第3話

 閉じ込められてから丸一日経った。あれから一度だけ、三食分の食事を届けに男が入ってきた。男はなたのような刃物を片手に、おにぎり数個を部屋に投げ入れてすぐに出ていった。外から何回か扉が開く音、何人かの女性の短い悲鳴が聞こえた。恐らく自分と佐藤玲奈以外にもここに閉じ込められている女性がいるのだろう。冷めきったコンビニのおにぎりを数個食べると、また静かな空間に支配される。


「私がかも……」


「最初……?」


 唐突に隣の部屋の佐藤が呟く。実は部屋の端に小さな穴が空いており、そこから会話していた。臭いや部屋の様子から廃墟だったので老朽化などで空いたのかもしれない。


「ここに最初に連れてこられたのは私なの……だから……最初に……」


「……大丈夫だよ。実は、私の知り合いに元警察官の人がいるの。多分、私の事探してくれてる」


「本当に……?」


 確証はなかった。だが鹿賀里彩乃という人間はそういう人だ、それを理解しているのは新井だ。どれだけ落ちても、根は変わらない。そう信じるしかなかった。鹿賀里に会った昨日、本当は止めて欲しかったのかもしれない。叱って欲しかったのかもしれない。昔みたいに、ふざけるなと。自分を大事にしろと。でも鹿賀里は斡旋者を紹介してそのまま居なくなってしまった。今更助けて欲しいなんて、そんな都合のいいこと言っても聞いてもらえるわけないだろう。

 隣の部屋の扉が開く音がした。男が入ってくるのは食事の時のみ。佐藤の声が震える。


「やだ……嫌だ嫌だ嫌だ!やめて!お願い殺さないで!殺さないでよ!お願いだから!」


 佐藤が部屋から連れ出される。男の荒い息だけが部屋の中に残る。壁の穴から男の足と長い鉈の刃が見える。短い悲鳴を上げて穴から顔を遠ざける。男は穴から手を入れると、新井のいる部屋を探るように手を動かす。すぐに手を戻すと、部屋から出ていく。扉が閉まると佐藤の叫び声と足音が遠ざかっていく。下の階に降りたのだろうが佐藤の声がまだ聞こえる。新井は耳を塞いで身体を震わせた。


「お願い……助けて……彩乃姉ちゃん……」


━━━━━━━━━━━━━━━


 加野は風俗店を出てからすぐに走っていた。加野達の前の来客である鹿賀里彩乃は加野の同期だった。ある事件を理由に退職、というより上から懲戒処分された。それからは連絡をとっておらず、連絡しようにも鹿賀里が連絡先を変更してしまった。気になる訳では無い。ただ、話を聞きたかった。今更かもしれないが、どうして一人になろうとしたのかを。後ろで疲れ切っている磯塚を尻目に、目の前を歩く女性を見つける。昔から変わらないポニーテールを見て、加野は叫ぶ。


「鹿賀里!」


「加野……?どうして……それに磯塚さんも」


「少し、時間あるか?」


 鹿賀里は二人を交互に見て、少し考えた後に頷く。磯塚は挨拶をするように片手を挙げる。息が切れすぎて声が出せない様だった。加野はまっすぐ鹿賀里を見て頭の中を整理していた。

 三人は近くの昔ながらの喫茶店に入り、向き合っていた。鹿賀里は少し気まずそうにコーヒーを啜っている。重い沈黙を破ったのは意外にも磯塚だった。


「久しぶりだな、辞めてからもう二年になるか」


「お久しぶりです磯塚さん。一本も連絡入れずにすみません……あの後色々あったもので……」


「あぁ、俺はいいんだ俺は。それより……」


 磯塚は加野を一瞥する。硬い表情のまま話そうとしない。磯塚は「お前が呼び止めたんだから何か話せよ」と肘を突く。


「元気にしてたか?」


「元気……ではないけど何とか生きてるよ。加野は強行犯係にまだいるの?」


「あぁ、毎日書類と犯罪者に挟まれてるよ」


 硬い表情だった割には重苦しい空気にはしたくなかったようで、少し笑いを誘うような言い方をする。アイスブレイクとでもいうのか、少し緊張が解けたような気がする。


「加野達は何してたの?何か事件?」


「あぁ、北千住の風俗店に行ってた。鹿賀里が少し前に行った店だよ。足立区内で連続失踪事件があってその捜査だ」


「連続失踪事件……?」


 その言葉に反応する鹿賀里を見て磯塚は加野に耳打ちする。


「元刑事とはいえ、今は一般人だ。あまり捜査情報は話すなよ」


「彼女は記者です。捜査協力ってことで」


 磯塚はコーヒーをすすり、加野が話を続ける。


「なぁ、警察に戻る気は無いのか?妹さんの事は気の毒だがお前のせいじゃない。犯人だって自業自得で……」


「そんなの分かってる。でも目の前で妹が刺されて、犯人を重症にした。あの時の私は刑事だった。刑事として目の前の人も守れなかった挙句、感情に身を任せて犯人を半殺しにした。そんな自分をあの時、殺しただけだよ」


 力なく笑う鹿賀里を見て、変わったと思う。鹿賀里とは警察学校からの同期であり、配属された署も千住警察署と同じだった。加野は強行犯係で鹿賀里は少年課の配属だったが、署内の唯一の同期としてとても仲が良かった。鹿賀里の妹の彩奈ともよく会っていた。鹿賀里は自分の話を終わらせるように、前のめりになって聞く。


「それより連続失踪事件って?あ、取材とかしないから……」


「いや、話すならあくまで記者として話す。そうじゃなかったらお前は一般人だからな」


 磯塚は隣でコーヒーを啜りながら話を見守る。


「足立区内で先週から四人の女性が連続して失踪している。全員十代から二十代半ばの女性だ」


「……それは皆共通点があるとか?」


「分からない。最初の失踪者である佐藤玲奈のバイト先に向かったら、同じく人探しをしている記者がいるという話を聞いてな。それがまさかお前だったってわけだ」


「ねぇ、そこまで話したのは本当に私を記者だとして?それとも元刑事として聞いてる?」


「それは想像に任せる。ただ、一般人としてなら言わなかったかもな」


 お互いに思考を巡らせる。加野は鹿賀里が誰を探しているのか、鹿賀里は加野が何の目的で接触してきたのか。鹿賀里は立場的にも権力的にも今は勝ち目は無いと思い、正直に話すことにした。


「私が探しているのは新井沙耶香っていう女の子。昨日ちょっとした事があって、この店を紹介したんだけどそれから連絡が取れないの」


 写真を見せると、加野と磯塚は顔を見合わせる。


「磯塚さん、もしかして彼女も……」


「さすがに偶然が重なりすぎてるな」


 二人の話を聞いて、新井の失踪も足立区内での連続失踪事件に関連していると睨んだのだろうか、と考える。ならば今、鹿賀里が記者としてではなく一人の人間として、そして元刑事として出来ることは何かを考えた。鹿賀里が話し始める前に加野が話す。


「鹿賀里、力を貸してくれないか?」


「加野、おまっ……上には言わないからな。俺は知らなかったってことで」


 加野の提案に鹿賀里は驚く。よく刑事ドラマなどで警察側から探偵に捜査協力を依頼する、というストーリーは聞くが実際にはそんな事は有り得ない。探偵はあくまで一般人であり、情報提供などで協力する事はあっても、警察側から捜査情報を開示して共に捜査を行う、ということはない。しかも今日に至っては探偵ですらない、元刑事の記者だ。こんな事が上に知られれば加野はもちろん、磯塚も処分は確実だろう。


「どうして私に……?私は刑事を辞めた。しかも犯人を捕まえるどころか暴行して、重傷を負わせた。そんな私に……」


「助けたいんだろ?少年課にいた頃に言ってただろ。『どんなに非行に走っても、必ずそこに至るまでの理由がある。皆最初から悪だったわけじゃない。助けたい』って。どんなに落ちてもお前はそういう奴だ。根は変わらない」


 加野の言葉を聞いて磯塚を見る。磯塚は静かに頷く。鹿賀里はもう自分の事を考えてくれる人なんていないと思っていた。だが加野や磯塚は今でも歩み寄ろうとしてくれている。もしかしたら新井もそうなのかもしれない。鹿賀里は意を決した様に頷くと加野と磯塚に向き直る。


「私からもお願いします。この事件に協力させて。新井沙耶香の失踪と関係あるかは分からないけど、やってみる」


 鹿賀里と加野と磯塚は、捜査本部とは別に三人で別行動をすることを決め、連絡先を交換して店を後にした。

 鹿賀里は自宅に戻ると、電気を点け部屋を見る。女性の部屋とは思えない散らかった部屋を見る。刑事を辞めてから自分の事すらできなくなってしまった。というよりはやる事に意味を見いだせなくなってしまった。生きる為に綺麗にする、生きるだけなら散らかっていても良いではないか、それだけの価値が今の自分にあるとは思えなかった。乱暴に鞄と携帯を放り投げると、固定電話に留守電が入っていた。鹿賀里は留守電を再生する。時刻は午後三時。加野達と会っていた頃だろう。相手は母だった。


『彩乃、元気にしてる?連絡くれないから心配で……もうすぐ彩奈の命日だよね。忙しいとは思うけど、もし行けたらお墓に行ってあげて。気が向いたら一言連絡ちょうだい……誰も彩乃を責めてない。皆、彩奈の死を受け入れているし、彩乃を責めてないよ。それだけは分かって。どうか自分を責めないでね、それじゃ』


 留守電が切れ、無機質なコールの音が部屋に響く。


「もうそんな時期か……でもごめん、今は行けない。ちゃんと助けたいから」


 去年はただ行きたくなかった。警察官なのに、目の前で襲われる妹を助けられなかったことを責められるのが怖かった。だが一番自分を責めていたのは自分だ。それを他人のせいにしていただけだ。そんな自分とはもう別れたかった。


「沙耶香……絶対助けるから」



 ━━━━━━━━━━━━━━━


 鹿賀里と別れた加野と磯塚は捜査本部に戻る。捜査本部では防犯カメラなどの確認が行われていた。


「何か分かりましたか?」


 一人の捜査員に状況を確認する。


「失踪した四人の姿は確認できました。やはり誰かと接触後、失踪しています。この男が犯人でしょうか」


 捜査員が画面を指差す。時間帯は夜なので防犯カメラの映像では相手の姿はよく分からない。ただ、失踪した四人と接触しているのは間違いないと思う。今のところの共通点はそれだけか、と思うと捜査会議の召集がかけられる。

 本庁の捜査員と所轄捜査員が戻ると、管理官が部屋に入ったのを合図に会議が始まる。


関取かんとり班から報告を頼む」


 加野が立ち上がり、乾いた口内を湿らせながら話す。


「失踪した四人との明確な共通点はありませんが、唯一の共通点は全員風俗関係の仕事をしていたようです。風俗嬢だったり、パパ活だったり……ただそれ以外の四人を繋ぐ共通点はまだ見つかっていません」


 簡潔に述べると、管理官は顔を顰める。求めていた回答では無いのだろうが、無いものは無いし仕方ないだろうと思う。真実を追い求め、犯人を逮捕する警察官としては今の言葉は心の中にしまっておく。すると本庁捜査一課の捜査員が報告を始める。


「念の為、失踪者のSNSを調べていたところこちらの方である共通点を見つけました」


「あの……SNSの調査するって言ってましたっけ?」


「下には重要な情報は共有されない。いつものことだろ」


 加野の耳打ちに磯塚は済ました顔で答える。管理官がその報告に期待の眼差しを向ける。捜査員が合図を送ると、プロジェクターからSNSの画面が拡大表示される。


冥霊会めいれいかい……?」


「平成十二年から大野木おおのきという男によって設立され、現在も宗教法人として活動している団体です」


 SNS上のコメントに「降霊術、魂」等のワードがコメントされている。アカウント名を見ると本名をもじったニックネームが表示されている。


「ちなみに冥霊会は過去に集団暴力事件や無理な勧誘による誘拐未遂事件を起こしており、公安調査庁の監視対象になっています」


「失踪者はその冥霊会の信者だったのか?」


 署長の問いに捜査員は何の返事もせずに、報告を続ける。


「公安調査庁に提出された信者リストに名前が確認されましたが、精力的には活動はしていなかったようです。入会したのも三年前、ほぼ強制入会だったようです」


 なるほど、と署長は唸るも管理官は顔を顰めたままゆっくり話す。


「ですがその冥霊会と今回の失踪事件の関連は確認されてないわけですか。もう少し失踪者の身辺を捜査する必要がありますね」


「正直、失踪そのものが確実に何者かによる誘拐事件だとも確定では無いですしね…」


 署長の耳打ちに管理官は険しい眼差しを向け、署長は申し訳ありませんと引き下がる。管理官としては事件であって欲しいのかもしれない。管理官はまだ現場での経験が浅く、次期警視長、警視監として今回の事件を解決したいと考えているのかもしれない。それだけで事件化されても困るし、被害者を利用されても困る。何より不謹慎極まりないだろう。管理官はプロジェクターで映された画面を見ながら捜査方針を伝える。


「基本的な方針は誘拐事件として捜査を進めていきます。失踪者との共通点や怪しい人物の捜査も引き続き行いながら、冥霊会についても少し調べておきましょう」


「では冥霊会は所轄の方で受け持ちます。すぐに班を編成して捜査にあたるように」


 厄介な方を押し付けられたな、と磯塚の耳打ちにため息を吐きながら班編成に進む。


 ━━━━━━━━━━━━━━━


 鹿賀里は新宿の風俗店に来ていた。四人の失踪者のうちの一人が働いていた店だった。ちなみに情報元はあの薄気味悪い「斡旋者」だ。いつものように関係を迫られたが、こちらもいつもの通り軽く脅して黙らせた。加野達の話によると失踪者は皆、足立区内で失踪もしくは誘拐されているとの事だった。だが北千住の風俗店で働いていた佐藤玲奈以外の失踪者は新宿や六本木といった足立区とは他の区で風俗穣として働いていた。だが残りの二人は勤務先が掴めなかった。


「この店で従業員が無断欠勤されてると話を伺ったのですが」


「だから何?こっちは忙しいんだよ。指名被らないようにしないといけないし…ていうかあんた記者みたいだけど、誰の紹介?」


 店長らしき中年男性は顔を顰めながらパソコンと睨めっこしている。電話がかかってくるとその顰め面からは想像も出来ない高い声で対応する。通話が終わるのを待って話を進める。


「この界隈では有名な『斡旋者』です…あまり敵に回したくはないでよね?」


「…あのクソ野郎…いつかぶっ殺してやる…えぇ、確かに一週間前から無断欠勤してる奴いますけど」


 不穏な言葉は聞き流して名前と写真を見せる。写真も「斡旋者」からの提供だ。こんなものまでと思ったが、確かに悪名が響く程度には業界に顔は効くようだった。でなければ斡旋なんてできないだろう。


「綾瀬千尋さんですよね?」


「あ?名前なんか知らないよ。店での名前は『チヒロ』だったからそうなんじゃねぇの?顔も化粧してるから素顔なんて知らねぇよ」


「履歴書とかないんですか?」


 そこまで言うと、呆れたように店長は鹿賀里を見る。そして薄いカーテンで仕切られた部屋を見る。奥には数人の女性がスマホを弄っていたり、化粧をしていた。見た目はかなり若そうだった。


「こんな所で働くのは身寄りのない奴か、手っ取り早く金を稼ぎたい奴か。俺は働いてくれればいいから、働く意思だけ聞いて後は勝手に来るだけ。ていうか、この界隈かなりヤバい奴がいるの知ってて来てるんだから、仮に連れ去られても自業自得じゃねぇの?」


「あなた……」


「チヒロの事なら俺よりそいつらの方が詳しいんじゃないの…あ、今日もありがとうございますぅ!アヤカちゃん来てますよ!」


 客が来ると甘い声を出して奥に案内する。鹿賀里は業界自体のクズさ加減に嫌気が刺しならも、自分も今は同じ穴の狢だという事を再確認して奥の女性達に話を聞く。狭い湿気った部屋に、女性達は荷物のように詰め込まれている。


「ねぇ、聞いてたでしょ?ここで働いていたチヒロの事、何か知らない?」


 鹿賀里の問いに反応は無かったが、一人の女性が反応する。


「なんか、良い財布見つけたって言ってたけど。来なくなったのはその次の日からかな」


「良い財布…他には何か言ってなかった?どんな人とか」


「何かの…団体の偉い人って聞いたよ。仕事は何かゴミ捨てるみたいな?」


 その言葉に他の女性達も「あの名前なんだっけ?」と各々スマホで検索し始める。鹿賀里は女性達に問いかける。


「ここで働いていて怖くないの?変な奴もいっぱいいるし、働くなら他でも…」


「高校中退で雇ってくれる所なんてある?親はいないし、手っ取り早くお金が欲しいの。ブラックは嫌だし、ここならゴム付けてれば安心だし、お金も良いし、店の外では会わないようにしてるから……あ!これじゃない?」


 淡々と話す彼女が声をあげて画面を他の人に見せると、それだ!と声を合わせる。鹿賀里にも画面見せてくる。


「冥霊会?これって宗教団体じゃ…」


「チヒロさぁ、前からこの冥霊会ってところの人と関係持ってたみたいだし、財布もその人なんじゃない?」


 それだけ言うと、彼女は指名が入ったのか控え室を出ていく。甘い声が外から聞こえてくる。

 冥霊会の名前は警察時代にも聞いた事がある。少年課にいた頃、補導された少年少女から無理な勧誘を受けたと話は聞いた事があった。少年課だけではなく、警察全体としても暴力事件や他宗教施設への乗り込みなど過激な活動をしていたが現在はあまりその名を聞かなくなった。だが新興宗教としては確たる位置を保持しているようだ。


「とにかく、冥霊会に行ってみるしかないか」

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