27話 突然の出来事

 くすぐり合いをした翌朝。


 今度の朝食は葵が作ってくれた。

 あの口数が少なくて何を考えているか分からない、何をしでかすか分からない葵が作った料理が、食卓のテーブルに並べられている。

 卓上には何も施されていない食パンが一枚、さばの水煮の缶詰が一個、豆腐と輪っかのが入った赤味噌汁、ベーコン入り目玉焼きが置かれたいた。

 今回もあの葵が作ったということで、やはり俺たちは目の前にある料理に対して警戒心を抱いている。

 しかし、何日も葵と共に過ごしてきたので、覆面をしている彼女が俺たちの食事に毒を入れる可能性は低いことは感じていた。

 なので最初は躊躇してしまったけど、俺たちはすぐに食事を摂ることにする。


 俺はまず缶の中に埋まっている鯖の水煮の身を箸で割っていく。

 そして片割れの塊を口の中に運ぶと、旨味成分が凝縮された魚肉の味が口の中に広がっていった。

 やはり缶詰なので、想像していた通りの安定した味で、美味しい。

 次はベーコン入り目玉焼きを箸で挟み、ベーコンと卵の白身が一緒になっている部分をかぶりついていく。

 ベーコンの脂の旨味を纏った薄味の白身の味が口の中に広がる。

 どこか手料理感を強く感じるけど美味しい。

 共住者をまた一人失った悲しみで、味なんて分からないだろうと思っていたけど、そんなことはなかった。

 というかインスタント食品や缶詰の中に、このベーコン入り目玉焼き一品だけ葵が自分で料理したのではないだろうか。

 

 俺は疑問を抱きながら葵に視線を巡らせる。


 葵は美味しいのか不味いのか分からない、口元が見える状態の覆面姿で自分が作った料理を口にし続けていた。







 朝食を終えてから数十分後。


 俺はリビングのソファーで寝転がって体を休めていた。

 といっても、この先自分が生き残れるかの不安を解消するために頭の中で思案しているので、完全には休めてはいないのだけど。

 すると、突然2階から大きな電子音が鳴り響いて来た。

 その電子音は今までに三回聞いたことがあり、それは特定の場所でしか聞いたことが無いものだ。

 それが俺の、俺たちの住んでいるシェアハウス内から聞こえてきた。

 腕輪の警告音を体育館以外で聞くのは初めての経験だ。

 すぐさま体を起こし、2階に上がって音の発生源を確かめに行く。

 音のする方を辿っていくと、そこは陽菜の部屋だった。

 とにかく何が起きているのか確かめるために、ノックをせずに扉を開いていく。


 部屋の中には陽菜と芽依、ニコルと葵が居て、その場の全員が動揺しているようだった。


 陽菜は慌てながら訴えてくる。


「大翔さん、どうしようっ。腕輪がっ」


 俺も慌てながら質問した。


「え、陽菜さん、どうしたんですか!?」


 すると、俺に続いて莉子も部屋に入ってくる。

 それから慌てた様子で尋ねた。


「えっ、いったい何が起きたんですか!?」


 陽菜が絶望的な表情を浮かべながら言葉をこぼす。


「ごめんなさい、笑っちゃいました。でも少しだけなんですっ」


 陽菜がしっかりと説明をしてくれたけど、俺にはどうにもできない。

 なぜなら彼女は丁寧に自分が笑ったことを告白したからだ。

 この黙島で快適な生活を送りたければ、笑ってはいけない。

 陽菜はその規則を破ってしまった。

 俺は近くに居る芽依に尋ねる。


「芽依さん、本当なの?」


 芽依は困った様子で呟く。


「一瞬だけど、笑ったよ」


 続けてニコルにも聞いてみた。


「ニコルさん、陽菜さんは笑ってしまったの?」


 ニコルは尻尾を下げ、大人しく首を縦に振る。


 さらに葵にも質問をぶつけていく。


「葵さんも陽菜さんが笑ったところを?」


 葵は無表情を作り続けているけど、手をあわあわと動かしながら頷いた。


 陽菜は頭を抱えながら俺に助けを求めてきた。


「大翔さん、あたしどうなっちゃうの?」

「どうなっちゃうって……」


 俺には何か特別な力があるわけではないけど、この先の展開が予測できた。

 そしてそれを口にすることは可能だけど、なぜか出来ない。

 俺の答えを待っているのか、陽菜は無言のまま俺のことを見つめてくる。

 腕輪の警告音が部屋内の静寂を阻止し続け、赤い明かりで雰囲気を重くしないよう努めていた。

 それから俺が黙り込んでいると、階下の玄関が開かれる音が聞こえてくる。

 そして数人の騒がしい足音が家に響いてきて、階段を上がってくる足音に切り替わった。

 廊下を急いで歩く足音が近づいてきて、ついにその人物たちが俺たちの前に姿を現す。

 黒いスーツを着たサイレダイス社員が三名ほど陽菜の部屋に入ってきて、すぐに陽菜の元に寄っていく。

 俺たちは驚きながらサイレダイス社員たちを見つめる。


 サイレダイス社員たちは陽菜の手足を拘束していき、そして部屋の外に運び出そうとした。


 陽菜は運ばれながら大きな声で訴えかけてくる。


「イヤーっ! 助けて! みんな助けて! イヤだ、あたしここに残りたい!」


 俺は荒げた声を出していく。


「陽菜さーん!」


 莉子も強い口調で叫ぶ。


「陽菜さんっ!」


 芽依は辛そうな表情で言葉を放つ。


「ちくしょうっ」


 ニコルは口元に丸めた手を添えながらおどおどしている。


 葵は覆面姿のまま小さくおろおろしながら陽菜の運命を眺めていた。


 陽菜は体をよじらせてサイレダイス社員たちの拘束から逃れようと試みているけど、残念ながらそれは叶わず、部屋の外に連れだされてしまう。

 そして陽菜の絶叫は屋内に響き続けるけど、徐々に遠ざかっていく。

 彼女の声はとうとうシェアハウスの中からではなく、外から窓越しに聞こえてくるようになった。

 それから陽菜の声は外からも聞こえなくなっていき、重苦しい空気を纏った静寂がシェアハウス内に広がっていく。


 俺たちはまた一人共に暮らす仲間を失ってしまった。

 それも唐突にだ。

 俺はその原因を探るために、莉子たちに質問をぶつける。


「そもそも、みなさんはここで何をしていたんですか?」


 莉子は俯き気味だった顔を上げ、言葉を絞り出す。


「えっと、私は陽菜さんがなんだか元気がなさそうだったので、なんとかいつもの調子に戻るよう励まそうとしていました」


 ニコルは莉子の言葉に賛同するように大きく頷いていく。


 また、葵も言葉を発さずに静かに首を縦に振っていった。


 芽依は険しい表情を作りながら呟く。


「わたしも陽菜さんから明るさを感じなかったから、なんとか元気になってもらおうと話してただけだよ」


 俺は硬い表情を作りながら莉子に質問する。


「莉子さんは俺が部屋に入った時には居なかったけど、その時は何してたんですか?」


 莉子は一瞬怯んだけど、すぐに辛い笑みを浮かべながら言葉を漏らす。


「私ですか? えっと、トイレにいってました。なので実は私も陽菜さんの部屋で何が行われていたのかは分からないんです」

「そうなんですね。今回のことについてですけど、陽菜さんが一人勝手に笑いだす確率は低いです。ではなんで陽菜さんは笑ってしまったのか。考えられるのは、ここにいる人の誰かが陽菜さんを笑わせたということになります。しかし莉子さんはトイレに行っていたので、犯人の候補としてはあり得ません。除外します」


 芽依は不機嫌そうに俺のことを睨みながら言葉を投げかける。


「ちょっと、さっきから話を聞いてたら何なの。まるでわたし達が陽菜さんを笑わせたって流れじゃない。ぶっ殺すよ」

「俺も出来ればそんなことを考えたくないけど、陽菜さんが笑ったのには理由があるんでしょう? まさかサイレダイスに連れ去られるために笑い出したなんて事は無いでしょう。それは芽依さんたちはどうお考えですか?」

「それは、その、陽菜さんは確かに勝手に笑ってないけど」


 芽依は左上の天上を見ながらうろたえた。


 俺は葵に顔を向ける。


「葵さんも、陽菜さんが勝手に笑ったところを目撃していましたか?」


 葵は首を数回横に振って俺の質問に答えた。


 俺は続けてニコルに尋ねていく。


「ニコルさんは、陽菜さんが一人で笑ったところを見ていましたか?」


 ニコルも首を横に振っていく。


 俺は少し険しい表情を作って、芽依たちに疑いの目を向ける。


「陽菜さんと一緒に居た人全員が陽菜さんが勝手に笑ったわけでは無いと証言しました。つまり、必然的に陽菜さんはその場にいた誰かに笑わされたとことになります」


 芽依は言葉を荒げて反論してきた。


「ちょっと、わたしたちが陽菜さんのこと笑わせる理由が無いでしょ、ぶっ殺すよ!」

「確かにそうですけど、身の潔白を証明することも出来ませんし、疑いをかけざるを得ませんよ」

「それは他の二人も同じでしょ、ぶっ殺すよ」

「芽依さんは普段から俺たちのことを脅迫しています。だから自然と誰かを亡き者にするのではないかって思うのは当然です」

「そんな些細ささいな理由で犯人だって決めつけるなんて間違ってるでしょ、納得できない。ぶっ――ぶっ殺すよ」

「もちろん犯人が芽依さんだけとは限りません。複数人で陽菜さんを笑わせた可能性も考えられます。俺は芽依さんのほかには、葵さんも笑わせた可能性があると思ってます」


 葵は一瞬体を震わして驚くと、高速で首を横に振って否定していく。


 俺は冷ややかな目で葵を見つめる。


「葵さんは正直、普段から何を考えているか分からなくて、それはもちろんなにか俺たちに危害を加えてくる可能性も含まれています。それがついに今日実行されたと考えると、辻褄が合います」


 葵は今度は首と一緒に両手を交差させながら左右に振っていく。


 俺はニコルに視線を移して呟いた。


「ニコルさんからは陽菜さんを笑わせる理由が考えられません」


 ニコルは一瞬戸惑うけど、尻尾を上げながら大きなため息をつく。


 莉子もニコルを眺めながら発言する。


「私もニコルさんは陽菜さんを笑わせた犯人だとは思えません」


 芽依は納得いかない様子で細めた目を俺たちに向けた。


「どうしてだよ! なんでニコルさんだけ疑われてないんだよ! ズルいよ! ぶっ殺すよ!」


 俺は硬い表情で言う。


「短い期間だけど、それなりに一緒に過ごしてきてニコルさんからはそういうことをする人間だって思えないから」


 莉子も深く頷きながら呟く。


「私もです。ニコルさんはたしかに口数が少なくて何考えているのかは分かりづらいですけど、ちゃんと私たちと一緒に暮らしていきたいという思いは伝わってきてました。それと、主観で本当に申し訳ないのですが、やはり普段の言動からどうしてもお二人のことを疑ってしまいます」


 芽依は目を見開きながら驚き、小さく言葉を漏らす。


「そんな、わたしだってみんなと一緒に暮らしたいと思ってるよ。ぶっ殺すよ」


 葵も芽依の言葉に賛同するかのように何度も頷く。


 俺は悲しみをにじませた顔で言う。


「そうかもしれませんけど、俺は他人を笑わせる危険性がある人とは一緒に暮らしていけません」


 芽依は鋭い目つきで訴える。


「だから、わたしは笑わせてない!」


 葵は再び首を縦に振っていく。


 俺は不安な顔を作りながら言葉を投げかける。


「それが本当かは確かめるすべがないですし、もし嘘をついていたら俺、いや俺たちも今後笑わされるかもしれないという不安を抱えながら過ごさなくてはいけません。それは快適な生活とは言えないです。そこでみんなの安全を考えると、俺は芽依さんと葵さんにはこのシェアハウスから出てもらうのが最善だと思っています。莉子さんはどう思いますか?」


 莉子は左下の床をしばらく難しい顔で見つめた。


「……私も大翔さんの意見に賛成です。冷たく思われるかもしれませんけど、私もいつ笑わされるか不安と恐怖を抱いてドキドキしながら暮らすのは嫌です」

「そんなわけなので、申し訳ないですけど二人にはこの家から出て行ってもらいたいです。大丈夫ですよ、まだ空いている家はありますし、他の参加者たちに混ざってみるのはいかがでしょうか。べつに俺たちと一緒に暮らすことに固執する必要も無いですし」


 芽依は腕を組みながら難しい顔を作る。


「わたしが出て行けば、大翔さんたちは安心して暮らせるの?」

「俺だって恐怖を感じるんです。分かってください」


 莉子も静かに頷いていく。


「疑いながら一緒に暮らしてたら、みんな疲れると思います」


 芽依は悲しそうな顔を作り、早足で扉に歩いていった。


「分かった。出て行く。今までありがとう。ぶっ殺すよ」


 芽依が廊下を歩いていく音が響いてきて、それが徐々に遠ざかっていく。


 そして俺は廊下の様子を映し出している扉から葵に視線をゆっくり映していった。


「葵さんも、今までありがとうございました」


 葵は一瞬片手を俺の方に伸ばしながら言葉を漏らす。


「あっ」


 しかしすぐに手を引っ込めて、黙り込んだ。

 しばらくその場でじっと何かを考えていたようだけど、静かに足を動かし始め、退室していった。


 部屋の中から、あるいは俺たちの住んでいるシェアハウスから、陽菜を笑わせた犯人が姿を消していく。

 家の中はずいぶんと静かになり、快適さを増した。

 きっとこれでよかったのだ。

 なぜか心が晴れない感覚を味わっているけど、あのまま芽依と葵と一緒に居たらどうなっていたか分からない。

 そう自分に言い聞かせて胸のざわつきを収めようと試みた。

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