第7話 そうだ、蛟を呼んでみよう

「それで、パンチ君の私にお願いというのは、何かな」


 お父さまが尋ねると、猫又は、お母さまの膝の上から身を乗り出し、両手をテーブルの上に置いて真面目な顔で答えた。


「黒龍様が、四つの魔力の若様とお話がしたいから迎えに行けって言われました」

「それで、君が使者に選ばれたの?」


 黒龍様くらいのお力を持った存在なら、まともな使者になりそうな妖は他にもいるだろうに。


「お前なら、西に棲んでいる銀狼様や天狐様に見つかっても、相手にもされないだろうから、ちょっと行って来てくれって頼まれました」


 お父さまに、素直に頷きながら、猫股が胸を張って言うが、猫又、それは自慢げに語る内容じゃないだろ。


 でも、確かに、牧田や智が小物を相手にするわけがないし、きつね先生も神社のお仕事で何かとお忙しいから、こんな妖力をほとんど持たないような小さな猫股が西都をウロウロしていたところで気に留めるわけがないよね。そう考えると、確かに黒龍様のお考えは正しい。


「それで、どうやって、千台からここまで来たの?」

「一番小さいみずち様が背中に乗せて下さって、えっと、西都のちょっと遠いところまで送ってもらいました」


 妖の謎の地理感。ちょっと遠いところって、近いのか、遠いのか、全然分からないよ。それでも、お父さまは、にこにこしながら、パンチ君に次の質問をお聞きになった。


「その一番小さい蛟様は、もう千台にお帰りになったのかな」

「ううん。西に来たからには、白龍様と、こっちの黒龍様に、ちゃんと挨拶しないと、うちの黒龍様が礼儀知らずだと思われるって、長老の蛟様が言ってて。一番小さい蛟様は、俺を、海みたいな池を越えたところで降ろしてから、またお空に戻って行きました」


 蛟の一族も、どこかの銀狼族なみに、礼儀にこだわるようだ。もしかして、身だしなみにも並々ならぬこだわりとかあるんだろうか。それに、蛟の一族は、なかなかの年功序列のようだ。一番小さい蛟様というのは、一番若いという意味だろう。


「ああ、大きな池は、湖って言うんだよ。君が降ろしてもらったのは枇杷湖びわこだよ。そうか、枇杷湖のこはんから、西都まで結構な距離を歩いてきたんだね」

「歩きじゃなくて、電車に乗ってきました」

「「電車っ!」」


 電車と聞いて、私と真護が、思わず声を上げてしまった。


「パンチ君、一人で電車に乗れるの?」


 猫又が「ふふん」と、鼻を鳴らして、自慢げに私と真護の方を見て頷いた。


「ふーちゃん、僕、あいつ嫌いかも」


 真護の気持ちは、分かる。私も、今、むっとしているよ。


「それは大したものだね。それで、切符はどうやって買ったの?」


 お父さまが、更に質問をすると、偉そうだった猫股が急にモジモジしだした。


「えーと、駅員が見ていない間に、ささっと改札の下をくぐって・・・」

「うん、それは、無銭乗車。人間の世界では、立派な犯罪だね」


 お父さまが、良い笑顔で言い切ると、猫又は、てへっと笑った。軽犯罪を起こしてまで会いに来られるのは迷惑だよ。私がそう言うと、猫又は、ショックを受けたのか、お母さまの膝に顔を埋めてしまった。お母さまは、心配そうにしていらしたけど、もうその手は食わないからね。


「その件は、後で片付けるとして、千台の黒龍様が、何のお話をされたいか知ってる?」

「聞いてません。黒龍様が、四つの魔力の若様と話をしたいから、お前、ちょっと迎えに行ってくれって仰ったら、俺には、ここに来るしか選択肢はないし」

「従わないと、黒龍様のご機嫌が悪くなっちゃうのかな」

「黒龍様は、小さいものには、いつも優しいです。でも、蛟の長老様に掴って、猫又ごときがって、説教されると長くなるから、すぐに千台を出ました」


 猫又が、お母さまにもらった稲荷屋の大福にかぶりつきながら、大福の粉で顔の半分を白くしながら、事情を説明してくれた。お母さま、甘やかしちゃダメなんだってば。


「何か、蛟の長老様って、一条の和貴おじいさまみたいだね」


 真護の素直過ぎる感想に、お父さまとお母さまは苦笑されるだけだった。さすがは、東条家の嫡男。真護のKYは遺伝で家風だ。


「それで、黒龍様のお話というのは、一日で済む話なのかな。どういうお話をされたいかパンチ君は知ってる?」

「知りません。俺達、小さいものが、偉大な黒龍様のお気持ちをはかろうとすること自体が不敬なんです」


 びしっと言い切った猫又に、私の養父母は二人して、ほぅと感心していたが、絶対にあれは、くだんの蛟の長老に言われたことだと思う。


「そうか。それは困ったね。人間は、黒龍様に呼ばれたから、というだけで、七歳の子供を一人で遠くに行かせるわけには行かないんだよ。せめて、どういうお話をされたいのかとか、付添人は許してもらえるのかとか、お許し頂ける条件が分かると助かるんだけど」


 お父さまの芳しくない答えに、パンチ君は、食べかけの大福を持ったまま、哀しそうに俯いてしまった。


「パンチ君、私たちの方で何とか打開策を考えて、貴方の悪いようにはしませんから、大福は食べちゃいなさいな」


 お母さまに言われて、こくりと頷き、もごもごと大福を食べる黒猫は、百歩譲って、まぁまぁ可愛いかもしれない。もちろん、お父さまと明楽君は、完全に庇護欲を刺激されているようだった。猫又に手玉に取られて、どうするんだよ、この二人は、全くもう。




「・・・で、その黒いチビは何だ?」


 今、私たちの前には、不機嫌を隠そうともしない冥府の王が座っている。あれから、夕食時に私の実父と教育係に相談しようという結論になり、納得した明楽君と真護は帰って行った。


「兄様、この子は、黒いチビじゃなくて、パンチ君ね。さっきも説明した通り、あちらの黒龍様が、ふーちゃんと話をしたいとご希望なんだよ。でも、黒龍様のご意思がよく分からないのに、ふーちゃんだけを送るわけにはいかないでしょ。だから、保護者の私が付き添いで、ふーちゃんとお伺いするのがいいと思うんだけど、兄様と牧田さんの意見も聞いておこうと思って」


 事も無げに、にこやかにお話になるお父さまと違って、私のセーターの下に潜り込んだ猫股は、ぶるぶると震えていた。一応、パンチ君の周りには【風壁】を付与しているので、魔力と妖力の両方の対策はしているけど、冥王の直ぐ後ろに牧田が立っているので、パンチ君にしてみれば、生き地獄に来ちゃったよ、という気持ちだろうね。


「おい、猫又、俺の弟が呼ばれていないのに、ふーと行くのはまずいのか」


 ぷくりと膨れた私のセーターに向かって、父様が話しかけると、パンチ君は、私の首元から、ぴょこりと顔だけ出して、父様の質問に答えた。


「黒龍様は優しいので、水の魔力を持った叔父様は問題ないと思います。でも、魔王様が来るのは、ちょっと・・・」

「誰が、魔王だ、誰が」

「はいっ。しっ、失礼しました、大魔王様」


 ぶふっとお父さまが吹き出すと、父様は、ちらりとお父さまの方を睨んだが、お父さまは、兄が家族の中で一番自分に甘いのを知っているので、全く堪える様子がない。


「弟が行くんなら、俺は行けねーよ。瑞祥と嘉承の当代が二人揃って西都を離れるのは、皇帝から要請がある時だけだ。弟と、その傘下の一条という水の魔力持ちが付き添っていいか、黒龍様に確認したいところだな。猫又、お前、黒龍様に連絡は取れるのか」

「俺では無理ですけど、一緒に来た蛟様なら出来ます。蛟様は、西の黒龍様にご挨拶をして、それから白龍様のところに、俺と若様を千台に連れて帰るまで逗留せよ、というご命令をもらってます」


 私のセーターの中の体は恐怖でぶるぶると震えているのに、それでも小さな妖は、主人の意向を必死で伝えようとしている。生意気なやつだけど、忠義者であるのも事実だ。お父さまが、私のセーターの上から、励ますように、パンチ君の体をポンポンと叩いた。


 話を聞いていた父様が、少し考えたあと、牧田の方に振り向いた。


「牧田、黒龍の眷属の蛟って、どれくらいの強さなんだ?」

「小物ですね」


 父様の質問に牧田が、全く考える素振りも見せずに即答した。


 いやいやいや、おかしいでしょ、牧田。超高位の龍の眷属だよ。小物なわけがない。蛟といえば、帝国でも、場所によっては、水の神として崇められるほどの力を持つと言われるほどで、水中では、向かうところ敵なしという強大な妖だよ。


 お祖父さま達の尽力で、最近、試験的に、妖について西都公達学園初等科で教えることが決まり、高位の妖から、徐々に教えてもらっている。分かっていることよりも、謎の方が多い存在について学校という公の立場にあるべきところが教えると、子供達も教育現場も混乱するのではないかと帝国議会では他地域出身の議員たちが反発したそうだ。ところが、検非違使庁が崩壊した事実がある以上、「無知は罪である」と陛下の鶴の一声があった。そこで、一般家庭の子供でも、西都で生まれ育った子供達は、その保護者も含めて、人外の存在に慣れているので、まずは、西都で試して、その様子を見ながら全国展開していこうと内裏側の妥協案を菅原宰相が提案して決着したらしい。


 その後、西都では、公家のパワーバランスと政治力に、西都教育委員会が明らかな忖度を見せ、教科書の一番最初に、銀狼族が載っていて、曙光帝国に古代より存在している妖の王族的存在と教わる。「的」と教わるのは、銀狼族は、1400年以上目撃情報がなく、六十年ほど前に、銀妖の子供が西都で目撃されたとあるだけで、今でも帝国に棲んでいるのか分からないからだそうだ。頼子叔母様の引き攣った笑顔が目に見えるようだよ。


 あとで東久迩先生から聞いた話では、この銀狼のイラストに、某公爵家からクレームが届き、承認がなかなか下りなかったため、三学期に配布される教科書の仕上がりが遅れ、請負業者は祝日、週末、なんなら正月返上の配送までして、めちゃくちゃ苦労したらしい。


 そんな裏話の多すぎる教科書には、銀狼の次に、龍と天狐が記載されている。こちらは、銀狼と違い、時々、西都のみならず、帝国各地で目撃されている存在だ。そして、帝国にはいないが、万が一、遭遇しても、逆らってはいけない相手として、麒麟、鳳凰、玄武、白虎と知られた名前が並んでいる。この辺りの特級は、話せば分かる存在なので、とにかく礼儀を尽くすこと、と注意書きがされている。こういうのは、すごく大事な知識だ。ちなみに、編纂は、陰陽大学の研究者の先生方だそうだ。


「牧田が小物というなら、間違いがないな」


 父様の言葉で、呆けていた意識が戻った。


「いやいやいや、父様、何を言ってるの。蛟って、すごい毒も持ってるし、水の中では無敵といわれるくらい強い妖だよ。小さいものでも3メートルはあって、大きいやつになると、学園のプールより大きいって習ったよ」


 必死で、私が父様に反論すると、父様と牧田は、「それが何か」というように首を傾げた。こういう常識外れな発想になる時は、この二人は絶妙なコンビネーションを見せる。めちゃくちゃ迷惑なコンビネーションだから、それっ!


「大丈夫だ、ふー。水の中ではなくて、に【召喚】する。3メートルくらいなら入るだろ」


 父様の言葉に、牧田は、くふりと笑っていた。出たよ、牧田のくふり。あれは、絶対に止める気なんかなくて、むしろ面白がって父様を助長する気だ。牧田は、嘉承家の家令だけど、元々は、不比等の子供の教育係という存在で、今でも嘉承の子供の面倒をみている。父様があんな常識外れになったのは、牧田の育て方に理由があるよね。


「よし、彰人、ちょっと【結界】を強化しておいてくれ。ここの調度品が壊れるとお母さまが怖いからな」


 そして、お祖父さま同様に、父様はお母様にだけは、頭が上がらない。


 瞬間、むせるほどに濃密で強大な魔力が動いたかと思うと、次の瞬間、水色の大きな蛇のような存在が目の前に現れて、暴れ出した。頭には角もある。



 蛟だ。

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