第7話 女の子の手作り料理は美味しい

 ジュー、ジュー、と。

 キッチンから聞き慣れない焼き音が聞こえる。

 どこにあったのか、可愛らしいフリルのエプロンを引っ張り出した鎖錠さんが、夕食を作っているところだった。


『今日は、お世話になるから』

 と、夕食の準備を買って出てくれたのだ。

 買ってきた半額カルビ丼は一つしかないし、鎖錠さんには不評だったので、冷蔵庫にしまわれてしまっている。

 多少の未練はあれど、女の子が手料理を振る舞ってくれるという幸せな状況と比較すれば、それも直ぐに消えた。


 本人のダウナーでクールな雰囲気とは対照的な可愛らしいエプロン。

 ギャップはあれど、顔が良すぎるからだろうか。違和感はあるのに妙に似合っていた。

 見た目、なんでもこなせそうな雰囲気があるのだが、調理台にはレシピを表示したスマホが置かれている。

 逐一レシピを確認しては、たどたどしく、危なっかしい手つきで調理している。

 ガタンッ、ガタンッ、と調理台を叩き切る勢いでトマトを切り、

 計量スプーンとレシピを交互に見ては、恐る恐るボールに投入している。


 手出し無用と見ているだけだがハラハラしてしまう。

 どうせ料理なんてできはしないが、我が子が初めて包丁を握った時のような落ち着かない感覚だ。子供いないけど。


 鎖錠さんの料理光景にヒヤヒヤ、ドキドキ。心臓は大忙しだ。

 気付けば、ハリウッド映画超大作を休憩なしに観ていたような疲労感と脱力感が身体に宿っていた。見ているだけなのに、長いため息が零れてしまう。


「できた」

 お皿に盛り付けた鎖錠さんが、端的に完成を告げる。

 言葉こそ短く、表情もいつもと至って変わらず平坦だが、その声音はどこか達成感に満ちていた。


 机を拭いて、

 料理を並べる。

 後はご飯を持っていただきますをするだけ――となった瞬間。


「あ」

 と、パカリと炊飯器を開けた鎖錠さんが驚きの声を発した。

 しまった、という響きの詰まったその反応に釣られて横から覗き込めば、理由は明白。

 水に浸かったままの米が、釜の中で泳いでいた。

 スイッチの押し忘れ。ご飯は炊けていなかった。


「……ごめん」

 バツの悪そうな鎖錠さん。


 なるほど。なるほど。

 僕はうんうんと頷く。これは不慮の事故で、しょうがないことだと。

「カルビ丼の出番、ということだね?」

「……知らない」

 ふふふ。嬉しさがこみ上げてきて笑みを零すと、ふいっと顔を背けられる。

 その頬が少し膨らんでいるように見えて、増々ふふふと笑い続けたら、スリッパを履いた足ですねを蹴られた。痛い。



 ■■


 からあげ、卵焼き、レタスとトマトのサラダ、そして――タコさんウインナー。

 明日のお弁当のおかずになるはずだった食材が、色とりどりに夕食を飾っている。

 唯一、ご飯だけはレンジでチンした出来合いの半額のカルビ丼で、それぞれのお皿に分けて盛っていた。


 中学3年の半ば。

 もう直ぐ卒業だからと出張に着いていかず、一人暮らしを始めてから真っ当な食卓はなかった。

 弁当か、カップ麺。酷い時は食べないなんてこともあったぐらいだ。

 それがどうだ。

 女の子。しかも、超が付く美少女に手料理を振る舞ってもらえるなんて。夢を見ているのではないかと、頬を抓りたくなる。痛い。


「……下手なのはわかってる」

 向かいに座る鎖錠さんが、低い声で呟く。

 不満があるとでも思ったのかもしれない。


 まぁ、言いたいことはわかる。

 鎖錠さんが作った料理は、ちょっと焦げていて、切った食材の形も不揃いだ。

 タコさんにしようとしていたウインナーは、勢い良すぎて無惨にもバラバラになっている。タコさんウインナー殺蛸事件だ。

 お世辞にも上手とは言えない。

 けど、だから不味いかと言えば、そんなこともないわけで。


 いただきますと、両手を合わせる。

 そして、箸でからあげを一摘み。食べる。

「うん、美味しい」

 ジューシーで、サクサク。ついつい頬が緩んでしまう。


「そういうの、いいから」

「お世辞じゃないよ」

 本当に、そうだ。お世辞じゃない。

 不格好だし、見た目は悪いけれど、味は美味しい。それは、事実で、間違いじゃない。

 それはお弁当を食べている時から感じていたことで、

「慎重で、丁寧だ」

 今日の調理姿を見て納得した。


 多分、鎖錠さんは普段から料理をする人じゃない。

 けど、ちゃんとレシピ通りに作ろうとしている。

 計量スプーンを使って調味料も計るし、からあげは二度揚げしていた。

 慎重に、手間を惜しまない。

 そのせいで時間がかかって、レシピを確認している間に焦がしてしまうことは多々あれど。

 彼女の料理が美味しいのは、当然の帰結。当たり前であった。


「鎖錠さんの優しい性格が出てるよね」

「……なにそれ、意味わかんない」

 そんなに言うなら残さず食べろと、ドンドン取皿に盛られてしまう。

 気付けばサラダに卵焼き、からあげが一つの皿に盛々だ。


「いやぁ……これはどうなの?」

「知らない」

 まぁ、食べるけど。


 暫く、僕一人が黙々と食べ続けていて、それを鎖錠さんがチラチラと眺め続けるという状況が続いた。なんだが、動物園のパンダにでもなった気分で落ち着かない。

 ただ、彼女が取り分けた料理を半分食べたところで満足したのか、鎖錠さんも手を合わせて小さな声で「……いただきます」と口にすると、欠片のようなからあげの衣をちょこんと箸で摘んで、小さく開けた口に入れた。


 静かに綺麗なラインを描く顎が動く。

「美味しいでしょ?」

 我が事のように笑って聞くと、鎖錠さんは険しい顔で言った。

「不味い」

「えー」

 目の前の女の子は頑固で、とても素直じゃなかった。


「そんなわけないでしょー?

 美味しいよねー?

 ほらほら。素直な感想を述べよ?」

「……うざい」

 心底鬱陶しいと睨みつけられ、渋々引き下がる。こんなに美味しいのに……。


「ほんと……まずい」

 何度も何度も、まずいまずいと繰り返す。

 けれども、料理の盛られたお皿が綺麗になるまで、ゆっくりだけれども鎖錠さんの箸が止まることはついぞなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る