5話 見て覚える
数十秒後。
50人ほどいる“楽園”の参加者が全員体育館に入ってきた。
それでも空間に余裕を保っている体育館の広さに少しだけ感心する。
そしてこの館内にも防犯カメラが設置されていた。
まるで犯罪者を一切見逃さない意思を感じるような過剰な数がある。
また、体育館の隅の各所には黒スーツのサイレダイス社員が立っていた。
彼らの足元には両手で抱えられるほどのプラスチックの箱が置かれていて、中に何かが詰まっているようだ。
参加者たちは一言も漏らさずに沈黙を貫き続ける。
お互いが知らない人間だからという事もあるけれど、ここにいる全員が喋る余裕が余り無い雰囲気を漂わせているから、喋る気が無いか、もしくは喋る気力が残っていないのか。
そもそも元気があれば“楽園”なんかに希望を見いだし、参加の申請を出さないだろう。
体育館の端に寄っていた一人の男性サイレダイス社員が、大声を上げて参加者たちに語りかけてきた。
「改めまして、長い移動お疲れさまでした。楽園なのに疲れることをさせて申し訳ないです」
代表らしきサイレダイス社員は軽く頭を下げて謝罪する。
「まずはこの島、
そして代表らしきサイレダイス社員が会話を一旦途切れさすと、周囲に居たサイレダイス社員が近くに置いてあったプラスチック箱を抱え上げ、参加者の近くに寄っていく。
それから抱えている箱を相手に少し差し出して、中身を取るように強調していく。
「どうぞ、お一つ受け取ってください」
各所で同じような言葉が館内に響き渡る。
そして俺のところにも箱を持ったサイレダイス社員が近づいて来た。
「どうぞ、お一つ取ってください」
「あ、はい」
相手が抱えている箱の中に手を伸ばしていき、中に入っている腕輪を取り出していく。
円形をしている銀の腕輪は、開閉できる箇所があり腕の太さによって調節できるようだ。
どんな機能があるかはわからないけど、小さな機械も備わっている。
俺は自分の左手首付近に腕輪をはめ込んでいき、銀色の装飾を施していく。
なんだか手錠をはめている気分だ。
周囲の参加者も続々と腕輪を装着していく。
そして代表らしきサイレダイス社員が全員の腕輪装着を確認し終えると、強い口調で館内に言葉を発する。
「はい、みなさん腕輪を装着しましたね? ……では、“楽園”で暮らすために必ず守ってもらいたいことを説明します。この島、黙島にいる間は腕輪は外さないでください。たとえ入浴する時でもです。みなさんの考えていることはわかりますよ。故障したり感電したりしないかってね。安心してください、みなさんの腕輪は防水機能が完備されています。なので思う存分水の中に浸してください。ちなみにこっそり外したことはこちらで管理しているのですぐに分かりますよ」
代表らしきサイレダイス社員が淡々と説明を続けているけれど、なんだか様子がおかしい。
内容がなんだか楽園という言葉とはかけ離れているような気がした。
違和感を覚えているのは俺だけではなく、他のみんなも不安な表情を浮かべている。
しかし快適な生活を送るにはルールは必要だ。
理不尽なものでなければ従った方がいいだろう。
代表らしきサイレダイス社員は参加者一同を見渡し、不敵な笑みを浮かべる。
「腕輪の方は大丈夫そうですね。ではもう一個の大切な決まりを聞いてもらいましょう。みなさん、この黙島で快適な生活を送りたかったら、笑ってはいけません」
一瞬頭が思考をするのを拒んだ。
目の前にいる男性が馬鹿馬鹿しいことを言っているので、そのことで笑いたくなる。
もちろんそういう雰囲気ではないのはわかっているので、本当に笑う事は無い。
俺と同じ意見を持ったのか、周囲の参加者たちも戸惑いの様子を見せながら周囲を確認していく。
代表らしきサイレダイス社員は参加者を見渡しながら、ニッと笑みを浮かべた。
「笑うといっても、ただ笑顔を作る事ではありません。心の底から、体の本能が笑いださない限り、それは笑いには該当しません。なので作り笑いはどうぞご自由にしてください。ちゃんと神経が反応しなければ問題ありません。それに関してはみなさんが着けてる腕輪やそこらじゅうに設置してあるカメラ、ドローンのカメラで判定します。腕輪を外さず、笑わないまま生活を続けていれば、快適な生活を送れます。ルールを守ってくれれば、みなさんの安定した暮らしは保証されます」
徐々に体の内に恐怖が湧きあがってくるのがわかる。
快適な暮らしと引き換えにとんでもないリスクがあることに気付いた。
そのことを理解してるのは俺だけではなく、周囲の参加者の表情も驚きと恐怖といった、決していい反応ではない。
もともとここにいる参加者全員が最初から良い表情とはいえないけど、さらに良くない顔になった。
代表らしきサイレダイス社員は続けて参加者たちに向けて説明をする。
「みなさん、気になっていますよね? もしも、万が一、笑ってしまったらどうなるのだろうか、と。そうですよね。簡単に言えば、笑ったらそこで終わりです。快適な生活はそこで終了です。それについては、私が説明するよりも実際に見なさんに体験していただいた方がすぐに理解できると思います」
代表らしきサイレダイス社員は作り出していた笑みを引っ込め、冷静な顔を見せる。
それからすぐに語気を強めて館内に言葉を発した。
「うちの社員が先ほどみなさんに、プラスチックの箱を運びました!」
そしてその後しばらくの間、代表らしきサイレダイス社員は沈黙を守りながら参加者たちの様子をうかがい続ける。
参加者たちも代表らしきサイレダイス社員が何も説明をしてくれないので、ただただ不安そうに次の言葉を待ち続けた。
先ほどの腕輪配りの事を言ったんだろうけれど、そんなのはここにいる全員が分かっているだろう。
今さら説明されても俺たちにどうしろというのだ。
数秒後。
代表らしきサイレダイス社員が少し照れくさそうにしながらようやく沈黙を破った。
「……あ、えっと、箱を運びましたの、“ハコ”が掛けてある洒落た言葉なんだけど」
俺は唐突に繰り出されたダジャレに対して頭が混乱してしまった。
どうして今そんな言葉を言う必要があるのか理解できない。
こんな緊張感ある中に一つも面白さが無いダジャレを放たれても笑うわけがないだろう。
笑ってはいけない状況で反応しろというは無理があった。
他の参加者も同じ意見を持っているようで、他の人の様子を確認して今なにが起こったのかを確かめている。
だけど混乱が収まってくると、ダジャレの恐ろしさを理解してしまった。
いや、理解できてしまった。
ダジャレそのものはまったく面白さはない。
しかし、大衆の面前にその面白くないダジャレを言うその状況が既に面白いのだ。
さらに笑ってはいけないという状況を作り出したのに笑わせようとしているその矛盾した言動も面白い。
そしてそんな空間の中に、小さな笑い声が周囲に響き渡った。
それは代表らしきサイレダイス社員の声ではない。
こちら側、つまり俺たち参加者側から聞こえてきた笑い声だ。
「ぷくふぁっ」
それは心の底から笑い声を出しているものでは無く、必死に抑えようとしていたものが口から漏れだしたかのような笑い声。
あるいは抑えようとする前に体が勝手に反応して出てしまった声。
その笑い声に、その場にいた全員は、笑ってしまった一人の三十代ほどの冴えない男性に視線を向ける。
一瞬で全員の視線を集めるほどの事をしたのだ。
すると冴えない男性が装着していた腕輪が赤く発光し、周囲の人間に何かを伝えようとしていた。
さらに不安と緊張感を呼び覚ますような警告音が腕輪から鳴り、体育館内に音を響かせていく。
冴えない男性は驚愕の表情を浮かべながらその場で慌てふためく。
「うぇぁっ、え、なんなんだよこれ! なんか赤く光ってるんだけど! ちょっと、音が鳴り止まない!」
そしてすぐに館内に立っていたサイレダイス社員たちが冴えない男性に駆け寄っていき、両腕や両足を掴み身動きが出来ないようにする。
冴えない男性は焦りの表情を見せながら、体をとにかくじたばたと動かしてサイレダイス社員の行動に抗う。
「おい、なにするんだよ! やめろっ、離せっ! おいっ! 誰か、誰か助けてくれー! あぁぁぁあああ!!!」
冴えない男性の絶叫が館内に反響していく。
それからサイレダイス社員たちが数人がかりで冴えない男性を持ち上げたら、外に連行していった。
冴えない男性の声が徐々に遠ざかっていくけれど、そこそこの時間館内にも届くほど叫び続けていた。
代表らしきサイレダイス社員が参加者に向けて冷たい笑みを向ける。
「というわけで、みなさん笑ってはいけませんよ? もし腕輪を着けたまま黙島で笑ってしまうと、世界で困っている人に体を張って助けることになってしまいます。快適な生活を送りたかったら、平常心ですよ」
参加者の一部の人たちはどよめき、不安の声がついに口から漏れだしていった。
「どうしてこんなことに」
「なんてこった」
「そんなの聞いてないよ」
俺も他参加者たちと同じ感想が頭の中で巡っていく。
困惑していると、続けて代表らしきサイレダイス社員が語りかける。
「それとここにいるみなさんは全員初めましての人ばかりだと思いますが、是非皆さんには他の誰かと一緒に黙島との生活を送って欲しいですね。こんな島の中で一人で過ごしていたら寂しくて快適な生活は過ごせません。それからみなさんがこの島で暮らすために必要な家ですけど、ここに来るまでにみなさんもう見かけたと思います。みなさんが住める家はあちこちにありますので、どうぞご自由に使ってください。たくさんありますからね、自分に合った住宅があるはずです」
確かに違和感を感じる良い外観の住宅はここまで来るまでの間に見かけてきた。
その謎が解けた。
あれは俺たちが過ごす家だったのか。
思案していると、代表らしきサイレダイス社員は硬い笑みを浮かべて言う。
「家の中には日用品が置かれていますので、当分の間は何不自由なく過ごせます。もちろん食料品は冷蔵庫に入っていますし、レトルトや缶詰といった調理が必要のない食べ物も完備されてるのでお好みのものを食べてくださいね」
いくら日用品がたくさん用意されていても、生活していて消費していけばいずれ無くなる。
最終的には快適とは程遠い生活が待っているのではないか。
不安を抱いていると、それを見越したかのように代表らしきサイレダイス社員が口を開いた。
「みなさん、自由に日用品を使っていったらそのうち無くなって餓死すると考えていませんか? それは違いますよ、ここは楽園。定期的に船でみなさんの日用品を補充しに来ます。安心してください。ここにいる全員分の物資を運んできます。さらに急ぎであればドローンによる配達も出来るので、なにか困ったら私たちサイレダイスに助けを求めてください。そこらじゅうに私たちと連絡取れる手段がありますからね。さあ、黙島でのルールを理解できましたら、各自解散して自由にこの島を満喫してください。みんなで支え合って快適な時を過ごしましょう!」
代用らしきサイレダイス社員が説明し終えると、体育館の端を通って外に出て行った。
また、彼が動き出したと同時に、館内に居たサイレダイス社員も一斉に動き出し、体育館から退避していく。
サイレダイスの監視から解放された参加者たちは、その場からなかなか動かない。
自由になったのにもかかわらず、今後どうしたらいいのか困惑するだけだった。
あるいは想像していた“楽園”との違いに戸惑い、恐怖して硬直している。
しかし次第に俺たち参加者は当初の目的を思い出していった。
俺たちは“楽園”で快適な生活を過ごすことだ。
だから体育館で突っ立っているのは間違っている。
一人、また一人とその場から動き出す。
ある人はそのまま出入り口に直行する者や、ある人は近くの人に声をかけて一緒に生活をしないかの誘いをしている。
俺も出来れば後者の選択肢を選びたい。
一人で気楽な時間を過ごすのも悪くないけれど、きっとそれは退屈だろう。
自分に合わない人と一緒に生活するのも苦痛だけれど、きっと一人ではこの島を生きていけない気がする。
確証なんてないけれど、
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