銀河鉄道まで逃避行
銀河と抹茶とラベンダーティー。
アンバランスな組み合わせに思えるかもしれないけど、これがおれたちを表す最大限のことば。
銀河鉄道の夜が好きだ。まだぜんぶ読み終えてはないけど。
おまえが好き、って言ったから少しずつ、何度も同じ本を読むおまえみたいに、じっくり、ゆっくり楽しんでいる最中。
そしたら、急に文庫から顔をあげたおまえが、
「あなたがカムパネルラで、わたしがジョバンニね」
って言う。
なんで? と問うたら、
「なんの罪もないのに、冷やかされて、何べんだって眼を拭う孤独な運命は、あなたには似合わないから」。
だったら、おまえだってそうだろう。
本にしか逃げられないおれたちだもの、泣きながら悔しそうに唇を嚙むおまえを何度、どうやって励ましたらいいか悩んだと思うの。
手元では、ジョバンニがすっかりきれいに飾られた街を通って行くところだ。
らっこの上着が来るよ。と、ザネリが冷やかして云う。ジョバンニはただ坂を下っていく。
抹茶のラテが入ったカップを口に運んだおまえが、おれのラベンダーティーにちら、と視線を向けた。
飲みたい、って顔が言っている。けれども一向に言いだしてこない。
「ん」
「……あ、ありがとう」
ラベンダーティーも好きなおまえにカップを差し出すと、遠慮してちょっとだけ口をつける。
「……おれは、カムパネルラなんかじゃないよ」
「……そう」
おれはカムパネルラなんかじゃない。
ジョバンニみたいに病弱な母を抱えながら健気に父を待つ、大人しくてやさしくて特別な存在でもないけれど――。
読み進めているうちに辺りは真っ暗になって、ゆらゆら、机に蠟燭の灯がおぼろげに揺れている。
カムパネルラとジョバンニが銀河ステーションでもらった黒曜石の地図をかこんで、汽車が何で動いているのか話している
首から肩までひどく凝っていて、首を捻るとバキバキ音がする。
ごりごり骨が鳴る首を数回まわして、あと数分で溶け切りそうな蠟燭を横目に新しいキャンドルにマッチを擦る。
ひと際大きく揺れた光に気がついたのか、恋人はちら、とおれと振り子時計を見て、再び本に視線を戻した。
辺りは一面闇に覆われ、奥からフクロウの赤い目と、ほほーーお、ほほーーお、と一定の声が聞こえてくる。
光が洩れないように重いカーテンを閉めて、蠟燭を壁の燭台につけて回る。
残り数
暫くして、肩から全身へ力がぬけてすとん、と椅子に座ったおまえが、頬にかかった栗いろの髪を爪で掬った。
昔話みたいに、ずっとずっと愛してた、って呟いて銀河鉄道の夜の表紙を撫でて、ゆっくり、名残惜しむように閉じる。
あっと言う間に冷えたうす紫いろのラベンダーティーを飲む。ふと、おまえがじっと抹茶ラテ片手におれを見ていた。
じじ、と
天井が輝きだして頭上を、銀河鉄道を模した鉄道ががたがたがたがた走っていく。鉄道が通ったところがギラギラ光る。
恋人の視線に目を合わせる。
「なに?」
「……ううん、なんでもない」
そう、曖昧に答えて抹茶ラテを飲み干す。
「絶対なにかある。言ってよ」
「……やっぱり、あなたはカムパネルラだよ」
「またその話かよ」
「だってそう思ったから」
カーテンを開いたら、窓の外にりんどうの花が光っているのが見えた。
「人のために自分の身を犠牲にするのもためらわない、心の底から教養深くてあたたかいじゃない、あなたは」
「おれはそんなんじゃない」
おれじゃない。おまえが――カムパネルラだよ。
だって、ジョバンニみたいに、なんの罪もないのに、冷やかされて、何べんだって眼を拭う孤独な運命はおまえには似合わないよ。
だからジョバンニは、人を傷付けずに、いつだって困ったように笑って、そしておれと銀河鉄道に
そして、最期には――。
「でもそれだと、だめじゃないか」
おまえが抹茶ラテの最後の一口を飲み干す。
「それじゃあ、銀河鉄道を最後にして、おまえとおれは離れ離れになってしまうだろう」
「……そうはならないわよ」
振りかえったら、先ほどまで座っていた机の上には地図が載っていた。ぐるぐるまわして見る、カムパネルラが銀河ステーションでもらった地図。
おまえは
「逃避行した銀河鉄道は、終点がないの。銀河ステーションに戻る。わたしたちはもう――二度とここを降りない」
はっとして窓にもう一度目を向けたら、先には銀河に浮かぶ島と白い十字架があった。ハルレヤ、ハルレヤ。頭のなかで乗客の声がする。
――一体、ここは、銀河鉄道なのだろうか。
――逃避行した先は、一体、ここなのだろうか。
了
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