16話 にらめっこ開始 その3

 そして数秒後。


 ニコルは何事もなかったように俺たちの元に戻って来た。

 しかし顔には出していなかったけどやはり不安を抱えていたのか、大きなため息をつく。

 そんな彼女に俺は今回もねぎらいの言葉をかけていった。


「お疲れ様、ニコルさん」


 ニコルは小さく頷き、尻尾を立てる。


 次は葵の名前が代表社員に呼ばれた。

 葵は黙々と周囲の対戦相手を探し、何となく目が合った人の腕輪を確認していく。

 葵の覆面はサイレダイス社員の黒スーツよりもさらに目立つ容姿なので、注目される頻度が多く容易に視線を集めていた。

 しかしそれは抽選で選ばれた参加者以外のも集めているので、対戦相手を一瞬で判断するのが難しい状況になっている。

 だけど葵はまさかの一発で自分のにらめっこ相手を勘で当てたのか、相手と一緒に空いているテーブルに移動していく。

 対戦相手もまさか覆面マスクを被った相手とにらめっこするなんて思っていなかっただろうから、明らかに戸惑っていた。

 葵も俺たちと一緒に住んでいる共住者なので、覆面でよくわからない存在だからといって興味を示さないのは違う。

 考えだけでなく、体の奥にある言葉で説明できない感情が、葵のにらめっこの行く末を見守りたがっていた。

 それは俺だけじゃなく、莉子たちも自然と葵の近くに移動している。


 葵の対戦相手は相手が覆面していることにどうすればいいのか分からなくなったのか、近くに居たサイレダイス社員に質問した。


「あの、対戦相手が覆面をしていて表情が分からないんですけど」

「そうですね。でも、腕輪はちゃんとはめてはいるので、にわめっこは出来ますね。笑ったらしっかり反応しますので、始めてください」


 そして葵の対戦相手は説明を聞いても、あまり納得してなさそうな様子で、掛け声を言い始める。

 葵も小さな声で掛け声を言っているけど、やはり覆面の空気清浄機が声をくぐもらせていて、あまり正確には聞こえなかった。

 しかしこの状況で何を発するかは誰でも予測できるので、何を言っているかは頭が勝手に補完してくれる。

 葵は覆面の上から目じりを下から押し上げるようにしていく。

 葵本人はそれを変顔だと思っているようだけど、葵のことを見ている全員は覆面マスクの位置を調整しているようにしか見えない。

 よって対戦相手はもちろんの事、葵の周囲にいた人全員は特に笑う事は無く、比較的安全に観戦することが出来た。


 そして、葵は何事も無かったかのように俺たちの近くに寄ってくる。

 俺は葵にねぎらいの言葉をかけた。


「葵さん、お疲れ様」


 葵は無言のまま頷き、俺のことを見ているのか、別のところを見ているのか分からないけどぼーっとしていく。


 すると、また代表社員による次の抽選者が発表されていった。


「次、36番と2番(蓮)!」


 蓮は自分の腕輪を確認すると、慌てて周囲を見渡しくいく。

 俺も自分の番じゃないけど、なぜだか釣られてしまい蓮とのにらめっこ相手を探すために首を回してしまう。

 すると俯き気味な女性が蓮の腕輪を確認し、近づいて来た。

 きっと彼女が蓮とにらめっこする相手なのは間違いない。


 蓮は硬い笑みを浮かべながら俯き気味な女性に尋ねる。


「えーっと、オレとにらめっこする方ですよね? よろしくお願いします」


 俯き気味な女性は軽く頭を下げながら近くの開いているテーブルに向かっていく。

 蓮も急ぎ気味で彼女の後ろをついて行った。


 そんな蓮に俺は言葉を投げかける。


「蓮さん、気持ちを落ち着けてくださいね」

「はい、助言ありがとうございます」


 蓮は上半身をこちらに向けながら少し明るい様子で返事した。


 莉子も蓮に心配そうに声をかけていく。


「蓮さんが終われば全員無事ににらめっこ終了です。頑張ってください」

「莉子さんにそう言われたら、もう心を殺して無心の男になるしかないでしょ」


 陽菜は緩めた顔で蓮を心配した。


「調子に乗ってると油断した心に刺さっちゃうよ? 気をつけてね」

「まぁ確かにそうだけど、他の人も本気で笑わそうとしてる人いなかったし、だいじょうぶでしょ」


 奏太は冷静な表情で言う。


「相手の人、真面目そうだったから蓮さんも消化試合いけるはずですよ」

「オレもそう思う。みんな心配し過ぎだよ」


 芽依は腕を組みながら蓮を睨みつける。


「喋ってないで早く行きなよ、ぶっ殺すよ」

「はい、そうですよね。いってきます」


 蓮は声音を上げて、芽依から逃げるかのようにテーブルに駆け寄っていく。


 蓮と俯き気味な女性はテーブルの対になる位置で立っている。

 俯き気味な女性はとてもおとなしそうな雰囲気で、自分から話すような性格ではなさそうだ。

 なので蓮が先に口を開いていく。


「えっと、掛け声はどうしましょうか?」


 俯き気味な女性はぼそぼそと呟いた。


「え、あ、一緒に言いましょう」

「あ、了解です」


 蓮が少し困った表情を作りながら一瞬こちらを見つめてくる。

 それはまるで助けを求めているような姿だった。

 しかし助けを求められても俺たちに出来ることはなにも無い。

 ただ俯き気味な女性が軽い変顔をしてくれることと、蓮が笑わないように祈るだけだ。


 蓮はこわばった笑み浮かべながら説明する。


「それじゃあ、オレがせーのっていうので、一緒に掛け声を言いましょう」

「はい」

「それじゃあ、せーの。にらめっこしましょ」

「にらめっこしましょ」

「わらうとまけよ、あっぷっ」

「わらうとまけよ、あっぷっ」

「ぷ」

「ぷ」


 蓮が最後の掛け声の言葉を言い終えると、自分の顔の両側から中心に向けて手で押し込んでいく。

 すると蓮の顔がどんどん縮んでいき、またものすごい数の顔のしわが出来上がり、元のカッコいい蓮の姿が一瞬にして消え去ってしまった。

 今の蓮を見たら、間違いなく女性は彼に興味を示さないだろう。

 あるいは興味を示していた女性も関心が無くなってしまう恐れがある。

 それよりも問題なのは、カッコいい姿をした男性が醜い顔に変化したとなれば面白さが必然的に生まれてしまう。

 俺は大丈夫らしいけど、他のみんながどう感じているか分からない。

 一応手加減はしているとは思うけれど、それでも破壊力は残っている。

 俺たちにも、そして目の前の俯き気味な女性を笑わせてしまう危険性があることをしている自覚を持っていればいいのだが。


 一方、蓮の前方にいた俯き気味の女性はというと、白目をむき出しにしていた。

 その変顔の方法はとっても比較的楽な方法だ。

 しかし手軽な手段なため見慣れた技であり、意外性も無いのでそれで笑う人は少ないだろう。

 ましてや今現在は緊張感が漂っているので、そんな軽い技で相手を笑わせるのは難しい。

 だけど俯き気味の女性も相手を笑わせてはいけないという考えを持っているのなら、それは正しい行いだ。

 ただし、白目だけであれば。

 なんと彼女は白目だけでなく、口角も少し上げて不気味に笑っていたのだ。

 俺の感覚ではそれは面白いと感じてしまう。

 なぜなら俯き気味の女性から放たれる負のオーラからの落差が激しいからだ。

 彼女がそんな大胆なことをするとは思っていないので、まさに不意打ち。

 この笑ったら終わりという緊張感が無ければ、たやすく笑う人が居てもおかしくない。


「ぷはっ」


 その時、体育館に一人の笑い声が響き渡る。

 それは男性の声だった。

 しかも俺、あるいは俺たちはよく聞き慣れた声。

 その笑い声を発したものは、蓮。


 俺たちはまさか蓮が笑うとは思っていなかったので、驚きで言葉を失いながら彼のことを見つめ続ける。


 蓮も自分が笑ってしまった事実に驚いているようだった。


「え、オレ、笑ってないよね? ちょっと息が出ただけだよね!?」


 俯き気味な女性は慌てながら言葉を発する。


「え、あ、ごめんなさいっ。ごめんなさい。そんな、笑わせるつもりじゃなかったの。こんな顔で笑うなんて思ってなかったもの。ごめんなさい」


 すると、蓮の腕輪が突如赤い光を灯しだし、周囲に警告音を鳴り響かせていく。

 その警告音が体育館を支配していくと、その音を聞いた館内に居た参加者たちも音の発生源、および笑ってしまった人を確認するために視線を向けていった。

 もちろん館内に居たサイレダイス社員も顔を向けていき、また笑ってしまった人を認識出来たら、その対象に駆け寄っていく。


 蓮は慌てふためきながら俺たちを見つめる。


「え、なんで!? オレは笑ってない! オレは笑ってないから」


 そして近くに居たサイレダイス社員が蓮の両手を後ろで固めて行動を封じる。

 次に蓮の元に辿り着いたサイレダイス社員が蓮の両足を掴んでいき、宙に浮かせていく。

 蓮の体がサイレダイス社員によって床から離されていき、移動が制限された。

 蓮は身じろぎしながらサイレダイス社員の拘束から逃れようとしていく。

 そして俺たちを見つめながら大きな声を出していった。


「大翔さん! 助けてくれ! 莉子さん、助けて! 陽菜さん、たすけて!」


 俺はどうしたら蓮のことを助けられるだろうかと一瞬考えを巡らせる。

 しかし何も思い浮かばなかった。

 なにせ黙島で快適な生活を送るためには笑ってはいけないというルールがあるのだ。

 そのルールに反してしまい、蓮がつけている腕輪が笑ったと判定した。

 腕輪の判定だけでなく、俺たちも実際に笑ったところを目撃して、認識している。

 なので蓮は笑っていないと抗議する理由が見当たらなかった。

 だから俺たちは、サイレダイス社員に連行されていく蓮を助け出そうとはしなかった。

 もちろん俺の心の中には蓮を助け出したい、助かって欲しい、見逃されてほしいという気持ちはある。

 だけどどうしようもないのだ。

 そのことは俺だけじゃなく、莉子たちも同じだろう。

 莉子たちもただ連れていかれる蓮に向かって心配そうな声を投げかけることしか出来ないでいた。


 莉子は大きな声を上げていく。


「蓮さん、そんなっ。嫌です。蓮さん!」


 奏太も慌てながら声をかけていった。


「蓮さん、嘘でしょ!?」


 芽依は不機嫌だった顔を心配そうな顔にしながら言葉を放つ。


「蓮さん、どうしてだよ! ぶっ殺すよ!」


 ニコルは尻尾を下げながら心配そうにうろたえていく。


 葵も表情は一切分からないけど、何かしなくては、どうにかしなくてはといった感情が、足を踏み出したり引っ込めたりしている様子から分かった。


 陽菜は体育館に荒げた声を響かせていった。


「蓮さんっ! 待って! 置いていかないで! 蓮さん行かないで! お願い!」


 蓮は体を運んでいるサイレダイス社員に今も必死に抵抗しながら大声を出していく。


「離せ! オレは笑ってないから! 腕輪の誤作動! 誰かチェックしてくれ!」


 しかし蓮の訴えはむなしく体育館に吸い込まれるだけで、サイレダイス社員は蓮の言葉を無視し続ける。

 俺たちの願いも届くことなく、蓮は悲鳴を体育館に響かせながら出入り口に運ばれていく。

 そして蓮の姿が体育館から見えなくなり、蓮の訴えも徐々に小さくなっていった。

 雲に遮られた太陽の明かりが穏やかに体育館の出入り口付近の床を照らしていく。


 陽菜は自分の顔を両手で押さえながらその場に崩れ落ちていった。


「蓮さん、蓮さんっ」


 莉子は悲しそうな顔を作りながら陽菜に近寄っていき、背中を撫でていく。


「何でこんなことに」


 奏太はまるで自分事のように悔しがる。


「くっ、蓮さん」


 芽依は怒りをにじませた表情を出入り口の外に向けていく。


「笑うなって言ってるだろ、ぶっ殺すよ」


 ニコルは尻尾を下ろし、寂しそうに外の様子を眺める。


 葵はいつもと同じく、表情が分からない覆面姿で体育館の出入り口を見つめていた。

 無言で無表情、しかし葵の体からは俺たちと同じ雰囲気は感じ取れる。

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