第14話 お別れ

 私の隣で、誰かが泣いている。見なくても分かる。これはお父さまだ。明楽君と良真卿は俯いているので表情は見えない。そして、パンチ君は、頭を私のセーターの中に戻して身じろぎ一つしない。


 嫌な空気だな。真護、何か言ってくれないかな。


 そう思っていると、意外にも真っ先に発言したのは明楽君だった。


「黒龍様、パンチ君は、死んじゃったんですか」

「そう、水死だよ。小さい猫の体で何日も飲まず食わずで走り続けたら、体は衰弱してしまうからね。そんなところに、側道をスピード違反で走っていたバイクにはねられたんだよ。バイクに乗っていた人間が、転倒した腹いせに、パンチを忌々し気に蹴り飛ばしたから、農業用水路に落ちてしまった」


 静かに語る黒龍様のお言葉に、私のセーターの中でしがみついているパンチ君がぶるりと震え、きゅっと私の体に爪を立てた。パンチ君は、はねられた時は、まだ生きていたのか。怒りで体が、手が震える。何でそんなことが出来るんだよ。


「ああ、皆、怒らなくてもいいよ。そのロクでもない人の子は、何故かよく分からないんだけど、その日以来、四本の角の生えた黒い化け物の集団が、夜になる度に追いかけてくるという不思議な妄想に憑りつかれてしまって、結局、入院して。どうなったんだっけ、蛟」


 黒龍様が、隣の長老様に訊ねられた。


「さて。害虫のごとき小物のことなぞ、我の知るところではありませんのでな。人の子の寿命というのは、我らに比べてほんの一瞬でありますし」


 そういう長老様の頭の上には見事な四本の角が生えていて、うんうんと傍で頷いていた大きな体を持った蛟は皆、体が黒っぽい色だった。うん、世の中には知らなくていいことがある。私のモットーは「長いものには巻かれろ」だ。今日も、ぐるんぐるんに巻かれちゃうよ。


「それもそうだね。はい、水晶、ちゃんと必要な記憶だけ入れてあげたからね」


 黒龍様がそう仰ると、曙光玉が黒龍様の手から長老様へ、そして隣の蛟様へと渡り、最後に一番小さい蛟様の手に渡った。


「はい、水の姫の子」


 一番小さい蛟様が明楽君に向かって差し出すと、明楽君が泣きそうな顔で受け取った。


「ありがとうございます」

「ああ、御礼は、僕じゃなくて黒龍様に申し上げてくれる?」


 一番小さい蛟様も、ナルシストで、かなりマイペースな印象を受けるけど、パンチ君をすごく可愛がっているし、優しいよね。ここは、リーダーの影響なのか、皆が優しい。


 明楽君が、両手で大事そうに曙光玉を抱えながら、黒龍様に深々とお辞儀をした。


「黒龍様、ありがとうございます。僕もお母さんのように、大人になったら、毎月、麓の社に、御礼参りに来ます」

「ふふっ、小さい子が、気なんか使わなくていいよ。それに、人の子の言葉だから自信はないけど、御礼参りは、ちょっと意味が違うような気がするよ」


 黒龍様の仰る通り。御礼参りは、現代社会では、報復という意味だよ、明楽君。黒龍様が楽しそうに笑っておられるので、良しとしておくけど。


「それで、パンチ、お前は、探していた弟が見つかったんだから、四つの魔力の子達と一緒に山を下りなさい」


 そして、黒龍様が、私のセーターの中に逃げ込んでいるパンチ君に向かって仰った。


 慌てて、セーターの首元から出てきた顔は、私の顎の直ぐ下にあるので見えないが、多分、泣いているんだと思う。小さな猫の体がぶるぶると震えている。


「嫌です。黒龍様に助けて頂いた御恩があるので、俺は、ここに残ります」

「ダメだよ、お前がいれば、私が、この世のことわりに逆らってしまったことがバレてしまうだろう。お前は私を理から外れたものにして天罰を食らわせたいのかい」


 黒龍様の御声は、どこまでも優しい。小さい弱いものを慈しんで下さる柔らかくて暖かい声だ。


「パンチ君、黒龍様のところにいては、君を猫又にして生き返らせてしまったことが神様に知られちゃうよ。私達と一緒に西都に帰ろうよ。優しい黒龍様を困らせてはダメだよ」


 神が本当にいるのか私には分からない。でも、いるのなら、非情で無常な存在なんだと思う。裏にどんな理由があっても、理に外れたものには、相当の報いが来る。因果応報、それがいつの世にあっても道理で、理がなくなると、無理が生まれてしまう。


「四つの魔力の子、そのまま、パンチを連れて行ってもらえるかな。ここは、小さな猫股が住むには厳しいところでね。パンチには空気が薄すぎるし、寒すぎて、外に散歩に出ることもかなわないからね。短い猫生で、それではあまりに不自由だろう」


 ああ、そうか、そういうことか。


 黒龍様は、ご自分の保身のために私にパンチ君を連れて帰れと仰っているのではない。義理堅いパンチ君に、恩で自分を縛らずに、自由に生きていいんだよって仰っているんだ。


 それなら、私が言えることは一つしかない。


「パンチ君、寛大でお優しい黒龍様のお気持ちを無碍にするのは、だよ」


 瞬間、私のセーターの中で、パンチ君の体がぴしっと直立した。


「はいっ。黒龍様、今まで、本当にありがとうございました。四つの魔力の子と一緒に行きます」


 蛟の長老様の長年の洗の・・・げふん。長年の教育の賜物だね。パンチ君は、黒龍様に御礼を言うと、するりと私のセーターの中から抜け出して、蛟の長老様に向かって、ぺこりと頭を下げた。そして、また、他の蛟様達にも同じように頭を下げた。


 最後に、一番小さい蛟様の前で頭を下げようとしたパンチ君に、黒龍様が手を振った。


「パンチ、感傷に浸っているところ悪いんだけど、さっさと四つの魔力の子達と山を下りてくれるかな。銀のが、さっきから、殺気を飛ばして来て、めちゃくちゃ怖いんだよ。これ以上、時間を取ると、あれは、絶対に攻めてくる気満々だから。蛟じゃ何体で迎え討っても、敵わないし、私も無理だし。早く!」

「うわあ、また腹パンされるよ」


 一番小さい蛟様が、お腹のあたりをおさえながら、私達が乗って来た籠を慌てて取りに行った。


「早く、皆、乗って!」


 一番小さい蛟様の鬼気迫る追立てに、私達も大急ぎで籠に乗る。いや、でも、ちゃんとご挨拶しないと、長老様に不敬だと長時間説教されるんじゃなかったっけ?いいの?


 そう思った時には、もう籠は空の上だった。あちゃ~。


「黒龍様ーっ、蛟の皆様ーっ。ありがとうございましたーっ。私も明楽君と一緒に、御礼参りに来ますーっ」

「僕も来ますーっ。ありがとうございましたーーっ」


 私が籠の中から外に向かって叫ぶと、真護も続いて叫んだ。


「いや、だから、御礼参りは止めてってば。君たちが言うと、何か怖いんだって」


 頭上で水色の一番小さい蛟様が、本気で嫌そうに言った。ほんの可愛い子供の冗談キッズジョークなのに、蛟様は心配性だな。うひひ。


 帰路も、全く揺れも気圧の変化も何もなく順調そのもので、やっぱり蛟は高位の存在なんだなと思った。その集団が本気で怯える「銀の」。どういう存在なんだよ、うちの家令は。


 そういえば、蛟様が話してくれた魔王を生み出し続ける怖い一族がいるって話。



 ・・・あれ、うちだよ。





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  読んで下さってありがとうございました。次回、エピローグになりまして

 完結となります。

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