第2話

 どうしてこうなったのだろう、と思う。相手の男性の車に乗り込み、暫くすると眠気が襲ってきて寝てしまった。寒さに身体が震えて目を覚ますと、真っ暗な部屋に閉じ込められていた。何時間寝たのかは分からない。携帯やら財布やら持ち物は無くなっていた。暗さに目が慣れておらず、とにかく身体を動かして今いる場所の間取りを確認しようとする。すぐに冷たい壁に手が触れた。そのまま壁伝いに進むと取っ手の様な金属に触れる。短い悲鳴を上げ、ドアの取っ手だと理解すると押したり引いたりして開けようとする。鍵は掛かっていない様だが、外で何かが引っかかっているようだった。何が何だが分からないが一つだけ理解出来たのは、自分は何者かによって閉じ込められている事だった。言葉に出来ない絶望感に硬直していると、壁を叩く音がする。驚きに身体を震わせると、壁の向こうから声がする。


「誰かいるの……?答えてよ……誰かいる?」


「いる……います……います!」


 声は若い女性の様だった。急いで壁に耳を押し当て、顔の分からない女性と話す。女性は安心したような声をあげる。


「良かった……ねぇ、ここに来るまでの道を覚えてない?建物の中とか……」


「ごめん、分からない……途中で寝ちゃって……あなたも?」


 答えを聞いてそっか、と短く答え沈黙が訪れる。そして女性は静かに話す。


「あなた、名前は?」


「新井……新井沙耶香……です」


「私は佐藤玲奈。一週間くらい前にここに連れてこられたの……」


 佐藤玲奈と名乗った女性は声を震わせている。一週間もこんな薄気味悪いところに閉じ込められていれば恐怖を感じないわけないだろう。佐藤は声を潜めながら、壁の向こうの新井に聞こえるように話す。


「他にも何人か連れてこられたみたい……」


「あの、一体何が……」


「分からない……ごめん。でも一つだけ……」


 佐藤は先程より更に震えた声で話す。より恐怖が彼女の中で増した様に感じた。


「あいつ……頭おかしいよ……私たち……殺される……」





 鹿賀里は携帯の発信履歴を見て、学生時代の恋人にもこんなに連絡したことないなと思う。新井にパパ活の相手を紹介してくれと言われ、何を思ったのか風俗関係の斡旋あっせんをしている男を紹介してから一日経った。パパ活で稼げるようになって少し良い気になっている、少し怖い思いをさせて辞めさせようと思ったのだが、少なくとも「あいつ」を紹介したのは間違いだった。だから何回も新井に連絡を取ろうとしているが電源が切れていた。


「まさか何か事件に巻き込まれて……」


 かつて妹に大切な人を守る、と言ったのにそれとは逆のことをしてしまった。仮にも元警察官だ。もっと他の方法があったはずだ。鹿賀里は斡旋者あっせんしゃに電話をかける。


『おー、鹿賀里ちゃん久しぶりー。取材依頼会ってくれないから寂しかったよー?』


「あんたとは仕事だけ。またネタあったらよろしく。それより昨日新井沙耶香って子から連絡来なかった?」


『つれないなぁ……新井?あぁパパ活相手が欲しいって子ね。良いカラダしてたからもっと良いところ紹介したかったけどねぇ』


 電話の向こうで気持ち悪い笑いをしている男を極限まで意識から外して、本題だけに集中する。


『あの子なら北千住の風俗紹介したよ。そこに一人、新井ちゃんみたいな子をご希望の人がいたからねぇ。ちょうどその店の常連だって言ってたし』


「北千住の風俗……ありがとう」


『じゃあお礼として今度一緒にホテルでも……』


 男が言い切る前に通話を切り、編集部を出ていく。出る前にまた編集長の怒号が響く。


「鹿賀里!前の記事の……」


「すみません!後にしてください!」


「は?!お前まさかネタ掴んでないだろうな!勝手にネタ掴むなって言っただろ!」


 編集長の言葉を最後まで聞き取ることなく、階段を駆け降りる。


━━━━━━━━━━━━━━━


 北千住駅西口にあるロータリーを抜けると、マルイ側の現代的な店が並ぶ通りと昔ながらの商店街通りが目に入る。宿場町として栄えた北千住は今でもその賑わいを隠していない。昔からある店や現代ならではの店が軒を連ねている。ロータリーを抜けて左側に行くと、狭い路地裏の様な道が入り組んでいる道に出る。その両側には所狭しと居酒屋などが並んでおり、昼間は閑散としているが夜になると賑わいを見せる。鹿賀里は夜の準備をしている人々を避けながら、更に裏の路地に入っていく。徐々にピンク色の看板が多くなり、鹿賀里の目的の店を発見する。「CLOSE」の看板が下げられているが、扉は空いていたので店内に入る。夜は煌びやかに光るライトもまだ点いておらず、店内は薄暗かった。店内には若いボーイの男性が一人のみだった。


「すみません、まだ営業時間では無くて……」


「あぁ、客じゃないんです。私、週刊誌の記者でして少し聞きたいことがあって来たんです」


「記者の方ですか?えっとどういった内容で……」


 鹿賀里は名刺を渡すとボーイは少し怪訝そうな顔をする。鹿賀里はその反応に少し違和感を覚えたがその違和感は納得に変わる。以前、取材に来た時に対応してくれたボーイとは別の人だった。


「前ここで働いていた佐竹さんは?」


「佐竹さんなら先月に辞めたばかりです。僕は佐竹さんと入れ替わりで入ったらしくて、引き継ぎとかもほぼ無かったのでお得意さんとか分からなくて……鹿賀里さんもその一人だったんですね」


 申し訳ありません、と謝るボーイに鹿賀里は頭を上げるように促す。


沙原圭介さはらけいすけといいます。お得意さんなら今後ともよろしくお願いします」


「お得意さんでは無くて……単なる取材相手というか……沙原さんはまだお若そうですけど、どうしてこの業界に?こう言っては失礼ですけど何も風俗なんか……」


 聞きたいことでは無いことを最初に聞いたが、これは短なる興味だった。見た感じは二十代半ばくらいだった。新卒で入社した会社を辞めたとしても、諦めるような歳ではないと思う。特に今の時代はいつからでも遅くはない、みたいな言葉が罷り通ってるくらいだ。自分自身に言い聞かせたくは無い言葉だったが。沙原は少し考える素振りをして答える。


「元々介護職をしてたんですけど、僕のいた施設が何か不正をしていたみたいで、その関係で入居者が減り、大赤字になって倒産したみたいな感じです。それで手っ取り早くお金が欲しいと思っていたら、元々施設に介護の相談に来ていた店長に拾われたんです」


「介護職とはまた風俗とは程遠い……」


「鹿賀里さんは?最初から記者だった訳じゃないんでしょう?佐竹さんから聞きました」


 余計な事を言いやがって、と唇を噛むが恐らく刑事だとは言っていない様だったので適当にはぐらかすことにした。もちろん、妹の事は言おうとは思わなかった。


「地方公務員です。まぁつまんなかったので刺激欲しさに記者に……っとこちらから話を逸らしてしまってすみません。本題に入っても良いですか?」


 鹿賀里は手帳から新井の写真を取り出すと沙原に見せながら聞く。


「昨日、新井沙耶香という女の子がここに来て、斡旋者の男から紹介された人と会ったと思うのですが」


 沙原は写真を数秒見てから、あぁと納得したような声をあげる。


「来ましたよ。斡旋者の方から連絡があった後、一時間後くらいに来て待ち合わせの男性とお出掛けになりました」


「その男なんですけど、この店の常連だって聞いたんですけど、本当ですか?」


「うちのですか?いや、初見の方です。本当は待ち合わせとかうちの女の子たち以外の人と会うためにお店を使うなんてしないんですが、店長から斡旋の方にはお世話になってるから、と言われました。男性は本当にうちの常連さんではないですね」


「そうですか……」


 鹿賀里は写真を仕舞うと、収穫は無いなと思い店を出ようとする。すると沙原が慌てて呼び止める。


「思い出したんですけど、ちょっと怪しい人でした。マスクと帽子をして、車もレンタカーでした」


「え?車で出掛けたんですか?」


 その言葉を聞いて益々嫌な予感がしてくる。本来パパ活の相手はそういう事を楽しみたいものの、他人に知られるとまずいことが多いため、身分を隠したり目立った行動はしない。なるべく近場で、自分の安全が確保される場所を選ぶ。だが、レンタカーまで借りて車で遠出をするなんてリスクを犯している。そこまでする理由は、パパ活以外の何かがあるのかもしれない。


「ありがとうございました。営業前にすみませんでした」


「いえ、また何かありましたら連絡してください」


 沙原の言葉を受けて会釈をする。店の扉のベルが不自然に外まで届いた。鹿賀里は新井を探すべく動こうとするが、すぐに止まってしまう。今の彼女は「記者」であり「刑事」では無い。なので行方を追うと言っても監視カメラを調べたりなどできない。記者としては出来ることに限界があった。ましてやヒントはレンタカーのみ。それも偽名などを使われてしまっては意味がない。


「それに編集長にもなんて言おうか。まさか人探しをしたい、なんてこと許すわけないよね。ネタになんないし」


 鹿賀里は刑事だった頃以上の不甲斐なさを感じた。だが見捨てるほど落ちぶれてはいないつもりだった。ここで止まってしまっては妹に怒られる。


「彩奈……もう少し頑張ってみるよ」


 誰に語りかけるわけでもなく、ただ息を吐くように呟いた。


 ━━━━━━━━━━━━━━━


 佐藤玲奈が働いていた風俗店は北千住にあった。悪名高い足立区だが、それを払拭すべく区全体で犯罪撲滅の動きをしていたのは知っていた。だが現実は非常なものでそんな努力を尻目に犯罪を犯す者はいる。加野はそんな人達は一種の病にかかっていると思っている。一度侵されたら逆らえない病。「犯罪をしないと気が済まない」という人間の本能があってもおかしくない。猟奇殺人などがそれに当てはまるのかもしれない。住所を見ながら、反対方向に歩く磯塚を呼び戻す。


「北千住ってこんなに大きかったか?」


「マルイとかありますからね。それを加味しても磯塚さんが来た頃よりは開発が進んでるんじゃないんですか?」


 とは言いつつも、一本裏に入れば昔からの喫茶店や蔵作りの家なども残っている。今と昔が互いを尊重し合っている貴重な街だと感じた。そんな今の時代の風俗店に着くと、磯塚はうーん、と唸る。


「こういう店は久しぶりだな。これでも昔はモテモテで……」


「自慢話は聞き飽きましたから。行きますよ」


 店に入るとまだ準備中のようであり、ボーイが一人いた。ボーイは加野達を見ると驚く、では無くまたかと言うような表情をしていた。


「開店前に申し訳ありません。千住警察署強行犯係の加野といいます。こちらは磯塚」


「どうも……何かあったんですか?」


「何かとは?」


「いや、刑事さんが来る前に一人来客があったものですから。普段開店前からこんなに来る人はいませんよ。常連さんでも来ません」


 加野達よりも前に来客があった、という言葉を聞いて情報を引き出そうとする。


「その人、どんな人でしたか?」


「どんなって……週刊誌の記者さんですよ。僕の前のボーイからのお得意さん……じゃなくて取材相手だって」


 加野は関係あるのか、と思うが今はとにかく情報が足りない。その記者が思わぬ形で関係してくるかもしれない。せめて名前だけでも聞き出そうと粘る。


「名刺とかもらってません?」


「あの、刑事さんたちの本題はなんです?これは『前に来た来客』の話であってまだ本題に入ってませんよね?」


 痛いところを突かれ、仕方なく本題に戻す。


「こちらの店で佐藤玲奈さんという女性は働いてませんでしたか?」


「佐藤玲奈さん?……写真とかあります?」


 ボーイの男性に写真を見せるとあー、と声をあげる。


「レナさんですね。本名聞いたの初めてだから誰かと思いましたよ」


「偽名使ってるんですか?」


「源氏名ってやつだと思いますよ。そりゃ風俗ですからね。親に隠れてやってたり、年齢偽ったり、基本周りの人に知られたくない人が多いですからね。本名使ってる人なんていないと思いますよ」


 そんな後ろめたい事情を隠すくらいならやらなければ良いのに、と思うが本人達の事情があると言い聞かせる。ボーイは写真を見て話す。


「レナさんなら先週から無断欠勤してます。店長ももう来ないだろうからって、退職扱いにしてます」


「これもよくある事ですか?」


「店長曰くですけど。お金が貯まったら黙って去る人も多いみたいです」


「なるほど……佐藤玲奈さんが辞める前に不審な人物と接触していたことはありますか?」


「レナさんはあまりそういう人はいなかったと思いますよ。性格的にも好みが別れるタイプでした」


 加野はそこまで聞いてここで聞き出せる情報はここまでだな、と思う。恐らくボーイが本名を知らないあたり、プライベートな事も隠していただろう。それ以上の事を知らないなら収穫はない。ご協力ありがとうございました、と店から出ようとするとボーイがすみません、と呼び止める。


「これ、さっき言ってた記者さんの名刺です。その人も誰か探しているみたいだったので」


「そうですか、ありがとうございます」


 そう言って記者の名刺を見て、加野は思わず声を漏らした。後ろの磯塚も同じ反応だった。


「鹿賀里……彩乃」


 かつての同僚の名前を口にして、思わぬ形で関係していたと戦慄した。




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