第8話 黒羽様

「ちっ、往生際の悪いやつだな。牧田、サンルームに続いて食堂が壊れると、お母さまが怖い。何とかしてくれ」


 三メートルを超える水の大蛇が大暴れしているというのに、顔色が変わっているのは、私とパンチ君だけだ。父様まで、嘉承の最終奥義を使って、牧田に泣きついているけど、蛟は、何とかしてくれと気軽に言えるような相手じゃないよ。


「困りましたねぇ。うねうねと、みっともない。これだから蛇は嫌なんですよ」


 そう言いながら、牧田が、水色の大きな蛇の腹に拳を食らわせた。吹っ飛んだかと思った蛟の体が、お父さまの結界に当たって、どぉおおんと大きな音ともに、床に崩れ落ちた。


「しまった。床にめりこんだか。床が壊れるのはマズいな」

「後で、四条家に頼めばすぐに直るでしょう」


 ものすごい土埃と共に、床を抜けて蛟が倒れ込んでいるというのに、父様と牧田は、天気の話をするかのように、気軽に食堂の床の話をしている。ところで、四条侯爵家は、いつから嘉承家御用達の修理屋に鞍替えしたんだよ。


「くぅぅ・・・、何なの、これ。おかしいでしょ。いきなり召喚して殴るって、おかしくない?それなのに、床の修理の心配って酷くない?こんな綺麗な蛟が怪我しているのに大丈夫な人達なわけ?」


 床下から、頭を持ち上げ、涙目の蛟が、父様と牧田に向かって文句を言った。自分で綺麗とか言うあたり、某陰陽師のような残念ナルシスト感はあるけれど、確かに、水色に輝く体は綺麗だった。


「蛟様、大魔王様と銀狼様の御前です!」


 私のセーターの下から飛び出て、蛟の元に、猫又パンチが走って行き、その前で、父様と牧田のいる方に、滑り込むように、見事なスライディング土下座をした。


「大魔王様、銀狼様、どうかお許しを」


 小さな妖が、ぺたりと伏せる様子に、父様が、また嫌そうな顔をした。


「怒ってねーよ。猫又、お前は、ふーの側にいろ。お前みたいな小さいヤツは、俺らの側に来るとヤバいんだろ。ふー、ちゃんと見ておいてやれよ」


 黒龍様の傘下も、最終奥義は土下座なのか、と考えていた私に、父様の視線と言葉が飛んできたので、慌ててパンチ君を回収に行く。ついでに、床下の蛟の様子を見ようとすると、ばっちり目が合ってしまった。


「えーと、蛟様、ごきげんよう」

「四つの魔力!ほんとにいるんだ」


 私を見ると、綺麗な蛟が、ぱかりと口を開けた。


「蛟様、あの、皆様が、ご覧になってますよ」


 パンチ君が、気を使って蛟に声を掛けると、蛟は、口を閉めて、すぐに私に向かって挨拶をしてくれた。


「ごきげんよう。四つの魔力の子。僕は、黒龍様にお仕えする蛟だよ」


 なるほど。上品に挨拶をする蛟に、長老の教育が、確実に一族に浸透をしているのを見た。ほんとに、瑞祥一族の一条のおじいさまみたいなんだろうな。


「ここからだと、話にくいから、ちょっと待っててね」


 水色の綺麗な蛟が、「よっこらしょ」と、うちの迷惑老人達のようなことを言いながら、床下で身じろぎをしたと思ったら、すぐに目の前に水色の髪の毛と瞳の美少年が黒猫を抱えて現れた。


「はい、この黒いチビ、預かっててね。どうやら、君の側が一番、安全みたいだから」


 私がパンチ君を受け取ると、蛟はきりっとした顔をして父様に向き直った。


「いきなり問答無用の【召喚】は失礼ではないですか。いかに魔王様といえど、承服しかねます」


 ほらー、もう。蛟様、すごく怒ってるよ。どうするんだよ。私が戦々恐々として状況を見ていると、父様は、全くいつものペースで、ほとんど口癖になっている言葉で応対した。


「誰が魔王だ、誰が」

「失礼しました、大魔神様」


 ぶふっと、今度は牧田も一緒になって、お父さまと笑っていた。父様は、もう何も言わない方がいいと思う。抗議をする度に、おかしな昇進をしちゃってるよ、この人。


「失礼は、そっちだろう。何の先触れもなく、こんな事情もよく把握していない小さい妖を遣わして。こっちは、貴船の白龍様経由で、事情の説明をお願いしていたはずだが、返事はもらってないよな」


 父様が、言い返すと、水色の美少年は、「ふぐっ」と口を閉ざして、一瞬、視線を逸らした。負けるな、蛟様っ。


「そっ、それは、偉大な黒龍様のお気持ちを確かめようなど、不敬なことです」


 どっかで聞いたことのあるような台詞だな。蛟の長老様の教育、めちゃくちゃ徹底しているよね。和貴おじいさまより、口うるさ・・・じゃなくて、ちゃんとした御方なんだろう。


「でも、お前、黒龍様と連絡が取れるんだろ。とっとと確認してくれてもいいだろう。不敬というなら、嘉承の当代が不敬なやつだと言えばいい」


 父様が言うと、牧田も被せるように、ぼそりと言った。


「早くしなさい。でないと、私が直接、黒龍を尋ねますよ」

「ひいっ」


 蛟様が、小さく叫んで、こてんと気絶してしまった。


「牧田、黒龍と話をしたいのに、連絡係を気絶させてどうするんだよ。本当に千台に行って聞いてくるのか」

「そんな気はなかったんですが、最近の若いものは、妖力も根性も何かも、全く足りてなくて困りますねぇ」


 やれやれとばかりに首を振りながら、呆れたように気絶した蛟を見る牧田に、父様が呆れた視線を送り、その父様に、お父さまが完全に呆れているという訳の分からない図が出来上がった。パンチ君は、ただひたすらに、私の首に縋りついてぶるぶると震えている。とんだカオスだよ。


『ふふふっ…』


 そこに、男性とも女性とも聞こえるような、子供のような老人のような不思議な声がした。耳で聴いているのではあく、頭の中に響いて来るこの声の主は、間違いなく高位の存在だ。


『うちの蛟の一番若い子なんだよ。お手柔らかにお願いできるかな』


 みるみるうちに牧田の顔が不機嫌になったかと思うと、次の瞬間には牧田に抱っこされていた。パンチ君は、牧田が間近に来たショックで気絶してしまった。【風壁】で覆ってあるので、消失はしないと思うけど、大丈夫なのかな。


「何の用ですか、黒羽の」


 牧田には珍しく、ちょっと怒った咎めるような声で、話かけると、声の主は、楽しそうに笑いながら答えた。


『銀のは、相変わらず、過保護だなぁ。ちょっとだけ、四つの魔力の子を私のところに送ってもらえないかな。渡したいものがあるんだよ』

「黒龍様、私は、四つの魔力の子供の父親です。うちの子は、まだ七歳なんで、弟が付き添いで一緒に伺ってもいいですか」

『うん、君と銀のと、銀のが育てたもう一人の魔王以外なら、誰でも来てくれていいよ。千台の妖たちがおかしくなっちゃうから、君たちには、心の底から、切実に遠慮してほしいけど、それ以外なら、何人で来ても歓迎するよ』


 父様の質問に答えた声の主は、やっぱり黒龍様だった。お姿は見えないけど、猫又パンチ君の言う通り、おっとりとした優し気な感じの方ではある。牧田とは、知り合いのようだ。


「山に引き籠っている貴方としたことが珍しい。四つの魔力の子に会って何を渡すというんです?」

『銀の庇護を受けている子供に変なことをするほど、愚かではないよ。渡したいのは記憶。そこにいる黒いチビの記憶だよ。チビが泣くから、消してあげたんだけど、四つの魔力の子の側にいる、水の姫の子に渡してあげたいんだよ。石の連中が入り込んでいる水晶を持って来てくれたら、それに入れてあげるよ』


 食堂にいた全員が、訳が分からないという顔をすると、『じゃあ、待ってるね』と、どこまでもマイペースな黒龍様の声が遠ざかって行った。


「私のそばにいる水の姫の子って、理人兄様と真人兄様のどっちかな。だけど、何で黒龍様は、猫又の記憶を渡したいんだろう」

「さぁ。龍族は気まぐれですからね。ただ、基本的に銀狼族と同じくらい引きこもりで、銀狼族よりも面倒くさがりな龍が、わざわざ使いを寄越すほどですから、何か大事なものかもしれませんね」


 銀狼族と同じくらい引きこもりって・・・。確かに牧田は、外出をしないかも。私が生まれてから、西都を出たのは、御前試合と回転寿司以外で見たことがない。休みも取らないし。


「あのね、明楽君の叔父様の良真卿が、帝都見物に連れて行ってくれるんだって。牧田も一緒に行こうよ」

「さっき、黒龍に、私は来るなと言われたばかりですが」

「それは千台。帝都には来るなって言われてないよ。一緒に帝都見物してよ。牧田が護衛なら、皆、安心だし」


 私と牧田の会話を聞いて、父様がにやりと悪い顔をした。


「祥兄は、伝説の妖が帝都を陥落に来たと、不安で眠れなくなるだろうけどな」


 ぎゃははははは、と一人で大笑いする父様は、本当に大魔神のようだった。

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