第13話 黒い猫の記憶
「え、僕?」
明楽君は、突然、自分に向けられた皆の視線と、母親の名前が出てきたことに動揺して、私の手をぎゅっと掴んだ。
「とりえあず、そこの小さい者たちは、四つの魔力の子といてくれるかな。今から、私が黒猫から消した記憶を、水晶に入れるから」
黒龍様の言葉に、訳が分からず、ただ頷くと、すっと辺りが帳が降りたように薄暗くなった。
「何か、闇の魔法に似ているね」
真護の言葉が、皆の気持ちを代弁すると、賀茂さんが頷いた。
「そもそものところで、妖が妖力を使うのを人が真似たものが魔力だからね」
賀茂さん、やっぱり、詳しいな。陰陽頭は伊達じゃないよ。となると、黒龍様は、風と闇の魔力に似た力をお使いになるのか。龍だけに、水のお力も持っていらっしゃるような気がする。
東宮殿下や梨元宮と違い、黒龍様の力で出来たスクリーンは、枠が無く、映像がそのまま空中に浮かんでいるという、いわゆるホログラムのようなものだった。さすが高位の中の高位。やることが段違いだよ。
ぼんやりと現れた影のようなものが、どんどんと形を取り始め、姿がはっきりと見える頃には、音声も聞こえて来た。
「パンチはお兄さんになるんだから、弟が生まれたら、ちゃんと可愛がってちょうだいね」
その場に、生きている人間のごとくに浮かび上がった上品な若い女性は、速水凪子姫だった。幸せそうに、ニコニコとお腹をさすりながら笑っている。
「お母さんっ」「凪子っ」
明楽君と土御門さんが、同時に叫んだ。
もちろん、目の前に現れた凪子姫は、猫又パンチ君の記憶なので、返事はない。でも、3Dだけあって、本当に本人がいるようだ。
「え、ちょっと待って。パンチ君、速水の大姫の猫だったの?」
私が隣にいるパンチ君に訊ねると、本人じゃなくて、本猫は、きょとんとして小首を傾げた。ああ、そうか。黒龍様が、パンチ君が泣いて頼むから記憶を消したって仰ってたよ。覚えているはずがないか。
パンチ君の凪子姫の思い出は、消してくれと泣いて頼むほどに、辛い記憶なのかな。
やっぱり、明楽君には見て欲しくないな。黒龍様のお力は、東宮殿下を遥かに凌ぐから、記憶データも生々しすぎる。思わず、明楽君の手をぎゅっと握ると、明楽君が、ぎゅっと手を握り返してくれた。
「大丈夫だよ、ふーちゃん。これを黒龍様が下さるんなら、ちゃんと西都に持って帰る」
明楽君は、クラスでは、一番小柄で、見た目は仔犬のようだけど、芯は、私よりも真護よりもクラスの誰よりも、しっかりしている。今も、目を逸らさずに、パンチ君の記憶を見ている。
強い子だよね。明楽君が、そういう覚悟なら、親友の私もちゃんと見ないといけない。
私が顔を上げると、いきなり黒い何かがものすごい勢いで走ってきて、私のセーターの中にもぐりこんだ。パンチ君だ。もぐりこんだものの、それでも、ホログラムを見たいのか、首元から、ぴょこんと顔を出すので、首回りがきつくなった。ちょうど私の顎の真下にパンチ君の小さな頭が当たるので、ちょっとくすぐったい。
「ほら、パンチ、おもちゃを買ってきてやったぞ」
私達のほんの1メートルほど前で、ねこじゃらしを、ぶらぶらとさせながら、良真卿にそっくりな男性が、こちらを見ながら、とても楽しそうに笑っていた。
「
今度は、小野の良真卿が叫んだ。明楽君のお父さんの小野鷹邑卿は、小野家の三人兄弟の末っ子で、年の離れた兄二人から溺愛されて育った人だ。それは、小野子爵や良真卿の、この半年足らずの間の明楽君への接し方を見ると本当によく分かる。
「ああ、鷹邑だ。これは母さんに絶対に持って帰ろうな、明楽」
「うん。お父さんも喜ぶよ。お兄ちゃんは大泣きすると思うけど」
伯父の言葉に明楽君は、大きく頷いた。明楽君の冷静な返しに、涙目だった良真卿も、いつもの調子でにやりと笑った。
「あの人は、弟関係だと、何でも泣くんだよ」
ああ、いるよね、そういう人。うちにも一人いるから、すごく分かるよ。と思いつつ、お父さまのお顔を伺うと、やっぱり泣いていた。お父さま、早いって。まだ、赤の他人が泣いていいところじゃないから。
「パンチは、僕も凪子と一緒に保護センターから救出してあげたことなんか、すっかり忘れちゃってるよね。凪子ばかりにべったりで」
パンチ君は、保護猫だったのか。やっぱり猫又になる前から、女の人が好きだったんだな。
「鷹邑、猫にやきもちは止めてちょうだい。お父さん、みっともないわよねぇ」
そう言うと凪子姫は、自分の膨らんだお腹を愛おし気に撫でていた。うん、そうだね、明楽君、これは絶対に篤子お婆様と峰守お爺様に持って帰ってあげたいね。
そして、その後は、私達全員が既に知っている、植物人間状態の鷹邑卿と、日に日に精神的に追い詰められていく凪子姫だった。これは、パンチ君じゃないけど、消してほしいな。明楽君や良真卿の前では、私には何も言う権利はないけど。
「黒龍様、申し上げて宜しいでしょうか」
良真卿が、意を決したように前に出て跪いた。
「うん、ここは消して欲しいんでしょ?」
「はい、申し訳ありません。年老いた両親には、きつい記憶ですので」
明楽君も、慌てて、伯父の隣で跪いて、ぺこんと頭を下げた。
「黒龍様、ごめんなさい」
「全然、問題ないよ。パンチも、君たちも、要らないというものを残しても仕方がないからね」
黒龍様は、パンチ君の言う通り、優しいし寛大な方だよね。これが上に立つものの姿勢だよね。気分次第で側近をどこかへ飛ばしまくる悪い大魔王とはえらい違いだよ。
「それより、いちいち跪かなくていいから。ちょっと怖いのがいるから、そういうことをされると、ストレスで鱗が落ちそうになるから止めてね」
私が感動でじーんとしていると、黒龍様が慌てたように仰った。「ちょっと怖いの」・・・えーと、そういう存在には、思い当たる節がありまくりだけど、今日は一緒に来ていないから、大丈夫なのに、黒龍様は用心深いなぁ。
黒龍様が、ホログラムを早送りして、凪子姫が完全に闇落ちして黒い瘴気の大水になって速水伯爵邸から姿を消したところで、ホログラムの景色が切り替わった。地面にやけに近いその視点は、パンチ君のものだ。パンチ君が走っている。凪子姫を追いかけているのか。
ホログラムには、先だけが白く、それ以外は黒い毛に覆われた猫の前足だけがうつり、それが、せっせと動いていた。その黒い前足がいつからか、濡れたようになり、先の白かった毛が赤く染まってきた。血だ。パンチ君、出血しているんじゃないか。
『姫さまの赤ちゃんが盗られちゃった。姫さまが黒い怖いのになっちゃった。赤ちゃんを見つけないと、姫さまが元に戻らない』
これは、言葉じゃなくて、何だろう。記憶なのかな。そうか、これは、パンチ君の想いだ。黒龍様が汲み取ったパンチ君の想いが、目に見えている猫の血まみれの足の映像とともに、我々の脳裏に、どんどんと入って来る。それは、焦燥感のようなもので、パンチ君が必死で走ったのが分かる。そして、どんどんと血が流れ、艶々の毛に覆われていた黒い前足が血と泥でぐちゃぐちゃになっていく頃には、絶望感になっていた。
パンチ君が探していたのは、明楽君だったのか。
『赤ちゃん、見つからない。姫さま、俺、お兄ちゃんなのに、ごめんなさい・・・』
パンチ君の最後の記憶は悲しすぎる謝罪で、唐突に映像が、ぷつりと切れた。
小さな黒い猫が死んだからだ。
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