17話 にらめっこ終了後

 俺たちのすぐ近くにいた明るい男性、蓮。

 しかし彼の存在が一瞬にして俺たちの前から消え去っていった。

 蓮はもう二度と俺たちの元には帰ってこない。

 どんなに願ったとしても再び彼の姿を見ることは出来ないのだ。

 もちろん心のどこかには何か間違いがあって戻ってきて欲しいという希望はある。

 しかし俺たちは蓮が笑ったのを見ているので、その奇跡が起きるのは絶望的だ。

 そのことを悟ってしまうと、俺も自然と悲しみが口からこぼれ落ちていく。


「どうしてなんだよ。なんでこんなところで笑ってるんだよ」


 一方、俯き気味な女性は申し訳なさそうに、あるいは自分が犯してしまった罪から逃れるように自分の共住者たちの元に帰っていった。

 彼女は蓮を笑わせて、終わりに導いた張本人だ。

 本来なら恨みを彼女に向けるのが自然だろう。

 しかし彼女は決して蓮を悪意で笑わそうとしていたわけではない。

 蓮が過剰に笑いの感受性を刺激され、一人勝手に笑っただけだ。

 全員のにらめっこを確認していないので断言はできないけど、この館内に居る参加者たちはみんな同じ条件だ。

 相手を笑わせないように軽い変顔でこのまま快適な生活を続けようとしていた。

 誰も悪くないのだ。


 俺は莉子たちと一緒に暗い表情でその場で立ち尽くしていた。

 そんな時、体育館内に代表社員が大きな声を出していく。


「はい、みなさんお疲れさまでした。さっきの抽選番号で今回のにらめっこは終わりです。みなさん無事楽しんでいただけたようですけど、残念ながら一名笑ってしまったようです。しかしその者の存在は決して無駄にはなりません。笑ってくれる人が居るからみなさんは快適な生活を送れているのです。さぁ、みなさんも笑ってしまった方に感謝を延べましょう」


 館内に居た参加者たちは戸惑い、周囲の様子をうかがっていった。

 そして最初に一人が雰囲気に飲まれて目をつむって何かに祈る。

 するとまた一人、二人とまるで感染するかのように祈りをささげる参加者が増えていく。

 その波は俺たちにも届いてきて、陽菜は涙を流しながら両手を顔の近くで組んだ。

 莉子たちも静かに目をつむっていき、遠くに向かって何かを願っているようだ。

 蓮はまだ黙島にいるのに、まるでもうどこか遠い場所に行っている流れに俺は不快感を覚える。

 もちろん瞬間移動装置が開発され、黙島に配備されている可能性は無くは無い。


 ニコルも沈黙を守りながらどこかに祈りをささげている。


 葵も覆面姿で今なにをしているのか全く分からないけど、空気を読んでいるのなら覆面の下で蓮に向かって祈っているであろう。


 俺もさっきまで共にしていた、そして今まで一緒に過ごしてきた蓮に向かって思いをぶつけていく。

 何かの間違いであってくれ、また一緒に過ごそう。

 他の参加者たちは何を祈っているのかは分からない。

 だけど莉子たちはどうだろう。

 莉子たちも他の人と一緒で、別れや感謝を伝えているのだろうか。

 それとも俺と同じように、再び俺たちの前に戻ってくるように願っているのだろうか。

 出来れば後者であって欲しいけど、他人の思考は俺がどうこうできるものでは無い。


 代表社員は再び大きな声を館内に響かせていった。


「みなさん、ありがとうございます。みなさんの思いはきっと笑った方にも届いているでしょう。それでは、本日の催しはここで終わりにしたいと思います。みなさんご自由に解散してください。なお、にらめっこが終わっても笑ってはいけませんからね。快適な生活を続けたいのであれば、笑わないように。ではみなさん、またお会いしましょう」


 代表社員はピシッと腕を上げて俺たち参加者に別れの挨拶をする。

 そして彼の後ろをサイレダイス社員たちがついていき、代表社員たちはそのまま体育館端を移動していき、そのまま外に消えていった。


 体育館には参加者たちが取り残されてしまう。

 取り残されるといっても、すでに解散してもいいと言われているので本来なら館内に居続ける意味は無い。

 でも俺たちはその場から動こうとしなかった。

 正確には体が動かなかったというのが適切かもしれない。

 俺たち参加者は終わりとすぐ隣り合わせのにらめっこを経験したのだ。

 そう簡単に気持ちを切り替えられるものでは無い。

 でもだからといってここに居続けていても何も意味は無いし、何も変わらない。

 俺たちは“楽園”を満喫するためにこの黙島にやってきたのだ。

 こんなところで呆然とするためではない。

 なら俺たちがやることはもう決まっている。


 俺は莉子たちに固い笑みを向けて言う。


「さあ、帰りましょう。俺たちの家に」


 陽菜は涙でぬれた顔を俺に向けてくる。


「蓮さんは? 蓮さんはどこ? 蓮さんも一緒に帰るの」


 そんな悲しそうな顔を向けられても俺にはどうしようもない。

 蓮はもうここには居ない。

 そのことをはっきりと陽菜に伝えて現実を受け止めてもらおうとする。

 しかしなかなか俺の口が開かない。

 俺がその言葉を言ったら、俺の中にあるわずかな希望、奇跡すらなくなってしまう気がする。

 それは俺の思考ではなく、本能的な何かがそう訴えていた。

 なのですぐさま俺は陽菜かける言葉を変更する。


「蓮さんは、ちょっと用事があるから、あとで合流しましょう」

「うん」


 陽菜は小さく頷くと、その場に立ち上がろうとした。

 俺はそれを補助しようと彼女に手を差し出すと、陽菜も俺の手を握る。

 また陽菜のことを心配していたのは俺だけじゃないようで、莉子と奏太も両脇から陽菜が立ち上がるのを支えようとした。


 立ち上がったのは陽菜だけではないようで、心を立ちなおせた参加者たちは次々と我に返り、体育館出入り口に向かっていく。

 そして外に出たら自分の家に向かって姿を消していった。

 俺たちはそんな参加者たちの姿をただ茫然ぼうぜんと眺めながらその場で立ち尽くす。

 陽菜がその場に立ち上がったとしても、俺たちの心は他の参加者たちのようには立ち直れてはいない。


 しかし、その状況にしびれを切らした人物が出現した。

 芽依は機嫌が悪そうに俺たち共住者全員に怒鳴りつける。


「いつまでここにいる気だよ。ぶっ殺すよ」


 俺は芽依の言葉に反射的に謝罪した。


「あ、ごめんなさい。それではみんな、家に戻りましょう」


 莉子は深く頷きながら言う。


「はい」


 奏太も静かに首肯する。


「そうですね」


 ニコルと葵もよく観察しなければ分からないほど無言のまま小さく頷いていく。


 芽依は腕を組みイライラしながら体育館の出入り口を見つめていた。


 陽菜は莉子と奏太に背中を押されながら体育館の外に向かっていく。


「そうだね。かえろう」


 俺は落ち込んでいる陽菜の様子を何度もうかがいながら外に歩いていった。

 もちろん俺もまだ落ち込んでいるけれど、目の前に脱力した姿の共住者がいると、自分の事よりもそっちに気を取られてしまう。

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