第8話 アルファ、ベータ、ブラボー
「てゆうか、今までの話って全部嘘ですよね」
どう考えても胡散臭く、荒唐無稽で怪しすぎる。子供でも見破れる嘘とは正にこのこと。
この指摘に彼女は黙って下を向く。肩をさすりぷるぷる震えているのがわかった。まさに生まれたての小鹿状態。
ああ。
なんとなくだが俺はわかってしまった。
やはり、最初から彼女を追い詰めていたのは、俺の方だった。
「恩羅さん、心配しないでください。俺はあなたに『やりたい』って言ったのは嘘じゃないですが、決して体だけが目当てじゃありません」
「えっ」
恩羅さんの潤んだ瞳がこちらを向く。
「もしかして、さっきの強がりですよね。さっき俺がいきなり『やらせてください』だの『なんで、誘惑ばかりするんですか』なんて、無神経に恩羅さんを揶揄う形になってしまったから、あんな感じになったんですよね。俺がバカでした。そんなの女性にしてみれば、嫌ですから当たり前ですよね」
「手令くん……」
「いきなり『やらせてください』なんて言われたら、口も聞いてくれなくなるのが普通ってもんです。でも、恩羅さんは優しいから、逆に気にしてないって素振りをしてくれたんですよね。今まで俺はいつもあなたの優しさに甘えてました。そして、それに気付かずに『なんで誘惑ばかりするんですか』って、輪をかけて失礼なことまで。本当にすみません。俺の本心は違うんです」
「あのね……」
待ってくださいと、右手をかざして彼女の口をふさぐ。ぴんと背筋を伸ばして、腹に力を込める。
「今まではっきりしなかったのがダメだったんです。今からちゃんと言います。俺はあなたが好きです。実は前から気になっていました。テレワークで会えなくなって、やっと自分の気持ちに気づいたんです。今日もあなたに会えるのが楽しみで仕方ありませんでした」
「……本当に?」
「本当です。もしよかったら、俺と付き合ってください」
誠意を込めて頭を下げた。
そうだ。これでいいんだ。
俺は彼女が好きなんだ。
彼女の優しいところも、エロいところも、子供みたいにムキになって、バレバレの嘘を吐くところも。
全部ひっくるめて最高なんだ。
でも、肝心の彼女の反応はどうなんだ。一方的に、俺が盛り上がって爆死するかもしれない。
十秒ほど経ったあと、恩羅さんは「かはっ」と思い切り息を吸い込んだ。どうやら、さっきまで息を止めていたらしい。恩羅さんは、くにゃりと肩と眉を同時に八の字に下げた。
「やっと言ってくれたのね。よかった~」
「じゃ、じゃあ」と食い気味に彼女に迫る。
「わたしも手令くんが好きよ。なんか、いい年して面と向かって、男の人にこんなこと言うのって恥ずかしいけど」
「すみません、鈍感なんです。友達からもよく言われます」
「内心、不安だったのよ。だって手令くん、わたしの十歳も下でしょ。わたしからいったら絶対引かれちゃうじゃない」
「そんなことないですよ。恩羅さんは魅力的です」
「そんなことないって。おじさんだけだよ、わたしに近寄ってくるのなんて。わたしより若い子なんて山ほどいるじゃない。そんななか、勝負するのは大変なのよ」
「そうなんですか」
「やっぱり手令くんは鈍感ね。だから、頑張ってあの手この手で誘惑してたのよ。とりあえず持てる武器は、全部だしたってこと。今日の格好もおかしいでしょ。わたしだってテレワークで手令くんに会えなくなって、久しぶりに会えるから頑張ってさ。今、二月だよ。あまりに寒くてさっき震えちゃった」
恩羅さんは両肩を手でこすり、暖をとる。
「やっぱり寒いですよね。でも、俺はその格好好きですよ。やっぱり、恩羅さんは色気のある服が似合うというか」
「本当に? 色気があるって言われると嬉しいんだけど……」
「恩羅さん」じっと彼女を見つめる。「そんな深読みしないでください。決して全部が全部、イヤらしい目であなたを見ているわけじゃありません。俺はあなたの内面に惹かれてるんです」
「ならいいんだけど。だって、手令くんいきなり『やらせてください』でしょ。そりゃあ……」恩羅さんは頬と耳を赤くさせ、「や、やらせてあげるけど。わたしだって大人だから。そんなのわかってるけど。こっちから誘惑しといてなんだけど、なんかそれだけかなって寂しくなったのよ」
「で、ですよね。順序が逆でしたね」
「そうよ。だから、思わずビンタしちゃった。あれ痛かった? ごめんね」
「いえいえ、大したことありません」
今思うと、結構痛かったな。
恩羅さんは見た目の細い腕から、想像できないほど力強い。
「ごめんね。悪気はないからね」
「俺の方こそすみません」
「いいのよ。でも……わたしでいいの?」
「もちろんです」
「十歳も上だよ」
「年なんて関係ないです。恩羅さんは、エロくて可愛らしくて素敵です。苦し紛れに、あんな突拍子もないバレバレの嘘まで吐いてしまうこととか。すぐ見破りましたよ。でも、そういうところも含めて、改めていいなあと思いました。そういえば、恩羅さんサスペンス映画好きでしたもんね。今度、一緒に映画でも観に行きませんか?」
「えっ、でも……」
「ああ、そうですよね。自粛期間中ですもんね。じゃあ、俺の自宅でネット配信でも如何ですか。最近、面白いドラマが配信されたみたいです。スパイアクションなんですが、笑っちゃうぐらいに『メーデー、メーデー』叫ぶんです。って、いきなり俺の自宅は早いですかね。はははは」
彼女は俺を見つめてくすりと笑う。
ああ。これでよかったんだ。
年の差なんて関係ない。
俺は、エロくて可愛らしい恩羅さんが好きだ。
今なら会社に誰もいない。神すら見落とす都会のオフィスに、俺と彼女の二人だけだ。この熱い想いに逆らうことなく彼女へ迫る。
恩羅さんは瞳を閉じて、黙ってその身を委ねた。俺の腕が彼女の背中にまわり、洋服の上から肌と肌が密着する。恩羅さんのぬくもりと鼓動が、心をゆっくりと揺さぶっていく。
そんな気持ちが昂っている俺に、恩羅さんは耳元でこう囁いた。
「やっぱり、映画は一緒に観られないかも……」
「いきなり俺の自宅なんて、展開が早すぎましたね」
「違うのよ。アレよ、アレ」
彼女はそう言って、オフィスの入り口を指差す。
「アレ?」
その指差す方向に顔を向けるより先に、静寂を切り裂く怒号が響き渡った。
「確保おおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
突如として、耳をつんざくような男たちの叫び声が上がり、それを合図にオフィスのドアが蹴破られ、全身黒ずくめの戦闘服を身に纏った武装集団が次々と俺たちのもとへ押し寄せた。
「コードレッドの隣に対象者発見!」
「アルファ、ベータ、ブラボー、急げ、急げええええ!」
「メーデー! メーデー!」
「クリアっ! クリアっ!」
なにがなんだが状況が掴めず、恩羅さんと、いつの間にか取り囲まれた黒ずくめの戦闘服集団を交互に見る。四方からアルファ、ベータ、ブラボーと思われる集団にガチャガチャと銃器を向けられて、俺は両手を上げることもできない。
恩羅さんは、ばつが悪そうに横を向いている。
「ど、どういうことですか」
俺は振り絞るような声で彼女に尋ねた。
彼女は赤い髪を揺らして、ぽつりとつぶやく。
「だから……。嘘じゃないんだって」
白く透き通ったうなじに、ぽつんと見えた虫刺されのような赤い点は、彼らに居場所を伝えるかの如く点滅していた。
恩羅さんは……最初から嘘など吐いてなかった。
了
多様性の翼 ―恩羅さんはWEBなんかじゃイヤっ!― 小林勤務 @kobayashikinmu
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