第6話

 西多摩郡日の出町の廃棄物処理場に多くの警察車両が停まり、普段は人気など全くないであろう場所に多くの人がいた。門の前に規制線が張られ、廃棄物の山にブルーシートがかけられていた。その中では鑑識による現場検証が行われていた。その傍らで加野と磯塚、そして鹿賀里がブルーシートを眺めていた。

 すると奥からお疲れ様です、と掛け声が聞こえてきた。三人もその方向を見ると本庁捜査一課の捜査員達が到着していた。


「お前らが第一発見者か?」


「正確にはこっちの鹿賀里彩乃ですが……」


 捜査員は所轄の刑事に現場を先越されたのが気に入らないのか明らかに不機嫌な様子で現場入りする。人の死を変な縄張り意識だったりプライドで片付けてはならない。捜査員にとっては人が殺された事件でも昇進のための糧にしか思ってないのだろうか。そんな怒りを抑えて加野は軽く頭を下げる。鹿賀里の名前を聞いた捜査員は一瞬、怪訝そうな顔をしてからすぐに納得したような声を出す。


「鹿賀里……あぁ、鹿賀里って確か妹を殺されて犯人をその場で半殺しにしたやつか。今はゴシップ記者か?警察じゃないんだからあまり出しゃばるなよ」


「元少年課なんだから、死体なんか見たら気絶するだろ。邪魔だからあっち行け」


 邪魔だ、と鹿賀里の肩を退ける。加野はそれを見て捜査員を呼び止めようとしたが鹿賀里がそれを止める。


「いいのかよ、大切な妹の事を貶されたんだぞ?お前黙ってるのか?」


「警察なんてあんな奴ばっかりでしょ。そんなのに一々反応してたらキリがない……それに私はもう吹っ切れてる。あれくらいじゃ動じないよ。どうせ私達に先を越されてイライラしてるんだよ」


 冷静に言うものの、鹿賀里の目には確実に怒りの感情が含まれていた。だがそれを何とか押さえ込んでいるようだった。鹿賀里にそんな思いをさせる不甲斐なさを感じながら加野は鑑識の現場検証を待つ。ブルーシートの奥から数人の鑑識が出てきて、もう大丈夫ですよと声をかける。本庁捜査一課の捜査員と磯塚、加野が続く。鹿賀里は入ろうか迷ったが、加野に「責任は俺がとるから」と言われこっそり後に続く。

 鹿賀里が見つけた肌と髪の毛は女性のものだった。廃棄物を退けた時は一人だけかと思ったが、その横に三人の女性の遺体が遺棄されていた。捜査員達は合掌をすると、遺体を見る。本庁捜査一課のベテラン達といえども、目の前の遺体の異様さに顔を顰めていた。

 遺体は廃棄物に隠されており、一人目の遺体から廃棄物を退かすと他の三名も川の字に並ぶように遺棄されていた。


「遺体の一部を切断していますね……ここに無いと言うことは犯人が持ち去ったと考えるのが妥当ですよね」


 加野の言葉に捜査員達は無言で頷く。


「身元が分かる物はあったのか?」


 鑑識が所持品を並べたブルーシートを見る。


「身元が分かりそうな物はありませんでした。死因についてはまだ断定は出来ませんが、四名とも首元に線条痕があることから絞殺である可能性が高いです。ですが、解剖はかなり厳しいものになるかと……」


 鑑識の言葉に捜査員達は唸る。遺体は全て身体の一部が切断されている。その切断部位は四名で異なり、右腕、左腕、両足、胴体というようにバラバラだ。


「腐敗がそれ程進んでないので、死亡してからさほど時間は経過していないと思われます」


「とにかく、家族から失踪者のDNAが採取出来そうなものを提供してもらい、遺体のDNAと照合しよう。この遺体の状態では身元の確認どころじゃないな」


 捜査員はそれだけ言うと、鑑識に遺体を運び出すように指示を出す。担架が持ち込まれ、女性達の遺体が乗せられる。高校の制服を着た者や清楚な服を着た者もいる。それらが無惨にも赤黒い血で染っていた。


「鹿賀里、大丈夫か?」


「……正直、大丈夫じゃない」


「まだこの遺体が失踪者とは決まったわけじゃ……」


 そこまで言って加野は口を閉じる。鹿賀里はもしこの遺体が失踪者なら、探している新井沙耶香も既に殺害されているかもしれない。そんな目に遭わせてしまったかもしれない、そう責めているのかもしれない。あの時みたいに、また大切な人を犠牲にしたかもしれない。そんな鹿賀里に易々と慰めの言葉をかけることは加野には出来なかった。遺体を乗せた担架にシートがかけられる。加野と磯塚は捜査本部に戻るために車に乗り込む。


「鹿賀里、乗せてくよ」


「ありがとう」


 目の前の現実から目を背けるように遺体に背を向ける。一番左、鹿賀里が最初に見つけた遺体が目に入る。この女性は右腕を切断されており、肉と骨の断面が見える。時間が経ったのか、溢れ出ていたであろう血は凝固していた。その反対の左腕に何か文字が書かれているのが見えた。


「これは……」


 鹿賀里は鑑識が呼び出され、周りに人が居なくなった隙に、カメラで左腕を撮影した。


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 捜査本部が設置されている千住警察署は慌ただしかった。会議室に多くの捜査員が入り、加野達も席に座るとすぐに捜査会議が始まる。管理官が緊張した口調で話す。


「日の出町の廃棄物処理場で見つかった遺体の身元は分かりましたか?」


 鑑識の男性が資料を見ながら話す。


「捜索願を出していた家族からDNAを提供してもらい遺体のDNAと照合したところ、四名の失踪者と遺体全てのDNAが一致しました」


 その答えに会議室に重い空気が漂う。警察としては四件の失踪を許し、更に殺人まで止められなかった。管理官にとっては威信に関わると考えたのだろう。


「死亡推定時刻は?」


「一番最初に失踪して恐らく最初に殺害された佐藤玲奈の検死の結果、死後四日と判明しました。失踪者の順番的に見ても、一日ごとに殺害されたものかと」


「失踪者……被害者と冥霊会の関係は?」


 それには一番最初に関連に気付いた鹿賀里

 ではなくその話を聞いた加野が答える。


「えー、被害者の一人である佐藤玲奈は勤務先の風俗店で同僚に『良い財布を見つけた』と話しており、その相手は冥霊会の所属を仄めかしていたようです。そして冥霊会でリストを調査し、日の出町の廃品回収業者である保田朝三が浮上しました。保田は冥霊会で勧誘部門のトップ、所謂幹部だったようです」


 乾いた口で早口にならないように慎重に話して座る。管理官と本庁捜査一課の面々の前で報告するのはほぼ初めてだったので緊張したが、かなり鋭い視線を捜査一課の方々から向けられ、余計に緊張した。所轄刑事に先を越されるのがそんなに気に食わないのか、と思った。


「とにかく、この事件を連続失踪事件から連続誘拐、殺人事件として捜査します。そして重要参考人として保田朝三を指名手配します」


 管理官の言葉により一層緊張した空気が張り詰める中、一人の鑑識が声をあげる。


「すみません、一つ遺体の状態について言い忘れていたことが。佐藤玲奈の左腕に『Elohim《エロヒム》』という単語が刻まれていました」


「エロヒム……犯人が残した物でしょう。頭には入れておきますが今は保田朝三です。冥霊会の捜査も本格的に行ってください。私が聞いた情報ですが、最後の捜索願が出された日から今日までに、新たに一件失踪の通報を受けているようです。しかも足立区内で」


 管理官はそれだけ言うと、捜査員全員を見て強い言葉で話す。


「これ以上犯人の好き勝手にはさせません。次の犠牲者を出す前に保田朝三の確保、失踪者の保護をお願いします」


 以上、の号令で捜査員達は足早に会議室を後にした。加野と磯塚はそれぞれ別行動をとることにした。


「俺は本庁捜査一課の方々と冥霊会の調査だとよ。お前は鹿賀里と一緒に調べろ」


「え、でも……」


 加野の言わんとすることを理解した上で、磯塚は加野を制す。


「お前だってその方がやりやすいだろ。こっちは上手く誤魔化しとくから早く行け」


 磯塚は払う様に手を動かすと、そそくさと捜査一課の面子に会釈をしながら去っていく。加野は軽く頭を下げ、しかし心の中で深くお礼をしてから会議室を出る。


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「ただいま……って誰もいないか」


 鹿賀里は警察での聴取から解放され、自宅に帰ってきた。時刻は午後六時を回っていた。元警察官、しかも通り魔を重症にしたという事で事件とは関係ない罵りも受けながら数時間の拘束を過ごした。廊下からリビングに向かうと、扉から光が漏れているのが見えた。ちなみに鹿賀里は結婚はしておらず、親とも離れて暮らしているのでこの部屋に入れるのは自分か誘った人物だけだった。

 足音を立てずにゆっくりと歩く。そしていつでも抑え込めるように構えながら部屋を開けた。


「あら、お帰りなさい。何も無かったから夕飯作っておいたわよ。まだ食べてないでしょ?」


「お母さん……びっくりさせないでよ……来るなら来るで連絡くらい頂戴」


 肩の力が一気に抜ける。部屋にいたのは母親だった。そういえば上京した時にいつでも来ていいから、とマンションの鍵を渡していたのを忘れていた。警察にいた頃からずっと同じ部屋に住んでいるので入れたのだろう。散らかっていた部屋は綺麗に片されており、テーブルの上にはサラダと好物のカレーが並べられていた。母親のカレーは市販のルーを使わず、スパイスから調合する本格派だった。


「ごめんね。ちょっと心配になってね。冷める前に食べましょう」


「……ありがとう……いただきます」


 スパイスの香りが鼻に届く。鋭すぎない優しいスパイスの調合だった。カレーは若干スープカレーのようになっており、口に運ぶとピリとした刺激が舌を襲う。同時に心地よい香りが鼻を抜けた。程よい辛さと野菜の甘みが絶妙なバランスでマッチしており、昔から変わらない、鹿賀里も妹も大好きだったカレーの味がした。


「もしかして彩奈のこと?」


 鹿賀里の言葉を聞いて、一瞬母親の手が止まる。母親は少し寂しそうな顔をして話す。


「やっぱり彩奈に会って欲しくて……もう一年。まだ受け入れられないかもしれない、いや受け入れる方が無理な話かもしれない。でも彩乃のせいじゃない。それだけはわかって欲しいの」


 悲痛な声に鹿賀里は胸が痛んだ。分かっている、つもりだったが行動がそれを示していなかった。本能はずっと自分を責めている。目の前で刺され、倒れる妹の手を握れなかった。妹の手を握り、そして溢れ出た血で染まった服と自分の手を見た。警察官とか人間とか、そんなことを忘れてただ殺意に塗れた無垢な獣のように通り魔の首を絞めた。通り魔の首の骨が軋むのを感じ、このままいけば殺してしまう事をわかっていながら力を緩めなかった。鹿賀里の意識が正常に戻ったのは、駆けつけた複数の警察官に取り押さえられた時だった。その後の事は覚えていない。ただ、担架で救急車に運ばれる妹だけが目に焼き付いていた。

 そんな自分をきっと恨んでいると思った。だから自分から姿を消したつもりだったが、母親に鍵を預けたままにしていたのは、あなたのせいじゃない、と言って欲しかったからなのかもしれない。


「わかってる。彩奈の墓参りには行くつもり。ただ……今は行けない。私にとってやり遂げなきゃいけないことがあるの。それが終わったら……彩奈に会いに行けると思う」


「そう……」


 それだけ言うと、母親も何も言わなくなった。これ以上追求する事は野暮だと感じたのか、それとも鹿賀里のある覚悟を感じ取ったのか。どちらにしろ母親はそれ以上妹の話をすることは無かった。

 食事が終わり、母親が帰ると言った。しかし夜も遅かったので鹿賀里は泊まっていくように勧めると、すんなりその提案を受け入れた。先に風呂に促すと、鹿賀里はカメラのデータを見る。大抵は男女が腕を組み合ってるものか怪しい店に入る著名人の写真ばかりだったが最後の写真だけは違った。昼間に撮った佐藤玲奈の左腕の写真だ。


「これなんて書いてあるんだろう……英語疎いからな」


 母親が風呂に入っているのを確認してパソコンを開く。さすがに遺体の写真や事件の事などを見せる訳にはいかないと思った。鹿賀里は写真に写る腕に刻まれたアルファベットを一文字ずつインターネットの検索バーに入力していく。


「Elohim《エロヒム》……エロヒム……英語じゃなくてヘブライ語なのか」


 検索結果に出てきたのは『Elohim《エロヒム》』とはヘブライ語の普通名詞である事、そして聖書に出てくる名詞で神を示すものらしい。神々の一神であり、究極的には絶対唯一の神を示すものでもある。それが分かったのは良いものの、なぜ佐藤玲奈の腕に刻まれていのか、この名詞が事件と何の関係があるのかまでは理解できなかった。


「神とか宗教じみたものが出てきたな……宗教じみた……宗教……」


 何かが頭の中で引っかかる。被害者の腕に刻まれたヘブライ語、そして出てきた宗教の関連、最近この事柄について深く触れたばかりであり、短期記憶が猛烈に呼び起こされた。そんな事があってはならないと思いながら、一か八かで調べてみる。


「まさか……だとしたら、この犯人は狂ってる」


 鹿賀里はパソコンの画面に表示された検索結果を見て背中に悪寒が走るのを感じる。四人の女性を誘拐し、殺害し、その遺体を切り刻んで一部を持ち去った犯人は、殺人鬼としては狂人とも呼べる目的を持って犯行に及んでいる可能性がある。同時に新井沙耶香の生存確率が格段に下がる事を知り、身体が震えた。

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ピグマリオンの狂愛 熊谷聖 @seiya4120

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