第11話 恐怖の一族

 一番小さい蛟様は、風圧制御や気圧調整を、妖力でしてくれているらしく、かなりな高度で飛んでも、私達を乗せた籠は完全に水平に保たれ、揺れることはなく、空気が薄くなるということもなかった。魔力持ちの技にたとえると、相当な魔力量を持つ達人でしか成しえない高等魔法の複数同時制御に、賀茂さんと土御門さんは、呆然としていた。


 一番小さいといのは、若いという意味になるそうだけど、それでも、この妖力だよ。私がそう告げると、賀茂さんが、眉間を押さえながら、ぼそりと言った。


「高位の妖というのは、途轍もないな。嘉承公爵レベルの巨大な力を持った存在とでも思えば、当たらずとも遠からずか」

「え~、あんな大魔神と一緒にしないでよ。蛟は、常識と節操と礼儀をもった、ちゃんとした一族なんだよ」


 ・・・妖というのは、すべからく地獄耳のようだ。これは、陰陽寮で、きちんと記録してもらおう。それにしても、我が父は、妖に、常識と節操と礼儀がないと認識されているのか。確かに全部ないけど。これも陰陽寮で記録しておいてもらおう。うひひ。


 不服そうな蛟様の声に、お父さまが、直ちに居ずまいを正した。


「あの、蛟様、うちの兄が、その節は大変失礼いたしました」


 お父さまが、そう謝りながら、頭を九十度に下げたので、私も、慌てて頭を下げると、事情を知らない全員が驚いていた。物理的には、見えないけど、今は、蛟様の妖力の中にいるので、お父さまと私の姿が視えているはずだ。


「うん、君達のせいじゃないのは分かっているんだけど、ほんと、失礼な話だよね。腹パンされたところ、まだ痛いんだけど」


 蛟様の声が聞こえると、陰陽寮コンビが顔色を変えた。


「は・・・腹パン?」


 賀茂さんと土御門さんは、父様が一番小さい蛟様を殴ったと完全に勘違いしたような気がする。殴ったのは牧田だけど、そう言うと、牧田が人間でないのがバレてしまうので、ここは御二人には誤解してもらっておこう。父様がいなくても、嘉承家はまわるけど、牧田がいなくなったら三日で滅ぶんだよ。今更、父様の悪名や人外伝説が増えたところで驚く人なんかいないだろうし、本人は気にも留めないはずだしね。お父さまも同じお考えのようで、何も言わずに曖昧な微笑を浮かべておられた。


 籠の中に漂い始めた微妙な空気を一掃したのは、空気を読まないことを家風とする、東条侯爵家の嫡男だった。


「うっわーっ。ふーちゃん、明楽君、見てよ。ものすごい景色だよっ」


 一番小さい蛟様に注意されているのに、これだもんね。身を乗り出すように外を見ている真護の興奮に皆もつられて外に目をやった。


 本当に凄い。


 空から見る景色は、壮大の一言で、無数の切り立った断崖が並んだ最奥に、最高位の妖とその眷属が住まうと言う。巨大な剣のように切り立った崖は、自然の要塞を作り上げ、人が踏み入れることが出来ない聖域の様をなしていた。崖の頂きは、雲の上にあり、雲は、そこに棲んでおられる方の御姿のように優雅にたなびいていた。


「これが禁足地か。禁じられなくとも、まず、普通の人間はたどり着けないだろうけど」

「危ないから来ちゃダメだよっていう黒龍様のお優しさだと思うんですよ。黒龍様は、小さい力の弱い者には、いつも優しいって、お使いの猫股が言ってました」


 土御門さんの感想に、何気なく応じると、陰陽寮コンビが何とも言えない表情になった。


「義之さん、もう陰陽寮と陰陽大学校、まとめて西都に引っ越した方が良くないですか」

「そうなると内裏をお守りすることが出来なくなるだろう」

「嘉承公爵閣下に頼めば、西都から、リモートで、我々が皇帝陛下の御側にいるよりも強力にお守りして下さるんじゃないですか」

「気持ちは分かるが、陰陽師の矜持を捨てるな、清明」


 二人がおかしな言い合いを始めたので、訳が分からず、きょとんとしていると、賀茂さんが溜息をつきながら、説明してくれた。


「最近、西都の公達学園初等科をテストケースにして、妖の授業を始めたのは、ふーちゃん達も知っている通りだね」


 私達ちびっ子組がこくこくと頷くと、良真卿の小野の好奇心が刺激されたのか籠の外の景色から、私たちに視線を戻した。事情をご存知のはずのお父さまは、何も言わずに、静かに微笑んでいるだけだった。


「さっきのふーちゃんが、まさに良い例なんだけど、西都は、老若男女、魔力の有無に問わず、妖を普通に在るものとして受け入れているよね。高位には、自然に敬意を払って、様付けで呼んだり。猫股が黒龍のお使いで現れたとか、西都公達学園で言うとどうなる?」

「あ、そうなの、って言うくらいかな。何で、黒龍様のお使いが小さい猫又なんだろって言う人もいるかな」

「そこだよ、真護君。帝都だと阿鼻叫喚状態で、陰陽寮に討伐依頼が何件も来る話なんだよ。ところが、真護君のクラスの皆は、黒い龍を黒龍様と呼んで、猫又がお使いに来るという話を、皆、普通に受け止めて疑いもしないよね」

「龍族は、風と水の巨大な力を持つ存在だから敬って当然だよ。瑞祥一族の水の魔力持ちは、毎年、貴船にお参りに行くし」


 うん、真護の言う通り、龍に敬意を払うのは当然だ。それより、小さい猫又が現れたくらいで、陰陽寮に討伐依頼をするほど大騒ぎになることの方が驚きだよ。


「西都の人達が当然と思うことは、西都の外では、驚異であって、非常事態なんだよ。私の実家は、元々、西都にあるし、性格形成がほとんど成された十代後半で、父の仕事に伴い帝都に移ったから、真護君の言うことは、すごく分かるんだけどね。陰陽寮でも、私のような考えを持つ者は、少数派なんだよ。例えば、ここにいる晴明は、帝都生まれの帝都育ちだから、妖は、すべからく討伐すべきものという帝都民の普通の概念を持っていてね」


 賀茂さんの言葉に、私達の視線が土御門さんに移ると、土御門さんが、苦笑していた。


「そんな目で見ないでよ。人の考えって、他の人には変えられないでしょ。それが集まって文化となるともっと変え難いものなんだよ。ふーちゃん達と知り合って、瑞祥家で静養させてもらって、毎日、人外が側にいる生活をして、僕自身が色々と気づかされたというかね。たとえば、あの喜代水の妖たちと、ふーちゃんが、仲間や家族みたいに接しているのを見て、頭を鈍器で殴られたような気分だったよ。今まで、帝都で信じていたものは何だったのかって。妖は、人に害をなす存在で、すべからく討伐しないといけないってね。陰陽師は、妖から帝国民を守る存在なんだって、そう思っていたのに、西都民は、妖と出くわしても、陰陽師を呼ぶどころか、普通に挨拶したり、喋ったりするよね。陛下が、「無知は罪である」と仰った時に、本当にそうだと思ったんだよ。でも、僕の知識も経験も、生粋の西都っ子たちには、到底かなわないから、帝都の子供達や、陰陽大学校の生徒たちだけに勉強してもらうんじゃなくて、自分自身も勉強して、見聞を広めないと思ってね」


「「えらいっ!」」


 土御門さんの話を聞いて、期せずして一番小さい蛟様と声が重なってしまった。


「さすがは、あの葛葉の子だね」

「え、母をご存知なんですか」


 土御門さんは、突然出て来た土御門伯爵夫人の名前に驚いていた。


「土御門伯爵夫人じゃなくて、君の一族の始祖の陰陽師の母上の葛葉殿のことだね。葛葉殿は、九尾の狐と一緒に帝国にやって来たけど、途中で仲違いして、西都で結婚して帰化したらしいね。その子孫が土御門家だそうだよ」


 お父さまの説明を聞いた土御門さんが瞠目していた。え、かなり有名な話なのに、知らなかったの?


「だから、土御門家は西都にないのに【潜伏】の達人が出るんだよね」

「そうだね。古代に大陸から帝国に渡ってきた木の精達を、土の魔力持ちに紹介してくれたのは葛葉殿だからね」


 私とお父さまの会話に、土御門さんは、ぱかりと口を開けたが、魚のように、はくはくと口を動かすだけで、何の言葉も出てこなかった。


「晴明、ちょっと落ち着こうか」


 賀茂さんが、そう言いながら、どこからか紙袋を差し出した。

 ばしゅばしゅと紙袋に向かって呼吸をしている土御門さんの姿を視たのか、一番小さい蛟様の楽しそうな笑い声が聞こえた。


「心配しなくても、君は人間だよ。葛葉の血なんか、二代も持たなかったよ。最近の子供達は、人よりちょっと魔力操作が器用なくらいじゃないの。それより妖の血が一滴も入っていないのに、途絶えることなく、魔王を生み出し続ける一族の方が、よっぽど恐怖だよ」



 ・・・魔王を生み出し続ける一族。

何それ、そんなのがいるの。めちゃくちゃ怖いんですけど。

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