を受けたところだった。怖かった。

 

「指、大丈夫ですか?」

「ん、ああ。ちょっと切っただけで大袈裟だよ」


 姫榊が振り返って聞いてくる。

 唾をつけとけば治ると言ったが、姫榊に丁寧に消毒と絆創膏をされた左手の人差し指を見せて、ヒラヒラと手を振る。その態度が気に入らないのか、姫榊は顔を顰める。


「普通は切らないんですよ」

「ちょっと油断しただけだって」

「そういうのがいずれ大怪我に繋がるんですよ。ハインリッヒの法則って知ってます?」

「いや……でも、人はミスをして成長するもんだろ」

「ミスをしたときに反省しなければ成長はありえませんよ。その態度では──」

「大人しくしています」

「……まあよろしいでしょう」


 これ以上小言を言われてもたまらないので、両手を上げて降伏の姿勢を取る。


「少し早めの夕飯と言ってもいいくらいの時間ですし、お父さんとお母さんの分も作りましょうか」

「いいのか?」

「そのつもりで買ってきましたし」

「なるほど、なんか量が多い気がしたけどそういう」

「人手があったのでそれもいいかなと」


 姫榊は申し訳なさそうに眉を顰める。


「別に気にするな。力だけはあるから」

「とても助かりましたよ。ありがとうございます」


 朝起きた時に中学の部活動時代の凡人っぷりを思い出したのもあって、少し自虐気味に『力だけ』を強調して言ってみたが、姫榊はそんなことも気にしていないかのように、笑顔で真っ直ぐに感謝の言葉を述べる。


 ストレートな感謝と、詳細を知らない姫榊に自虐してしまった自分の器の小ささ、そんないろんな気持ちが湧いてきて少し顔が熱くなって首を掻いた。


「と、とりあえず使う物とか大丈夫か?」

「さっき包丁取り出す時に教えて貰ったじゃないですか。大丈夫ですよ」

「そうか? 何か手伝うことがあれば……」

「気持ちだけで充分です。手伝おうとして指を切ったばかりでしょう?」

「うっ……」


 直接言われてはいないが「何もするな」と言ってるようなもので、俺は反論出来なくて苦笑する。そんな俺を見て何かを悟ったのか姫榊は困ったように笑う。


「ごめんねー。今すぐ作りますからねー。待ってて下さいねー」


 俺が腹を空かせて急かしてるように見えたのか、愚図る子供を宥めるように、姫榊は優しい声で語りかけてくる。 


「子供扱いするな。そんな我慢出来ない程、腹は減ってねーよ」


 とは言ってみたものの、その直後に、ぐぅー……とアニメのような綺麗な腹の音が響いた。


「身体は正直ですね」

「くっ──!」


 それはそうだ。

 起きたのが13時手前、今は15時を回ったところ。料理が出来るころには17

時近いだろう。かなり空腹を我慢している状態だ。

 

「もうちょっとだけ待ってて下さいね」

「…………わかったよ」


 俺は力を失ったようにソファに横になる。ぼんやりと、スマホでも見ながら待つことにした。





「めっちゃうまいなこれ……」


 食卓に並べられた姫榊の手料理をさっそく一口頂いて、その美味しさに困惑しながら声を上げた。


 俺が求めた通りに作ってくれたハンバーグは、ふっくらと綺麗な形をしていて、箸で簡単に一口サイズに割ることが出来て、甘さ控えめのさっぱりとしたソースが、口の中で肉汁と混じって、肉の旨さを引き立たせているように思えた。


「そんなにですか?」

「ああ、うまい。その……うまい。すごくうまい」

「食レポが酷すぎません?」

「う……それしか言えないぐらいには美味しいということで……」


 俺が申し訳なさそうにすると、姫榊はくすくすと笑った。

 

「別にいいですよ。そうやって夢中に食べてくれるのが一番嬉しいですから」

「そ、そうか? ほんとに……えー……うまいよ」

「ふふっ、ありがとうございます」


 これ以上、馬鹿を晒す前に黙って食べることにした。腹が減っていたというのもあるが、あっという間に食べ終わる。あまりにも食べるペースが早くて、姫榊に「落ち着いて食べて下さい」と軽く怒られた。


「というか人参もなんか甘い気がしたけどなんかしてたのか?」

「あれ茹でただけですよ」

「……だけ?」

「はい」


 ハンバーグと同じ皿に添えられていた人参の話だ。人参独特の味があったが、確かに甘く感じるほどの食べやすさがあった。


「依河くんはどうせ、どんなものにも調味料いっぱいかけて料理した気になっていただけでしょう? 意外と火を通すだけでも素材そのものの味って強く出るものですよ」

「ほんとかよ」


 俺が調理するとそうでもない気がするんだが、ちゃんと火が通ってなかったか。確かに時間とか測って調理したことはないな。


「特に依河くんは嫌いな食べ物殆どないですし、そういうのを味わえるんですからもったいないですよ。ここの野菜は美味しいですから」

「俺にも嫌いな食べ物あるけどな」

「キクラゲですよね?」

「よく知ってるな」

「子供の頃に毎度毎度、取り除くように先に食べてましたから」

「よく見てるなあ」


 まさかアレだけでわかるとは。それにしても、こんなにも美味しい物を食べてしまっては、また食べたくなってしまう。

 名残り惜しいが両手を合わせる。


「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした」


 今日はなにか特別な日だったのだろう。ここ最近見たなかでも、今日の姫榊の笑顔は一段と嬉しそうに見えた。

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