22話 くすぐり合い その1

 黙島を走って数分後。

 

 ドローンを追いかけていくと、もはや見慣れてしまった体育館の外観が姿を現した。

 そのまま走行を続けていくと、無事に体育館脇に到着する。

 今回も俺たちよりも先に到着していた他の参加者が停めたであろう電動キックボードが周囲に置かれていた。

 正確な台数は覚えていないけど、前回とあまり変わってないように思える。

 それに比べて俺たちが乗ってきた台数は減っていた。




 電動キックボードを停めてから数十秒後。


 俺たちは再び、いや三度みたび体育館に足を踏み入れていった。

 確かに恐怖や不安といった感情は体の中にある。

 しかし悲しいことにここに来ると安心感を覚えている自分が居た。

 ここに居れば高い確率で笑ってしまい、今の幸せな生活を失うはずなのに。

 もしかして俺は人肌に飢えているのだろうか。

 ここにくれば、黙島に住んでいる全員が集まってくるし、サイレダイス社員も加わって賑やかになる。

 俺はそれを望んでいるのだろうか。


 体育館には既に何十人もの参加者が先に到着していて、まだ来ていない参加者たちを待っている状態だった。

 というのは一般的に考えた場合であり、もしかするともう誰もここに来ないかもしれない。

 体育館の外でも笑ってしまえば終わりだ。

 ここに集まっている参加者以外はもう黙島には居ないのかもしれない。

 俺たちが知らないだけで、徐々に参加者が減っているのだろうか。

 そのことを悟っているのか、俺たちを含めたここに集まった参加者は陰鬱な雰囲気を漂わせていく。

 館内の空気はとても重苦しくなっていて、こんなところでは明るい話題を出しづらいだろう。

 たとえ出したとしても、すぐに雰囲気に飲みこまれてしまい、その話題が持つ明るさは消え失せそうだ。


 莉子は暗い雰囲気の中、重い口を開いていった。


「もう少し待てば他の人みんな来ますかね」


 奏太は静かに言葉を吐き出す。


「そうですね。僕たち少し早く来すぎちゃいましたかね」


 陽菜は肩をすくめながら言う。


「というか大翔さん電動キックボード飛ばし過ぎじゃなかったですか? あたしたちも速度上げちゃいましたよー」


 俺は申し訳なさそうに周囲に頭を下げていった。


「あ、ごめんなさい。なんだか爽快な走りをしたくなって」


 芽依は腰に手を当てながら呟く。


「わたしは何も問題なかったけどね。むしろ気持ち良かったかな」


 ニコルは尻尾を下げながら静かに俺たちの会話を聞いていた。


 葵も黙って俺たち、あるいは俺たちの横の宙を見つめている。


 たわいない会話をしていると、いつの間にか館内に居る参加者が増えていた。

 感覚では前回集まった人数とほぼ変わらない。

 つまり館外で笑ってしまった人はほとんどいないということだ。

 俺の予想は大きく外れてしまったけれど、それはそれで杞憂きゆうで終わってよかった。

 なにせ犠牲になった人が居ないということなのだから。

 とはいっても、正確な人数を数えてはいないので、確定できないけど。

 とりあえずは以前と変わらない人数が快適な生活を送れていることに、俺にはあまり関係ないはずだけど安堵のため息が出る。


 そしてしばらくすると、体育館内の扉からサイレダイス社員が数人出てきた。

 そのうちの一人は、見慣れた人物、いつも喋っている代表社員だ。

 代表社員は体育館端の中央まで移動し終えると、俺たち参加者の方に向きを直して声をかけてくる。


「みなさん、こんにちは。お久しぶりです。といってもにらめっこをしてからそれほど経っていませんけどね。みなさんお元気に過ごされていましたか? 生活は快適ですか? 今日はもちろんみなさんの日常生活の様子をうかがうために集まってもらったわけではありません。それはみなさんも分かっていると思います。では何をするのか。そう、みなさんでちょっとしたたわむれれをしようと思います。みなさん、警戒しないでください。にらめっこはしませんので大丈夫です、落ち着いてください」


 代表社員は参加者たちに向けてなだめるようなしぐさをした。


 参加者たちの中には、代表社員の言葉を聞いて緊張させていた顔をゆるめる者が多く居た。

 しかし引き続き不安と恐怖に支配された顔を作り続ける参加者も少なくない。

 俺もその警戒し続けている者たちと同じ考えだ。

 たとえにらめっこをしなかったとしても、今回の招集が安全な物とは限らない。

 莉子たちも同じ考えを持っているだろうかと一瞬様子をうかがう。

 覆面をしている葵はわからないけど、莉子たちも険しい表情を浮かべている。


 代表社員は引き続き説明を続けていく。


「本日は、もっとみなさんの仲が深まるように別のもよおしを用意しました。それはずばり、くすぐり合いです。どうです、素敵でしょう? 直接肌と肌を接触させ、みなさんの心も体も急接近。これはもうすぐに打ち解けて仲良くなるのは必然ですね。みなさんもうれしいですよね」


 代表社員は屈託のない笑顔を浮かべていった。

 その場にいた参加者たちは絶句して静まり返っていく。

 代表社員が喋り出すまでの間、体育館内の空気が静寂に包まれる。

 決してくすぐり合いをするという、とても子供じみたことにドン引きしているわけでは無い。

 にらめっこよりも強烈な終わりに近いことをしなければならないことに衝撃を受けているのだ。

 莉子たちも驚きの表情を作りながら固まっている。

 あの葵の体からもどこか不安そうな雰囲気を感じた。


 代表社員は微笑みながら説明を続けていく。


「では、これからみなさんがくすぐり合う相手を選ぼうと思いますが、今回も公平に選ばれるように抽選装置の方を使わせていただきます」


 代表社員が片手を上げながら遠くのサイレダイス社員を見つめる。

 すると、前回も見た抽選装置が乗った長方形型のテーブルを押しながら、サイレダイス社員が代表社員に近づいていく。

 代表社員は抽選装置に近づいていきながら説明を再開する。


「これから装置を使って抽選をしていきますが、これも前回同様に抽選番号が発表されたら、体育館の四隅に設置されたテーブルに向かってください。移動し終えたら互いに相手の体をくすぐってもらいます。どこをくすぐるかとか、力加減はみなさんの自由です。相手と仲良くなれそうな場所を攻めてください。あと、もちろん笑ったらどうなるかはみなさんすでにご存じですよね?」


 代表社員はニッと笑顔をこちらに向けてきた。

 そして抽選装置のボタンを早速押していくと、正面の画面に数字が表示されていく。

 それを見て代表社員が大きな声をあげていった。


「まず最初にくすぐり合う人たちは、39番(大翔)と35番(莉子)。該当する方はどうぞ、近くのテーブルでくすぐり合ってください」


 俺は恐怖に包まれながら自分の腕輪を見つめる。

 悲しいことに自分の番号は未だに覚えられない。

 なんて思っていると、なんと早速抽選に当たってしまっていたようだった。

 一番最初の組み合わせは他の参加者の視線も多いはずだ。

 うまくやれるだろうか不安が湧きあがってくる。

 むしろこの不安が作用してくすぐりに意識が持って行かれずに笑わずに済むのではないだろうか。

 そう考えたら一番最初に選ばれたことは実は幸運なことかもしれない。

 そして俺とくすぐり合うのはどんな人物だろうと周囲を見渡していく。

 他の参加者も自分の腕輪に書かれている番号を確認していたり、俺と同じく周囲の参加者の様子をうかがっている。

 ほんの数秒ほど俺のくすぐり相手を探してみたけど、なかなか見つかる気配を感じなかった。

 目が合う参加者は居たけれど、一緒にテーブルに行きましょうという雰囲気は感じられない。

 むしろ野次馬的な視線だ。

 では俺のくすぐり相手はどこに居るのだろうか。

 もしかして、既にこの黙島から去った番号の人と当たってしまった可能性もある。

 俺は誰ともくすぐり合わないで済んだのだろうか。

 なんて考えていると、俺のすぐ近くに居た女性から声をかけられた。

 その声は、とても聞き慣れたもので、親しみを感じる。

 声を出した人物に顔を向けると、そこに立っていたのは莉子だった。

 そのまま莉子の顔から腕輪に視線をずらしていくと、『35』と小さく書かれている。

 俺のくすぐり相手は莉子だった。


 莉子はどこか嬉しそうな表情をしながら呟く。


「あの、私、大翔さんとくすぐり合うみたいです」

「あ、はい。まさか莉子さんとくすぐり合うことになるなんて、幸運ですよ」


 陽菜は俺たちの横に移動してきて、羨ましそうな顔を向けてくる。


「えぇ、いいなぁー。あたしもみんなとくすぐり合いたいよー。気楽にやりたい」


 莉子はどこか申し訳なさそうな顔をしながら言う。


「と言われても、組み合わせについては抽選装置が決めてるので」

「それはわかってるよ」


 奏太は少し口角を上げながら言葉を漏らす。


「ここは素直に喜びましょうよ。実質二人はここで笑って終わる危険性から免れたんです」


 芽依は不機嫌そうにしながら腕を組む。


「こんなラッキーなことが起きたのに笑うなんてヘマするんじゃないよ。ぶっ殺すよ」


 俺は苦笑しながら返事した。


「気をつけます」


 あまりにも幸運なことが起こったので、思わず俺の顔が緩んでいった。

 しかしすぐに引き締めた顔にしようと意識する。

 このまま顔を緩み続けたら、ここで終わる可能性があった。

 すぐに気づけて良かったと安堵する。

 莉子も自身の恵まれた状況に少し口角を上げていた。

 俺はそのまま笑顔になって、小さな笑い声を出しそうで不安で仕方ない。

 俺は心配そうな声音で声をかけていく。


「莉子さん、あんまり笑顔を見せないでね」

「あっ、ごめんなさい」

「いや、べつに謝る事ではないけど」


 莉子はすぐに冷静さを取り戻し、表情が消えた顔を作っていった。


 俺は近くに設置されたテーブルに向かいながら、莉子を小さく手招きする。


「さあ、早いとこくすぐりを済ませましょう」

「はい」


 莉子は小さく頷いて返事をし、俺の後ろをついて来た。


 テーブルに到着すると俺と莉子は互いに見合って立つ。

 今から目の前にいる莉子を笑わせないようにしながら体を触っていかなくてはいけない。


 くすぐりとは相手の皮膚が薄く、神経が近く敏感な所を刺激する行為だ。

 基本的には脇を手で柔らかく触っていくのが定番。

 脇腹も脇と同等か、ちょっと敏感さが低くなるけどそこも相手をくすぐる場所だ。

 そして足の裏を刺激するのも高い効果が得られるけど、残念ながら今回は出来ないだろう。

 ここに来ている参加者全員は靴を履いているので、素足を触ることが出来ない。

 しかし、お願いして靴を脱いでもらえば足をくすぐることが出来るけど、そもそもそこまでして相手を笑わせたいわけではない。

 最後に股間周辺の皮膚もとても敏感だ。

 だけどこの箇所は女性だろうと男性だろうと自分以外の他人に触れられるのは嫌悪感を感じるはずだ。

 そして人間関係も崩壊し、今後一生引きずる可能性もあり、快適な生活から一瞬で遠くなってしまうだろう。

 そんな意味の無い行為をするわけにはいかない。


 俺は莉子の体まじまじと見つめる。

 脇をくすぐるのが無難だとは思うけれど、莉子というか、女性の脇に触れていいのだろうか。

 脇と一緒にあまり他人に触れて欲しくない所を触ってしまわないか心配だ。

 不安な眼差まなざしで莉子の胸部を見つめる。


 すると莉子は照れくさそうにしながら言う。


「どうしかしましたか?」

「いや、えっと、その、どこをくすぐろうか悩んでしまって」


 こういう時は近くに居るサイレダイス社員に質問した方がいいだろう。

 俺は近くでこちらの様子をうかがっていたサイレダイス社員に声をかけていく。


「あの、すみません。くすぐる場所は自由にしていいのでしょうか?」


 サイレダイス社員は淡々と説明してくれた。


「はい、基本的にどこでも大丈夫ですけど、あまり効果が薄いところを意図的にやるのはやめてください。それはただ触っているだけなので」

「そうなんですね。分かりました」


 俺は軽くお辞儀をして、莉子に視線を向ける。


「だそうです」


 莉子は苦笑しながら言う。


「あごの下とかくすぐって軽く済ませようと思ったのですけど、それはダメな感じですかね」

「まぁ、犬や猫にやっても笑わないでしょうから、認められないでしょう」

「そうですよね。困りました」

「大丈夫です。莉子さんは遠慮せず俺のどこでもくすぐってください。笑いませんから。それよりも俺はどこをくすぐったらいいでしょうか? 脇をくすぐろうと思ってるのですけど、莉子さん嫌じゃないですか?」


 莉子はすぐに首を左右に振っていく。


「全然。大丈夫ですよ。大翔さんどうぞ私の脇をくすぐってください」

「莉子さんがそういうなら、遠慮なく失礼します」


 莉子からの許可をもらえたとしても、やはり女性の体に触れるのは気が引けてしまう。

 そして彼女が許可を出したのは脇をくすぐる事のみであり、うっかり別の場所に手が当たることを想定したものでは無いだろう。

 なのでもし俺が失態を犯してしまったら、許可をすり抜けて俺の快適な生活が終わりを迎えるはずだ。

 そうならないように、ゆっくりと莉子の脇に両手を近づけていく。

 一方莉子も、俺の脇に頼りない腕を伸ばしてくる。

 俺は莉子の脇の下に指を触れさせ、それぞれの指を緩やかに動かしていく。

 そしてその指たちで莉子の肌を刺激していった。

 もちろん服の上からなので、肌の接触は無い。

 むしろ莉子の肌の感触が無い方が都合がよかった。

 たとえ仲が深まっている相手だったとしても、莉子も立派な大人の女性だ。

 女性との接触が多いとは言えない俺にとってはそれは笑いよりも刺激が強いかもしれない。

 きっと表情に莉子の肌に触れた反応が出てしまう可能性がある。


 莉子は俺のくすぐりでどう感じているのか気になったので、彼女の顔を見てみた。

 もし俺のくすぐりが強かった場合はもっと軽く刺激しなければいけない。

 俺のくすぐりなんかで莉子を失ってしまったら、快適な生活どころではない。

 いや俺の今後の人生全てが不快なものに変わるだろう。

 そんなことはあってはならないと意識しながら、指を動かす速度を落としていく。

 莉子の顔は平常心、あるいは特に何も感じていないようなものだった。

 もちろん笑わないように意識していて無表情になっているのかもしれない。


 一方莉子のくすぐりを受けている俺はというと、まったく感触を感じていない。

 もちろん俺も服を着ているので、直接肌を触れられていないので刺激は少ない。

 けどそれだけでなく、莉子も俺と同じように笑わないように最大限手加減しているのだ。

 そのおかげで俺は気を引き締める必要がない状態だった。

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