第4話 幼馴染と朝②

 田舎の早朝は静かなものだ。

 都会の早朝となにが違うのか、都会を知らないからわからないけど……。


 漫画やアニメのようなドのつく田舎ではないが、大人は自動車、学生は自転車がなければどこに行くにしても不便なほどには田舎。姫榊ひさかきはそんな田舎で自転車に乗ることが出来ない為、バスを使って学校に登校している。


 田舎特有の畑や花壇のある、広い敷地を持つ、年季の入った一軒家が並ぶ道を、姫榊と歩く。車道は広いが歩道は狭い、俺が先頭を歩き、姫榊が後ろに縦に並んで歩いていた。

 

 気まずい……。


 幼馴染と一緒に登校するのは小学校の時以来だが、こんなにも息苦しかっただろうか。俺も姫榊も無言で歩き続ける。


 少し歩くと民家が途切れて、商店街へと続く広い歩道へと出る。そこで姫榊が早足で前に出できて、自転車を押す俺の隣に並んだ。


「……そんなに嫌そうな顔をしなくてもいいじゃないですか」

「えっ、別に……してないけど……」

「してますよ」


 無言でいたことに不満を覚えたののか、姫榊は怪訝そうな顔で俺のことを覗き込むと、少しむっとした表情で口を尖らせる。


 おかしいな。姫榊さんはもっと慈愛に満ちた笑顔を皆に……。


 そんなことを思っていると、姫榊は少し歩く速度を落とした。男子と女子だし、少し歩くのが早かったかと、俺もペースを落とす。

 無駄に早い時間に登校してるからか、ここで、どんなに遅くなっても遅刻することはないだろう。


「別に私は中学の時に、依河よりかわくんのことを避けてなんていませんでしたけど?」

「その話、千明ちあきから聞いたのかよ」

「いいえ、話してるのが聞こえてきただけです」

「そんな馬鹿な……」


 確かに昨日、千明と姫榊の話をしていたが、教室に姫榊はいなかったし、仮に本当に居たとしても、近くにいなければ聴こえないほどの声量だったと思う。

 姫榊の眉間から皺が消えて、今はなんだかぼんやりとした表情で、足元を見ながら歩いている。


「…………でも、確かに俺の方が姫榊さんを避けてたな」

「姫榊?」

「姫榊を避けてたなって──」

?」

「それはいいだろ!」


 姫榊は不満そうにジト目で見てくる。

 

「お前のこと下の名前で呼び捨てとかしたら他の男子に白い目で見られるだろ」

「それは『お前』と呼ぶ時点で手遅れではないですか?」

「学校では言わない」

「別にいいんですけどね。私は」


 はぁ、と姫榊はため息をついてそっぽを向いた。姫榊ひさかき琴歌ことかは誰もが憧れるような美少女で、多くの男子が望むような、清楚で可憐な理想の女の子。そんな姫榊に馴れ馴れしくしようものなら注目の────


「…………」


 清楚? 可憐?

 確かに可愛いのはわかるが、先程から不機嫌なのを隠そうとしない幼馴染の姿に、その言葉は疑問を覚えてしまう。ただ、その思惑的な横顔は、まさに人を虜にするほどの美しくて目を奪われる。


「なんですか? 人の顔をジロジロと」

「いや? 人に言う前にまず自分から直すべきじゃないかと思ってな」

「なにがですか?」

「その敬語は何なんだよ」


 反撃と言わんばかりに、強気な姿勢で姫榊に問うと、姫榊はきょとんとした顔で見つめてくる。すぐに歯痒そうに噛みしめて、姫榊の目は宙を泳いだ。


「だってユキくんがそれがいいって……」

「へ?」


 ユキくん──唐突に昔の呼ばれ方をして驚いてしまったが、それよりも聞き捨てならないことがある。


「俺が?」

「そうですよ」

「待て待て待て! なに? じゃあ俺は同級生の女子に敬語を使わせてると?」

「はい」

「いや、やばい奴だろそれ! 言ったことないからな!」

「…………まあ、確かに」


 姫榊は目を逸して口ごもる。今までの姫榊への対応の悪さは認めるけど、流石に幼馴染に敬語を使わせるようなことは言ってないはずだ。

 言ってないよな…………?


「依河くんは別に……そうですね……私が勝手にしてることです」

「そ、そうか。俺の知らない人格が俺の中にあるかと思ったわ」

「うーん……それは…………」

「意味深な反応やめてくれ?」

「ふふ、なーんて」


 姫榊は悪戯っぽく、くすりと笑った。

 かわいいな……。

 その挑発的な顔に思わず見惚れてしまい、数瞬の間言葉を失った。


「依河くん?」

「え!? な、なんだ?」

「『なんだ?』はこちらの台詞ですけど、先程からたまにフリーズしてますけど」

「あ、ああ……」


 不意に問いかけられて、心臓が飛び跳ねそうになった。見惚れてしまったことを認めたくないので、とりあえず適当に誤魔化そう……。

 

「春だからな」

「関係あります?」

「眠いんだよ」

「そうなんですか? ならもっと寝てても……間に合いますよね?」

「二度寝して起きれる自信がない」

「そういうことですか……」


 自分でももう少しゆっくりできればいいんだが、朝練の癖が抜けなくて、いつも早い時間に起きてしまう。休みなら昼まで寝れるようにはなったが、起きなければいけない状況にあると、どうしても早く起きてしまう。


「でしたら私が……」


 姫榊が顎に手を当てて呟いた。なにか含みのある言葉。その先の言葉を聞く前にバス停に辿り着いた。


「あっ、ここまででいいですよ」

「バスはすぐ来るのか?」

「一緒に待ってくれるんですか?」

「そうだな、御所望とあれば」

「なんですかそれ」


 妙に堅苦しい言い回しと謎のドヤ顔を披露してみると、姫榊はくすくすと笑う。


 あれ? 機嫌良さそうだな?


 家を出た時はかなり不機嫌にみえたが、今は眉間に皺を寄せることもない。天使のような微笑みとは正しくこういうことだろうか。


「大丈夫ですよ。バスはすぐ来ますから」

「そうか? ならいいけど」

「時間調整は完璧ですよ」


 ふふん。と、姫榊は胸に手を添えてドヤ顔をしてみせる。時間調整……もしかしたら、歩くペースを緩めたことを言ってるのだろうか。


 田舎のバスは多くない。一つ逃せば三十分待ちなどざらにあり、昼間などの需要の少ない時間帯なら逃せば一時間以上待つ時もある。

 それも把握しての調整ならば、大したものだと舌を巻いてしまう。


「じゃあ俺は先に行くぞ」

「はい、また学校で」

「ああ」


 と、自転車に跨ってペダルを漕ごうとした時だった。


「今日は無視しないでくださいよ?」

「うっ!」


 勢いよく漕ごうとした足が止まる。振り返ると、バス停のベンチに座った姫榊が、横目で見ている。

 その顔は少し挑発的で、なんだか楽しそうに見える。


「善処します……」

「もー」

「いや! 大丈夫だから!」

「はい、信じてますよ」


 姫榊は目を閉じてそう言うと、静かにバスを待つ。俺は気を取り直してペダルを漕ぎ始める。

 朝の短い時間。少し名残り惜しいと思ってしまったのは言わないでおこう。

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