20話 飴と鞭

 港を目指して黙島を移動して数分。


 俺たちは港に到着した。

 ほんの数日前に俺たちが最初に黙島に足を踏み入れた場所。

 港には俺たち以外の大勢の参加者たちが既に到着している。

 その光景はどこか懐かしさを感じた。

 まだ誰とも仲を深めていない、来島初日と似た状況だ。

 しかし今回は俺たちだけじゃなく、ほとんどの、あるいは全員が共に暮らす者たちと一緒に港に足を踏み入れている。

 そんな俺たち“楽園”参加者は、目の前に停泊されている船を見つめていた。

 これから起こることに警戒しているのか、周囲に強い緊張感が張り詰められている。

 また、海の上でたゆたう船は、強い存在感を放っていた。

 大きさは豪華客船とは程遠いけれど、多くの荷物を運ぶには十分だろう。


 陽菜が船を見つめながら呟く。


「これからいったい何が始まるんだろう」


 奏太は不安そうに船を眺める。


「そんなの決まってるじゃないですか」


 芽依は硬い表情で船を睨みつけた。


「気を引き締めていくよ」


 莉子は冷静に船を傍観する。


「笑わないように、気を緩めすぎないようにしましょう」


 俺も莉子の意見に賛同した。


「はい。みんな、頑張りましょう」


 ニコルは尻尾を股に通し、周囲の参加者の様子をうかがいながらおどおどする。


 葵も覆面でどんな顔をしているかは分からないけど、少し落ち着かない様子で船と他の参加者たちを交互に眺めていく。


 俺たち参加者が港で電動キックボードに乗りながら待機していると、近くの柱に設置されたスピーカーから音声が流れてきた。


『みなさん、ようこそいらっしゃいました。そうです、みなさんが今立っている場所は、みなさんがこの黙島に初めて来た場所です。どうですか、懐かしいでしょうか? なんて、懐かしむためにみなさんにここに集まってもらったわけではありません。みなさんが今、生活をしていて、何か危機感を感じていることはないでしょうか? 私たちはみなさんのその不安を解消するために、素敵なものを持ってきました』


 アナウンスが途切れると、船から小さな金属製の梯子が下りてきて、港との間に道が出来上がる。

 そして黒いスーツを着た何人ものサイレダイス社員がダンボール箱を抱えて船から港に降りてきた。

 俺たち参加者は一体何が起こるのか不安を抱きながら目の前の光景をただ静かに見つめ続ける。

 そして、スピーカーから再びサイレダイス社員の音声が流れだした。


『食料品はもちろんの事、石鹸、歯磨き粉、歯ブラシ、トイレットペーパー、洗剤……などといった日用品、ご用意していますよ。目の前に私たちがダンボール箱を積み上げていると思いますが、その中にみなさんが欲しいものが詰まっています。その品物はすべてみなさんのものです。全員分しっかり用意しているので、奪い合う必要もありません。しかも、特に条件無く持ち帰って大丈夫です。どうぞ、快適な生活の為に役立ててください。欲しいものが揃ったらすぐに帰ってもらって構いません。では、引き続き素敵な生活をお過ごしください』


 アナウンスが途絶えると、サイレダイス社員はダンボール箱を港に放置したまま船に戻っていく。

 そして、無防備になったダンボール箱に、一人、また一人参加者たちが近づいていった。

 ダンボール箱を開けて中を確認すると、暗い表情から一転し明るい表情を見せていく。

 その様子を見た他の様子を見ていた参加者がダンボール箱に歩み寄り始める。


 俺も自然とダンボール箱の中身が気になり、足が勝手に動き出していた。

 莉子たちも同じようで、俺に続いてダンボール箱に近づいていく。

 俺はまだ開けられていないダンボール箱の前に到着すると、その場でしゃがみ、中を確認する。

 すると、中にはインスタント食品の箱がたくさん詰められていた。

 俺は思わず声を漏らしてしまう。


「うわ、食料が入ってます!」


 近くで他のダンボール箱を開けていた莉子も大きな声を出していく。


「わぁ、こっちは新しい洗剤があります!」


 陽菜もまた別のダンボール箱の中を確認した。


「トイレットペーパーがあるよ!」


 奏太は小さく驚きながら呟く。


「これで安心して歯を磨ける」


 芽依は顔をゆるめながら言う。


「お、入浴剤じゃん」


 ニコルは静かにダンボール箱を開けて、中に入っていた物資を見つめる。


 葵も物音をたてずにダンボール箱を開け、中に入っていた物を取り出す。


 これだけ日用品があれば、今後のことを心配せずに快適に過ごせるはずだ。

 そんなことを考えると、先ほどまで体をむしばんでいた憂鬱な気分が徐々に晴れていく。

 そして今にも笑い出しそうなほど嬉しさを感じている。

 しかしこのまま嬉しい思いを抱き続けていれば、俺はもしかして笑ってしまうかもしれない。

 そう思うと、俺は奏太に声をかけていった。


「奏太さん、危ないかもしれません」


 奏太は顔を上げながら疑問を浮かべる。


「え?」

「俺、喜びで笑うかもしれません。奏太さん、俺の頬っぺた叩いてくれませんか? 痛みでこの気持ちを上書きしてください」

「あっ、すぐにやります! 大翔さん笑わないでください!」


 奏太は慌てた様子を見せながらすぐに俺のもとに駆けより、右手を振り上げた。

 そして俺の左頬に向けて右手の平を勢いをつけてぶつけてくる。

 俺の左頬から激しい痛みが体に走っていき、軽い発破音が鳴っていく。

 その反動で俺は顔を右に向けさせられた。

 しかし、奏太の平手打ちのおかげで一瞬にして高揚が冷めていく。


 奏太も冷静な顔を作りながら言う。


「大翔さん、僕の顔も叩いてください」

「分かりました。今助けます」


 俺はもう少しでこの“楽園”生活が終わるところだった。

 そこを奏太の強い平手打ちのおかげで免れることができた。

 それにはとても感謝しているし、とても効果的だ。

 なら俺も効果的だと感じたことを奏太にすればいい。

 俺は右手を振り上げたら、思い切り奏太の左頬にぶつけていく。

 普段なら罪悪感でこういう行為は一切できないけど、今は共住者を助けるという正義感のある行いだ。

 だから手加減なんてものは俺の体は拒絶した。

 

 奏太は左頬を手で押さえながら、少し安心した様子で呟く、


「あぁ、気持ちが少し落ち着きました」


 莉子も神妙な面持ちで陽菜に頼み込む。


「陽菜さん、私のことも叩いてもらえませんか?」


 陽菜は少し戸惑いながら尋ねる。


「え、あたし!? あたしが莉子さんを叩くの!?」

「お願いします。私も嬉しさで笑ってしまうかもしれません。助けてください。叩いてください」


 陽菜は一瞬たじろぐけど、すぐに右手を軽く上げたら、莉子の左頬にぶつけていく。

 莉子の左頬から軽い衝突音が発せられた。


 莉子は顔を右に振りながら苦痛の表情を見せる。


「くぅっ」


 陽菜は莉子の腕に手を添えながら心配した。


「だいじょうぶ?」

「大丈夫です。笑うくらいなら多少の痛み何てなんてことありません。それより、陽菜さんも大丈夫ですか? 嬉しくて笑いそうじゃないですか?」

「あたしは莉子さんの痛がっている様子を見て少し落ち着いたかな。でももっと冷静になるために、あたしも叩いてほしい。莉子さん、お願いできるかな?」

「はい、もちろんです」


 莉子は大きく頷くと、右手を軽く上げていく。

 そして勢いよく陽菜の左頬に向けて振っていった。

 陽菜の左頬はパチンと軽い音を鳴らす。


 陽菜は顔を右に向けさせられながらうめく。


「うっ」


 そして左頬を手で押さえながら苦笑する。


「ありがとう。痛みで一気に気持ちが沈んだよ」


 一方、芽依は俺たちの様子を見て、ニコルと葵に視線を向けがながら肩をすくめる。

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