第4話

 隣の部屋の佐藤玲奈が連れ出されてから一日経った。佐藤玲奈は部屋に戻ってくることはなかった。何があったのか、想像は容易たやすいはずなのに脳が考えることを拒絶しているような気がした。

 新井沙弥香は電気の付かない部屋を見回す。一方向から光が差し込むのが見えた。数十時間ぶりの光を見て、餌を見つけた犬のように光の方へ駆け寄る。窓は木の板で閉じられていたが、少し隙間が開いていた。いつの間にか朝を迎えていた。人は暗闇の中に放り込まれ光を浴びずにいると時間感覚が狂う、それを身をもって体験した新井は必死に隙間を覗き込む。


「外…何か目印は…ここを示す目印は…」


 目が痛くなる程眼球を回し、外を見る。見渡す限りの緑、恐らく自然豊かな場所にあるのだろう。だがそれはこの場所を示す目印が何も無いということだ。隙間を広げようと木の板を動かそうとする。端の釘が外れ、木の板が少し動いて隙間が広がる。左右に首を動かして見ていると視界の右端に看板と文字が見えた。


「…有…料…駄目だ、先が読めない」


『有料』と書かれた文字列の下にも何か文字があるようだがそれは読めなかった。もっと文字を読もうと板を動かそうとすると、扉の外から足音が聞こえてくる。新井は短い悲鳴をあげて部屋の片隅に縮こまる。頭を抱えて足音を聞く。隣の部屋の佐藤玲奈を思い出す。見えた出刃包丁と狂った息を聞いて分かった。

 ここに閉じ込めた人物は『順番に殺しに来てる』ことだ。昨日は佐藤玲奈。その人物なりの法則があるのか殺害のスパンは分からない。だがそれが数日空くのか、それとも毎日なのか。死刑囚が刑務官の歩く音に怯えるように新井も怯える。新井のいる部屋に足音が近づいてくる。ここで逃れても他に閉じ込められている人が殺される。それでも死にたくはなかった。

 足音が新井の部屋の前に来た。

 息が止まるのを感じた。


 ━━━━━━━━━━━━━━━


 冥霊会の施設はあまり目立つような建物ではなかった。逆に言えば宗教じみた装飾や看板もないため、何も言われなければ近所の公民館にしか見えなかった。北千住竹ノ塚の住宅街の一角にある冥霊会の施設には体育館のような建物の他には、駐車場しかなかった。駐車場には車が数台停まっているのみであり、何か集会がある時にはこの駐車場が満車になるのだろうか、と考える。

 加野は車を停めると、施設の周りを見る。近くには公園もあり、子供たちの楽しげな声が聞こえてきた。


「これだけ見ると、普通の公共施設にしか見えませんよね」


「大きく宗教名を掲げて怪しげな建物にするよりかは親しみがある景観にした方が信者が得られやすいとかな。詳しい事は分からんがな」


 磯塚は車内で吸っていた煙草を咥えながら施設の入り口に向かう。入り口横の喫煙所を見つけて『喫煙所完備とは、中々良さげだな』と適当なことを言い、煙草を捨ててから施設に入る。加野もそれに続いた。

 施設に入ると、まず外の無機質な建物から想像できる普通の内部が目に入る。下手したら市役所のような無機質さがあり、妙な既視感に駆られる。しかし、目の前の壁には大きな額縁に入れられた男性の写真があり、それだけでここが新興宗教の施設であることを物語っていた。左手に受付があり、奥の女性に話しかける。


「すみません、我々千住警察署のものですが……」


「ご苦労さまです。今日はどのようなご用ですか?」


 女性は眩しいくらいのにこやかな笑みを浮かべて対応する。勧誘されて信者になる気はなくても、この笑みを浮かべられたら油断してしまうかもしれない。こういうところにまで気を配るところはある意味目を張るものはある。加野は警察手帳をしまうと周りに誰も居ないことを確認する素振りをして話す。


「ある事件の捜査をしておりまして、その聞き込みをしているんですが、出来ましたら大野木……さんにお話を伺いたいのですが」


 加野は大野木の名前を「さん」でいいのか、それともあまり機嫌を損ねないように「教祖様」とでも呼ぼうかと迷ったのだろうか。大野木の名前を出した瞬間、女性の目が鋭くなるのを感じた。だが笑みは崩さずまま対応していく。


「教祖様は只今、降霊会を行っております。あと三十分程で終わると思いますので、それでもよろしければお待ちいただければと思います」


「降霊会?」


 磯塚が眉を顰める。交霊会と言われて最初から良い顔をする人はいないだろう。


「はい。教祖様が月に一度開催している特別な行事です。その日だけ信者の皆様の前で降霊を行い、あの世の声をお届けになります」


 女性は落ち着いて話しているが、降霊について完全に信じているようで、目がまともでは無い気がした。加野は戸惑いながら磯塚の話を引き継ぐ。

 降霊術は日本に代々伝わるものや西洋で頻繁に行われていた儀式でもあった。西洋ではあのシャーロック・ホームズの作者であるコナン・ドイルも晩年は降霊会にはまっていた。近代都市伝説的な話の中にも降霊術なる呪いの儀式が存在しており、知名度だけでいえばかなり高いだろう。あの世の声を届ける、例えば亡くなった大切な人の声を届けると言えば、失った事で傷付いた人の心につけ込むことも出来る。本当に降霊術が出来れば問題は無いが。


「とにかく待たせて頂きます。時間はありますので」


 加野の言葉を聞くと女性は、先程の柔らかな笑みに戻して受付の部屋から出てくる。服装も一般的な事務員のようなものなので本当に宗教施設だと言われなければ、公民館に見えても分からないだろう。女性はしなやかな動きで奥の部屋に案内する。

 部屋の扉の壁には「応接室」と書かれていた。部屋の中は大きなソファが向かい合うように二つ、間にテーブルがあり周りには観葉植物が一つだけと質素な部屋だった。パイプ椅子と長テーブルを並べれば会議室だな、と変な考えを捨てて座る。


「ではこちらでお待ちください」


 失礼します、と一言残して部屋を出る。加野は溜めていた何かを吐くようにため息をつくと加野がそれを見て笑う。


「そんなに緊張しなくても良いだろ」


「だって宗教施設ですよ?隙あれば勧誘とかされそうじゃないですか」


「どんな偏見だよ。まぁ少し前はかなり過激な団体だったからな。そこの施設に入る、しかも教祖様とやらにこれから会うんだからな。緊張するのもわかる」


 そんな会話をしていると、磯塚が驚いた声をあげる。加野は何事かと磯塚の方を見ると、磯塚はパイプ椅子に座ろうとしていたところで固まっており、目の前にもう一人座っているのが見えた。その人物も肩を驚かせるように上下させるとゆっくりと振り向く。


「鹿賀里!お前何でここに?」


「そっちこそ…って何となく想像はできたけど」


「来る事が分かってたなら驚く必要はないだろ」


 磯塚の指摘に鹿賀里はバツが悪そうに顔を背ける。三人は並んで椅子に座ると、無言の空気が部屋を支配した。いつもなら他愛もない会話を挟むところだが、この場所は過去に過激な活動をしていた宗教団体の施設である、そして失踪事件と関係があるかもしれないという気持ちが言葉を発するのを禁じているように感じた。

 磯塚がその沈黙を破った。


「鹿賀里はどうしてここに?」


 磯塚の問いにメモ帳を開いて答える。


「最初の失踪者である佐藤玲奈が働いていた店に行ってきたの。そしたら客の中に冥霊会の人間がいて、あなた達から聞いた共通点と繋がったと思った。一応他の失踪者の店も調べてみたらやっぱり冥霊会所属を仄めかした人物が接触していた。これだけ揃えばここに来ない理由はないでしょう。警察もその情報を掴んでいないわけないから来るとは思ってた」


「…その捜査力と行動力は相変わらずだな」


「……まぁ少年課の後は強行犯係に転属希望出してましたから」


 それだけ言うと再び沈黙が訪れる。加野がとにかく沈黙に耐えきれず何か話そうと口を開くと、部屋の扉が開いた。加野達は背筋を伸ばして扉から入ってくる人物を見る。


「お忙しいところよくいらっしゃいました。お疲れ様です」


 白いワンピースのような服に黄金の冠のようなものを被っている。年齢は確か五十代だと聞いたが、その割には髪も肌も若々しく感じた。服に関してはカトリック教会の牧師が着ているような司祭服に似ていた。だが、降霊術を主に扱うのならカテゴリは霊媒師になりそうなのでカトリックな服はどうかと思ったが、情報量の多さに考えるのをやめた。


「降霊会?の忙しい時にすみません。千住警察署の加野です」


「同じく磯塚です。少しお伺いしたいことがありまして……」


「あ、私は記者の鹿賀里です」


「千住警察署の方ですか?それなら先程知能犯係というところの刑事さんがいらっしゃいましたが、その関係ですか?」


 そういえば知能犯係は冥霊会絡みの詐欺事件について捜査をしていた。その関係で大野木がいる施設に来てもおかしくはないだろう。


「いえ、それとは別件です。こちらを見ていただきたいのですが……」


 加野はテーブルに数枚の写真を出す。鹿賀里は記者らしくメモを片手に話を聞き始める。写真にはそれぞれ女性の顔が写っており、失踪している四名の女性の写真だった。


「これは?」


「実は、先月から東京足立区で若い女性が連続して失踪している事件がありまして。この女性達はその失踪者です」


「なるほど。失踪となればあまり楽観視は出来なさそうですね。降霊を使えれば……」


 大野木のわざとらしい泣き仕草に少し腹を立てながら、鹿賀里は大野木の言葉を繰り返す。


「降霊を使う?それはどういうことです?」


「降霊術と聞いてあなたはどんなイメージを持っていますか?」


「イメージって……まぁエクソシスト的な……」


 映画のイメージを充分に受けている回答をして自分で恥ずかしくなってくるが、仕方ないだろう。降霊術等普段関わることの無いものなのだから。


「確かに、降霊術と聞くとよくエクソシストの様なことを思い浮かべる方は多いです。しかしあれは『悪霊』を降ろすものであり、降霊術は全てが悪い霊を降ろすわけではありません。本来、降霊術は占いの儀式であり、悪魔的な意味はありません。古代でこそ占いの儀式でしたが今では亡き大切な人を降ろし、その声をお聞かせする。その様な大変尊い儀式なのです」


 まるで自分に酔っているかの様な話し様に気味悪さを覚えながらも、大野木を真っ直ぐ見据える。


「悪魔的な意味はないと?かつて過激な行為をしておいて」


「確かに昔は愚かでした。降霊術を疎かにする輩は許せなかった。しかし人々の信じるものは千差万別。何を信じようとそれがその人の支えになっていれば良いと考えるようになりました。なので知能犯係の刑事さん達にも言いました。詐欺をしてまで信者を獲得する愚かな行為はしていないとね」


 大野木の自信を見て、本当にあの態度で刑事に接したのだろうと考えると、少し恐ろしい気もした。刑事に動じないということは仮に隠していることがあっても、動揺を表に出さないということ。表情からも相手の様子を観察する刑事にとっては致命的かもしれない。


「話を戻します。この女性達について見覚えはありますよね?」


 鹿賀里だけが聞いている状況に危機感を覚えたのか、加野が割り込むように話を戻す。


「はぁ……恐らくここに来て写真を見せるということは彼女達も我が冥霊会の信者だと言いたい、もしくは信者だと確信しているからでしょうが、残念ながら見覚えはありません」


「一端の信者など顔も知らないと?」


「冥霊会には数千の信者の方が在籍しています。その方達の顔を覚えるなどできません。しかし信者が連続して失踪しているとなれば放ってはおけません」


 どの口が言っているんだ、と言いそうになったところ再び鹿賀里が話に割り込んでくる。


「少し回りくどい言い方をしましたね。連続失踪、冥霊会の信者、過去の歴史、これらを鑑みれば失踪事件に冥霊会が関わっていると考えざるを得ません。それに関わっているのではありませんか?」


 大野木はまたも悲しそうな顔をするとため息をついてゆっくりと話す。


「先程も申し上げましたが、私は過去の愚行を恥じて今を生きています。警察にお世話になるようなことはしていません。純粋に、降霊術を必要とされている方のために行い、その方の為に尽くしているに過ぎません。申し訳ありませんが、今のところは力にはなれそうにないですね」


「あなた達が誘拐したのではないですか?」


 鹿賀里の訴えに大野木は動じず、静かに答える。


「何のために?」


「それは……」


「推測は勘ではいけないでしょう。行動には必ず動機があり、動機にはそれに至る理由がある。火のないところに煙は立たないと言うでしょう。推測を話すなら必ず根拠を用意してください。それにあなたは記者ですよね?警察のお二人ならまだしも記者の方にここまで言われる筋合いはありません」


 大野木に飲み込まれるような感覚に陥りながら、加野の静止を受けて静かに下がる。加野は大野木を少し見てから立ち上がる。


「今日はここまでにしましょう。また何かありましたらその時はよろしくお願いします」


「できる限りお力になれれば」


 満面の笑みで頭を下げる大野木を、鹿賀里は複雑な表情で見る。これ以上ここで話を聞いても収穫はない、そう告げるように加野が出ていく。磯塚と鹿賀里もそれに続いて部屋を出る。


 三人は施設から出ると溜めていたものを吐き出すように息をする。加野はそれを見て鹿賀里の背中を軽く叩く。


「あまり相手のペースに呑まれるなよ。特に大野木みたいなやつは人の心を見透かすのが上手いからな」


「わかってるよ。でも結局、失踪女性のことは収穫なしか…」


 女性達の写真を見て、もし本当に誘拐ならこの女性達は今どこで何をしているのだろうか。そんな当たり前の疑問を持ち、同時に新井沙弥香の姿を重ねる。失踪女性は新井ほど若い人はいないが、それでも二十代前半と歳は近い。女性としてこれからという時に誘拐される。味わうはずのなかった恐怖を味わう。それがどれだけ苦しいものなのか想像ができなかった。だが今できるのは失踪女性達の為にもいち早く情報を集め、見つけ出すことだ。もし事件に巻き込まれているのなら、尚更だ。


「冥霊会の男はただの信者なんですかね。だとしたら探し出すのは骨が折れますね」


 加野の言葉に磯塚と鹿賀里は黙る。犯人は単に怪しまれやすい冥霊会の名前を使っただけなのか、だとしても冥霊会の名前は出さずにいればもっと警察の捜査などを撹乱できるはずだ。冥霊会の人間だと話したからこうして今も冥霊会に踏み込んでいる。犯人は冥霊会を名乗っても問題は無かったのだろうか。


「…一つだけ、探せる方法があるかも」


「何か情報掴んでるのか?」


 磯塚の問いに鹿賀里も忘れていた、というような顔で建物を見る。


「信者のリストを借りましょう。そこから探すんです」


「いや、さっきも言ったけど冥霊会には数千人もの信者がいるんだぞ?そこからなんの手がかりもなしに…」


「だから一つだけあるって言ったでしょ?佐藤玲奈の働いていた店で話を聞いてて、その男はゴミ捨ての仕事をしてるって言ってた。市の回収業者とかじゃないだろうから、恐らく廃品回収」


 磯塚はなるほど、と唸る。


「信者には名前や住所のほかに、寄付金の徴収のために勤務先まで書かせる。冥霊会がかつてやっていた手法だ」


「とにかく、見せてもらいましょう」

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