第12話 水の姫の子

 切り立った断崖が立ち並ぶ間を、一番小さい蛟様が、優雅に飛んでいく。外から見ると断崖にしか見えなかったが、内側から見ると、見事な装飾が施された芸術的な代物だった。荘厳な柱の内側は、回廊のようで、隙間から差し込む光とあいまって、神殿のような趣きがあった。


 一番小さい蛟様が、音もなく降ろしてくれた場所は、絶壁の立ち並んだ最奥の、山肌をくりぬいて作られた、宮殿の広間といった雰囲気のあるところだった。


「もう出て来て大丈夫だよ」


 籠の外から声がしたので、先ずは、黒龍様に招待して頂いた私とお父さまが降りた。続いて、真護と明楽君と良真卿の風チームで、しんがりが、陰陽寮ペア。


「うわぁ」


 一番に声を上げたのは真護だった。岩で作られた巨大で絢爛な装飾が壁中に施されたドーム状の大広間に、確実に百は超える数の蛟が並んでいたからだ。


 慌てて、明楽君が真護の口を塞いでくれたようだ。まずいって、ここには、一条のおじいさまを越える御仁がおられるんだよ。きちんとご挨拶が先だよ。


「蛟の一族の皆様、お初にお目にかかります。黒龍様のお招きに預かり、西から馳せ参じた四つの魔力持ちにございます」


 そう言って、ぺこりと頭を下げると、隣で、お父さまも「この子の養父で叔父でございます。この度は、私共の同行をお許し下さり、ありがとうございます」と頭を下げたので、風チームも陰陽寮ペアも従った。


「ほう。四つの魔力持ちの子は、まだ小さいのに礼儀正しいな。あの傍若無人な乱暴者に育てられ、あげくに、あの生意気な獣を師と呼び、どんな化け物になるかと思ったら、ちゃんとした子供ではないか。皆の者、頭を上げよ」


 姿勢を戻して、声がした方を見ると、黒に限りなく近い灰色の大きな蛟が私の方を、真っ直ぐに見ていた。立派な角が四本ある。これは、噂に聞く蛟の長老様かな。


「蛟の長老様ですか」

「左様」

「誠に失礼ながら、申し上げます。私のことを傍で見守っている存在と、私の魔力の師は、どちらも私のことを大事にしてくれます。私にとっても、とても大切な存在なので、私の前でお二人のことを悪く言わないでください」


 私が、蛟の長老様の目を見て、そう言うと、ドーム内がざわついた。人の子ごときが、高位の存在である蛟の長老に言い返すとは何事か、というところか。怖いけど、牧田と先生の悪口は、それが皇帝陛下であっても、絶対に認めないよ。


 隣に立っていた一番小さい蛟様の水色の尻尾が、楽しそうに揺らめいた。この人、絶対に、人の不幸に蜜の味を感じるタイプだね。人じゃなくて、人外だけど。


 私と、長老さまの視線がガチンコでぶつかったところに、黒い何かが視界を遮った。


「長老さまーっ。あの、若様は、まだ小さいので、誰に何を言っているか、よく分かっていないんです。どうぞ、お許しくださいませーっ」


 突然、私の前で、黒猫がスライディング土下座をしながら、小さな体を更に小さくして、必死に謝罪を始めた。一番小さい蛟様と一緒に千台に戻った、あの猫又のパンチ君だ。


「猫又、小さい四つの魔力持ちは、自分が誰に何を言ったか、よく心得ておるぞ。お前は、いちいち、巻き込まれんでよろしい。黒龍様に助けて頂いた命を粗末にするのは止めよ。不敬である」


 長老様に言われて、パンチ君は、なおも謝罪しながら立ち上がり、水色の一番小さい蛟様の横に立った。心配そうに、ちらちらと私の方に視線を向けて来る。意外に義理人情に厚いところがあるんだな、パンチ君。


「ちょっと、私が無理を言って遠くから来てもらった客人を威嚇してどうするの。困った眷属たちだよね」


 先日、我が家の食堂に響いた声が、巨大ドームに響いた。黒龍様の声だ。


 慌ててお父さまと跪いたので、後ろの五人もすぐに私達に従った。


「ああ、そういうのはいいって。銀のに怒られちゃうから、すぐに立って。うちの眷属は、久しぶりに人の子と話せて嬉しくて、からかっているだけだから、心配しなくていいからね」


 人の子と話せて嬉しいから、からかうって何だよ。まぁ、妖は、人の困っている姿をみて、ほくそ笑むようなところがあるから、仕方がないか。お父さまの方をちらりと伺うと、同じように考えておられたのか、眉毛を八の字に落として、少しだけ微笑まれた。


 黒龍様に言われた通りに立ち上がると、蛟達の中に、巨大な真っ黒い龍がいた。地元の住民たちに「黒羽様」と崇められているその見事な御姿には確かに一対の大きな蝙蝠羽が生えていた。鱗が上質な黒曜石のように光っていて、神々しい。間違いようのない、本物の上位の存在に鳥肌が立つ。


「か・・・か、カッコいいーっ」


 思わず口をついて出て来た言葉に、また、長老から不敬だと怒られるかと思ったが、黒龍様は、機嫌を良くしてくださったように見えた。


「子供は、どの種族でも素直だね、蛟」

「はい、仰る通りでございます」


 黒龍様と蛟の長老様の会話に、ドーム内にいた全ての蛟がうんうんと頷いた。見事に統率が取れているな、千台黒龍軍団。どこぞのフリーダムな一族とは、えらい違いだよ。


「黒龍様、あの、発言を許して頂けますか」

「もちろんだよ、何かな」


 私が話しかけると、黒龍様は気安く許して下さった。さすがは小さい弱い者には優しい上位の存在。


「私の祖父が、先日の父の非礼に対し、謝罪を致したく、つきましては、こちらにお詫びの品のお菓子を届けたいと希望しているのですが、送ってもらって宜しいでしょうか」

「うん、それはいいけど、どこに届けてくれるの?麓の神社かな」


 黒龍様のオニキスの目が丸くなって、ちょっぴり可愛い。長老様に不敬だと説教されそうだから、言わないけど。次の瞬間、濃厚な魔力が漂い、どんっと海上輸送コンテナにして軽く二本分はあるような巨大な箱が黒龍様の前に置かれた。


「えっ?えーと、これは菓子箱?」


 お詫びの品なので、熨斗はつけずにシンプルな、かけ紙で包んでもらっているから、一瞬、菓子箱とは分かりにくい。あのサイズだから箱も包装紙も超のつく特注品だよ。稲荷屋、あれを包むために、ガントリークレーンを外注したらしい。菓子屋がガントリークレーンって、と思われたらしいが、帝国一の菓子屋は、どんな顧客の無茶ぶりにも誠心誠意、笑顔で対応というのは、西都では有名な話なので、業者も同情して請け負ってくれたらしい。実際は、女将以外は、全員、ちょっと顔がひきつっていたけど。


 黒龍様が、菓子箱にあった白い封筒に気がついて、手を伸ばそうとすると、蛟の長老が慌てて止めた。


「いけません、黒龍様。あの銀のが育てた魔王でありますれば、気軽に手を出さずに、この老い先の短い私にお任せを」


 老い先短いと言っても、蛟なんだから、確実に私よりは長生きするよね。しかも、こういうタイプに限って、誰よりも長く生きるんだよ。憎まれっ子世に憚るって言うもんね。


「四つの魔力の子、そなた、何やら失礼なことを考えておるのではないか」

「イエイエ、滅相もございません」


 ぶんぶんと首を横に振る私の姿に、黒龍様がにやりと笑って、長老の手からお祖父さまの手紙を取り上げた。普段のお二人の関係性が目に見えるようだよ。


「ああ、魔王は、意外にまともな子かもね。ほら、ちゃんとした詫び状だ」


 うちのお祖父さま、まともな「子」なんだ。何千年も生きている龍から見れば、百年も生きることができない人間は、何歳でも「小さい子」なんだろうな。


 黒龍様の妖力は、風を操るようで、お祖父さまの手紙が、眷属の間を漂った。


「うん、じゃあ、ありがたく頂くことにするよ。あと、家に帰ったら、これを座標を寸分たがわずに送り付けてきた方の魔王に、もう絶対に何も送るなって言ってくれる?今ので、結界が壊れちゃったよ。上位の蛟、十体分の妖力で張った結界を破るとか、非常識を越えて、もう理解不可能なんだけど」


 黒龍様のお言葉に、またしても、お父さまが九十度に体を折って謝罪した。結界が張ってあったんだ。そういえば、急にドーム内の温度が下がった気がする。


「重ね重ね、うちの兄が本当に申し訳ありません」


 私も隣で同じように頭を下げ、後ろの五人も、付き合いのいい猫又パンチ君も一緒に頭を下げていた。


「いや、だから、ほんと、そういうのはいいから。銀のが怖いから、早く頭を上げてよ」


 黒龍様が、手をひらひらとすると、ドームの気温がとたんに元に戻った。さすがは超絶上位の龍の力だ。妖力も、魔力と同じで、目の前で使われると、力を感じることが出来るんだけど、制御能力が高いと、違和感を感じない。今、黒龍様が私達の前で、確実にお力を使って結界を張り直したはずなのに、全然何も感じなかった。気温はもちろん高くなったのは分かったけど。


 後ろで賀茂さんと土御門さんも、同じことを考えているのか、固唾を吞んでいるようだ。


「それで、頼んだ水晶は持って来てくれた?」


 黒龍様が長くて鋭い爪のついた手を差し出されたので、背負っていたリュックを降ろして中をごそごそとやっていると、周りに「ふふっ」という柔らかい笑みが溢れた。


「四つの魔力の子は、大事にされているようだの」


 長老様が、孫を見るような目で仰った。


「えーと、はい。そう思います」


 長老様の質問の意図が分からず、どう応えていいのか分からないので、とりあえず事実を伝えた。私は、瑞祥で、養父母に可愛がってもらっているし、嘉承の家では、牧田と料理長という私の人生に欠かせない二人が、毎日、きちんと面倒をみてくれるからね。そこは疑いようがない。


「魔力を持たない人の子の氣は、同じ人の子では分かりにくいだろうが、我らには分かるのでな。その袋に色々と食料を詰めた者の、無事に帰って来るようにという思いが、その袋から溢れ出ていたぞ」


 長老様の説明に涙が出そうになった。料理長は、強面で口数が少ない不器用な人だから、女性や小さな子供には怖がられるせいか、私の知る限りは、ずっと独身で家族もいない。そんな人が、願いを込めて食べ物をリュックに詰めてくれるなんて・・・と感動していたら、やっぱり、隣でお父さまが先に泣いていた。


『そやで。ほんま、重いねん、あのおっさん。おっさんの気持ちなんか、いらんてー。山ほどもろても、困るっちゅうねんな。言うても、こっちも、おっさんやし。ぎゃはははは。フヒト、今度から、女の人にリュック、詰めてもろてな』


 私にしか聞こえないせいで、一歩間違えばセクハラともとれる発言や、親父ギャグの多い石の精が、べらべらと喋り出したので、リュックの一番下に詰められていたのが分かった。リュックの下から、水晶を取り出して、猫又と一緒に、私のリュックを覗き込んでいた一番小さい蛟様に渡した。


「お願いします」


 一番小さい蛟様から、隣の蛟様へ、そのまた隣の蛟様へとバケツリレーのように、水晶が手渡され、最後は長老様の手に渡った。


「ああ、また、柄の悪いおっさん臭いのが入り込んでるねぇ。何で石のは、皆、こんなのばっかりなんだろう」


 隣で黒龍様が、長老様の手の中の水晶を覗き込んで、めちゃくちゃ嫌そうに仰った。やっぱり龍のスタンダードでも、曙光玉は柄が悪くて、おっさん臭いんだ。あれ、帝都では、国宝なんだけどな・・・。


「四つの魔力の子も、黒龍様にお目にかけるからには、もう少しマシなものを選んで来ればよいものを」


 ええっ、私が悪いの?曙光玉は、1600個、全員、柄の悪いオジサンだよ。長老様の呆れた口調に目が泳ぐ。


「蛟、石のは全員こんな感じだから、どれを持って来られても同じだと思うよ。まぁ、いいよ。水の姫の子は、頼んだ通り、ちゃんと連れて来てくれたから良しとしよう」


 黒龍様が、とりなして下さった。でも、そのお言葉に引っかかるものがある。今日は、水の姫の子はいない。理人兄様は、白龍様に義理立てして断固お断りって感じだったし、真人兄様は、ただただ面倒くさがって私に丸投げしたから。


「えっ、私?いや、お母様は四属性で水の姫というイメージではないし。もしかして、よっちゃんだった?」


 そうだった。賀茂家は、水の魔力を持つ由緒正しい名家だ。賀茂さん、お母様も水の魔力持ちだったのか。いやいや、それよりお父さまが気が動転して、聞いちゃいけないことをぺろっと仰ったよ。


「違うって。水の姫は、麓の社に毎月お詣りに来てくれた子だよ。魔力は弱かったけど、勤勉な子で、いつも制御を頑張っていたね」


 黒龍様がそう仰ると、後ろで土御門さんの顔色が変わった。


「凪子だっ。黒龍様、速水伯爵家の大姫のことでしょうか」


 速水伯爵家。すでに没落した名家には、闇落ちした姫がいた。彼女の魔力は、家名が示す通りに水。土御門さんは、その姫の幼馴染だ。


「人の子の名前は知らない。でも、生まれてから、毎月、父親に連れられて、自分で歩けるようになってからは、お付きを連れて、毎月来ていたよ。ちょっと見ないなぁと思ったら、哀しい色の瘴気を発していたね。私の足元で起きたものだから、そこの水の魔力持ちともう一人が、私に許可を願ったよね。何かと思っていたら、西から賀茂別雷かものわけのいかづちが飛んで来たから、よく覚えているよ」


 ああ、もう間違いがない。黒龍様の仰る水の姫の子は、明楽君だ。

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