26話 くすぐり合い その5

 葵は存在感を感じさせない移動で俺たちの近くに寄ってきた。


 俺は硬い笑みを作りながら葵を歓迎する。


「葵さん、おかえりなさい」


 葵は俺の言葉には反応してくれたけど、残念ながら言葉は発してくれなかった。

 しかしそれでも葵も無事にくすぐり合いを耐え抜いた事実に俺は満足する。



 次々と莉子たち共住者のくすぐり合いからの生還に安心していると、また代表社員が大きな声で叫んでいった。


「次、37番(奏太)と5番!」


 奏太は代表社員の言葉を聞いて反射的に自分の腕輪に視線を移す。

 奏太も自分の番号を覚えていなかったのだろう。

 しかしハッキリとはしていないけどなんとなくの情報は体に残っていたのか、咄嗟に反応しているようだった。


 奏太は周囲を見渡しながら緊張した面持ちで呟く。


「うっ、ついに僕の番がきたみたいです」


 俺は柔らかい笑みを作りながら励ます。


「大丈夫ですよ。みんな無事に戻ってきました」


 莉子は優しい笑みを浮かべながら言葉を投げかける。


「はい。みんな難なく耐えられたので、奏太さんも簡単に乗り越えられますよ! 安心してください!」


 陽菜は少し明るい笑みを作りながら言う。


「先入観ってやつかな? 最初はあたしも身構えてたけど、案外だいじょうぶでしたよ」


 芽依は腰に手を当てながら言葉を漏らす。


「くすぐり合いなんて言ってるけど、実際に行われてるのは脇の下に手を入れるだけだったよ」


 ニコルは言葉を発しないけど、体中から応援したいという雰囲気が漏れていた。


 葵は無表情のまま奏太の不安そうな様子を眺め続けている。


 奏太は不安そうな表情のままくすぐり相手を見つめながら呟く。


「だといいんですけど。とりあえずみなさんありがとうございます。元気づけられて勇気が出ました。僕もくすぐり合いを耐えられる気がしました」


 俺は語気を強めながら声をかけた。


「奏太さんならいけます。頑張ってください」


 奏太は軽く片手を上げながら、明るそうな女性と一緒に近くの空きテーブルに向かっていく。


 俺たちも最後の共住者の奮闘の行く末を見守るために、奏太の後を追っていった。



 奏太と明るそうな女性がテーブルを挟んで相手の顔を見つめていく。


 奏太は弱弱しい様子で挨拶をした。


「あ、よろしくお願いします」


 明るそうな女性は髪を押さえながら軽く頭を下げていく。


「はい、よろしくお願いします」


 明るそうな女性はパッと見た感じでは嫌な雰囲気を感じることは無く、奏太のことを笑わせようとする相手じゃないのは感じた。


 奏太は硬い表情で明るそうな女性に質問する。


「えっと、お姉さんの脇の下をくすぐろうと思ってるんですけど、大丈夫ですよね?」

「はい、いいですよ。私もお兄さんの脇の下を狙いますけど、敏感だとかは大丈夫ですか?」

「あんまりくすぐられたことが無いので詳しくはわかりませんけど、敏感とかは無いですね」

「それじゃ遠慮なく脇の下いかせてもらいますね」

「はい。それじゃあ早速くすぐり合いましょうか」

「了解です」


 明るそうな女性は軽く頷くと、腕を奏太の脇の下に伸ばしていった。

 奏太も明るそうな女性とほぼ同時に相手の脇の下に潜らせていく。

 そして指を小さく動かしていき、彼女の表皮を衣服の上から刺激していった。

 奏太からは相手を笑わせないという意思が強く感じ、それが指の動きにも反映されている。

 それは相手をくすぐっている振りとも見える、とても軽いくすぐりだ。

 一方、明るそうな女性も奏太のくすぐりに負けじと指を動かしていく。

 しかし優しい動きではあるけど、その動きは相手を笑わせないという気遣いを感じないもので、見ていてとても不安を感じる物だった。

 その様子を見て不安を感じているのは俺だけでなく、莉子たちも心配そうな表情を奏太に向けている。

 そして俺たちの想いは届かず、奏太は表情を一瞬崩して声を漏らしていく。


「くぁふぁっ」


 奏太が大きな空気を口から吐き出す。


 その様子を見て明るそうな女性はまさかといった表情を浮かべながら手の動きを止めた。


「えっ」

「う、あっ、体の中から急に笑いの感覚が出てきて、つい。どうしよう」


 奏太がうろたえていると、彼の腕輪が赤く光り出し、警告音を体育館に鳴り響かせていく。

 すると近くに立っていたサイレダイス社員がすぐに奏太に近寄っていき、腕を背中に回して拘束していった。

 他のサイレダイス社員もすぐに奏太の元に走り寄っていき、奏太が身動きが出来ないように体を押さえつけていく。

 その慌しい様子にはすぐに体育館内に居た参加者たちは気づき、視線を釘づけにしていた。

 奏太はサイレダイス社員に体を持ち上げられ、宙に浮かばされてしまう。

 そして静かに、悲しそうな表情を浮かべながら俺たちの方に顔を向ける。


「みんな、ごめんなさい。僕はここまでのようです。僕の分まで快適な生活を送ってください。大翔さん、ぼくのこと誘ってくれてありがとうございました。短い間だったけど、素敵な時間でした」


 奏太はサイレダイス社員に体育館の外に運ばれていく。

 特に抵抗するそぶりを見せるわけでもなく、ただ自分の運命を受け入れていた。


 俺は強い口調で叫んだ。


「奏太さん!」


 莉子も悲しそうに奏太を見つめていく。


「奏太さんっ」


 陽菜は硬い表情で呟いた。


「奏太さん」


 芽依は納得していない表情を奏太に向けながら、腰に手を当てながらつま先を何度も床に打ち付けていく。


 ニコルは寂しそうな顔を作りながら尻尾を下げ、奏太を見送っていった。


 葵は表情を変えずに奏太が運ばれていく様子を静かに眺め続ける。


 奏太は俺たち共住者、館内にいた参加者たちに見守られながら姿を消していった。


 そして、俺たちが茫然ぼうぜんとしているところに、明るそうな女性が近づいてくる。


「私は笑わせるつもりありませんでした。弱めにくすぐっていたはずなのに、あのお兄さんが笑いだしてしまって。本当にごめんなさい」


 明るそうな女性は深く頭を下げた後、申し訳なさそうな顔をし、落ち込んだ様子で自分の共住者の元に戻っていく。


 そう告げられても、奏太が明るそうな女性に笑わされた事実には変わりない。

 もちろんそこには悪意はないのだろう。

 しかし彼女がもっとくすぐる力を弱めていれば、奏太が犠牲にならなかったはずだ。

 それを頭で理解してしまっているから、俺の中に憎しみが生まれていく。

 きっと莉子たちも多少なりとも俺と同じ思いなはずだ。

 しかし、奏太は笑ってはいけないというルールを破っただけであり、自業自得ということもわかる。

 俺たちが抱えている負の感情の行き場が無くなってしまった。


 奏太が連れ去られた後の体育館内の空気は重苦しい。

 それでもくすぐり合いはまだ続いていて、代表社員が抽選番号を叫んでいる。

 こんな空気が重い雰囲気の中でくすぐられて笑う人なんているのだろうか。

 一番最初にくすぐり合いをすることになり、注目を浴びて緊張感で笑いの難易度が下がっていた俺が言うのもなんだけど、奏太が連れ去られて今の館内の空気の中でくすぐり合いが出来る人たちが羨ましい。

 比較的安全な状態でくすぐり合いをまっとう出来るのだから。

 しかしその安全性は奏太の犠牲あってのものなので、やはりどこかに良くない感情が湧きあがってしまう。

 莉子たちも俺と同じ気持ちを抱いてくれたら嬉しい。

 奏太は他の参加者の安全のために笑ったのではないのだから。


 俺たちが暗い表情で佇んでいると、代表社員が俺たち参加者の様子をうかがいながら発言する。


「えー、今戻って来た二人組で今回のくすぐり合いは終わりです。みなさんお疲れさまでした。残念ながら今回、一名笑ってしまい、みなさんの快適な生活の糧になってしまいました。その方に感謝の気持ちを送りましょう」


 代表社員がどこか遠くの宙に向かって目をつむって祈り出す。


「しかしです。一名の方が笑ってしまいましたが、その方以外は無事にくすぐり合いを終えたのです。おめでとうございます。みなさんはこの“楽園”、黙島で快適な生活を送り続ける資格を得られたのです。さあ、引き続き素敵な時間を過ごしてください。このまま私の話を聞いていては退屈でしょう。これにて解散にします」


 代表社員は片手を上げ、その場から退場していく。

 館内に居たサイレダイス社員も代表社員の後ろに並んで体育館から去っていった。


 参加者たちは自分たちが安全になった事、再び快適な生活を過ごせることに安堵しあっていた。

 そして励まし合いながら体育館の外に向かっていき、その場から離れていく。

 前回と違い、参加者たちから不安と恐怖の感情が薄れているのが分かる。

 そして自分たちが置かれている状況に慣れたからか、館内の多くの参加者は比較的早く退散していった。


 しかし俺たちはすぐに気持ちを変えることが出来ないでいた。

 それは当たり前であり、俺たちの共住者を一人失っているからだ。

 しかも二回連続で俺たちは共に暮らす仲間を減らしている。

 慣れることの無い悲しみの気持ちが体の中に湧きあがってきた。


 そして俺の口から自然と悲しみが言葉となってこぼれ落ちる。


「どうしてなんだ。どうして毎回俺たちが犠牲になるんだ」


 莉子は床を見つめながら言葉を漏らす。


「私たち、呪われてるのかな」


 陽菜も暗い表情をしながら呟く。


「あたしたちが何をしたっていうの」


 芽依は天井を見上げながら言葉をかける。


「何でこんな事になっちゃったかな」


 ニコルは尻尾を力なく垂らしながら俯いていた。


 葵も無表情を維持しつつも俺たちを気遣っている雰囲気を出している。

 あるいは空気を壊さないように、俺たちと同じ感情を共有しようとしていた。


 俺は大きなため息を吐きながら莉子たちに言葉を投げかけていく。


「みんな、くすぐり合いお疲れさまでした。今日はもう帰りましょう」


 莉子たちは数秒ほど硬直し続けていたけど、頷いていった。


 そして俺は脱力した体で出入り口に向かっていく。

 俺の後ろを莉子たちも付いてきているのが足音で分かったけど、その足取りからは元気を感じられない。




 体育館を出てから数十秒後。


 俺たちは体育館脇に停めてあった電動キックボードを眺めていた。

 今回も前回同様に電動キックボードを一台この場に残していくことになるだろう。

 その理由はこの場にいる全員が分かっているはずだけど、俺みたいに理解しようとせず現実逃避を試みている人は居るだろうか。

 俺たちは各々電動キックボードに乗り込んでいく。

 そして傷心している俺たちにお構いなく、前方には道案内用のサイレダイス社員が操縦しているドローンが宙で俺たちを待っている。

 暗い気持ちの抱いたまま俺たちは右ハンドルに備わっているアクセルを押し込んでいく。

 俺たちがドローンの後ろを追いかけていくと、ドローンも親切に前方を進んでいき誘導してくれた。

 俺たちの気分が天候に反映されるはずは無いけど、今の天候は太陽が雲で隠れていて黙島全体が薄暗くなっている。

 心なしか俺の顔を撫でてくる風もいつもより冷たく感じ、追い打ちをかけるように気分を冷ましてきた。

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