第3話 幼馴染と朝①

「おっはよーぅ。ゆきんちゅ」

「おはよう千明ちあき

 

 登校すると、俺の席には明るい茶髪の男子が座っていた。椅子を反対に座って、背もたれを抱くように項垂れている。

 香木原かぎはら千明ちあき──一応小学校から一緒だが、仲良くなったのは中学校からで、同じバスケ部に入った時からだ。


「その『ゆきんちゅ』やめろ。あとなんで俺の席に座ってんだよ」

「えー、いいじゃないの」 

「今日は朝練しないのかよ」

「気分じゃなかったから早めにやめてきた」

「あー……そう」


 椅子から追い払うように手で払うと、千明は椅子に跨ったまま、後ろに下がってみせる。


「おい」

「まだ時間あるだろー、いいじゃん」


 ため息をついて、鞄を机の上に置く。

 バスケ部といえば背が高いイメージはあるが、千明もそのイメージに漏れず二メートル近い長身だ。俺との身長差は三十センチ近い。

 千明はその身体よりも一回り大きい制服を着て、所謂萌袖といわれているようなゆったりとした着こなしをしている……悪く言えばだらしない。

 チャラチャラとした印象を受けるが、毎日自主練するほどには、真面目な奴だということを俺は知っている。


「『気分じゃなかった』ね」

「相棒がいないからなー」


 千明は目を閉じてそう吐き出すと、細く目を開けて俺のことを見てくる。


「チラッ、チラッ……」

「口で言うな。俺はもうやらないからな……部活とか」

「なーんで?」

「言っただろ。疲れるからだって、もうしんどいのはゴメンだ」


 別に身体を動かすのは嫌いじゃない。むしろ好きな方ではあるが、部活動という何かしら背負う……責任感が伴うような精神的に辛くなるのは、あまりやりたくなかった。


「えー、俺と一緒に三年間も朝練、昼練、居残り練もしてたのに?」

「本当によく三年間も続けられたなって思うわ」

「辞めりゃよかったのににゃあ」

「辞めるのは……なんか嫌だろ、逃げるみたいで」

「……行人ゆきひとって、『今年こそ転職する』って言い続けて、結局定年まで同じ仕事してるタイプだよな」

「なんか生々しいんだけど……お前高校生だよな?」


 あとマジな話をする時だけ、『行人』って呼ぶのやめて欲しい。冗談で言ってないのがわかって怖くなる。


「そういえばさー、彼女とはどうなん?」

「彼女?」

「ほらほらお隣さん」


 千明は隣の席に目配せをする。

 まだ学校には来ていないが、その席は姫榊ひさかき琴歌ことかが座っている席だ。


「彼女とかに見えてるなら、お前の目は大分おかし──」

「んー? 別に『she』って言っただけで、『girl friend』と言ったつもりじゃなかったんだけど?」

「うざ……」


 千明は俺の顔を見てヘラヘラと笑う。

 一応姫榊の名前を出さないのは、周りに注目されるのを避けているからだろう。


「なんで急に……」

「昨日なんかやってたなーって、そういえば幼馴染だし」

「知ってたのか」


 姫榊と仲が良かったのは小学校の時だ。

 ただ、俺と千明は先程も言ったように、小学校の時はお互いに面識はない。あったとしても、会話するほどの仲ではなかった。


「一応ね。有名だったからなー、何かと一緒にいる男子と女子って」

「そういうの好きだよな。小学生って」


 小学校の時はよく誂われたりもした。そのせいか、会話の途中で面倒くさくなると適当に受け入れて、会話を終わらせようとする癖がついたかもしれない。

 いつか損をするだろう。とは、自分でも思っているので治したいが……。


「彼女もとんでもないこと言ってたしなー」

「とんでもないこと?」

「いんや、ゆきんちゅが知らなきゃそれもそれで」


 何か気になることを言うが、とりあえず『ゆきんちゅ』と呼ぶなら対したことではなさそうだ。


「中学の時は全然見たことなかったけど、高校ではまたイチャイチャが始まるのかねー」

「イチャ……イチャ……?」


 昨日の姫榊とのやり取りを思い出す。

 睨みつけられ、足を蹴られ、謝った後には厳しく採点をされ……。


 あれはイチャイチャとは言わないだろ……。


 別に小学校の時もイチャイチャしてたわけではないが、昔の姫榊は俺に対しても明るく、楽しそうにしていたし、そんな男女がイチャイチャと言われてるなら、まあ無理もない。

 しかし、昨日のやり取りはそんな昔とは程遠い。


「なかなかに険しい顔をしていらっしゃるにゃあ……」

「65点だったからな」

「65点?」

「いや、なんでも……」


 思わずため息をついて、深呼吸をする。

 そろそろいいだろ。と、千明を手で払うと、今度は椅子から立ち上がり、なんとか椅子を取り戻すことに成功する。椅子を反転させ、入れ替わるように座ると、背もたれに倒れるように座る。


「正直、黒歴史だろ」

「なにが?」

「俺と幼馴染だってこと」

「流石にそれはないだろ」

「でも、中学のときから会話はしなくなったし、なんとなく避けられてるかもなーとは思ってたんだよな」

「じゃあ本人に聞いてみようか?」

「……いや、いい」


 ……いや、姫榊は別に避けてはないのか? 確かに昨日は無視したことを怒られたから、姫榊は避けてなかったとは思う。


 俺の思い込みか……。


 想像以上に姫榊が美人になっていたことを意識しているのかもしれない。小学校からの延長で、中学の時は目が慣れていたのかもしれない。けど、高校になって知らない人が増えて、そういう人たちから姫榊の話が聞こえてきたから、改めて意識してしまうところがあったかもしれない。


「俺にはもうわからん」


 机に突っ伏して、頭を抱える。


「楽しそうだねぇ」

「どこがだ」 


 他人事だからか、千明はヘラヘラと笑っている。見えなくても、その顔が不敵な笑みを浮かべているのが想像つく。


「悩めよ高校生。君は若い」

「お前も高校生だろうが」


 顔を上げて睨みつけると、千明はそそくさと退散する。その背中を見送ると、姫榊が教室に入ってくるのが見えたので、俺は再び机に突っ伏して寝たフリをする。


 バスで通学する姫榊は、毎日この時間に登校してくる。俺は自転車通学だから、それよりも早く登校することが多い。

 自転車で登校できる距離、何なら徒歩でも登校できる距離ではあるが、姫榊は自転車に乗れない。

 だから幼馴染とは言えど、登校する時も一緒になることはない。


 そう思っていたのが昨日の朝のことだった。




「依河くん。今日は一緒に登校しませんか?」

「え?」


 次の日、家の玄関を出ると、姫榊が笑顔で立っていた。


「一緒に登校って、俺は自転車だけど……」

「それは……バス停まででいいので一緒に歩いてもらっても」

「そういうことなら……まあ──」

「私はから」


 姫榊の言葉に、ビクリと肩が震える。

 横目で姫榊の顔を覗くと、ニコニコと笑顔を向けて来るのだが……。


「あの、姫榊さん……怒ってます?」

「うふふ、おはようございます」

「あっ、おはよう……ございます」


 答えになってないが!?

 妙にニコニコしている姫榊に怯えながら、自転車を押して一緒に歩くことになった。

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