三十五、謀ったのは――

 ガタゴトと、馬車が揺れる。

 街道から外れた悪路ではときどき体が浮いてしまうようなひどい揺れもあったが、誰もいちいち声を上げたりはしなかった。

 ラパスがリッドのためだけに話す一部始終に耳をそばだてていたからだ。

 どうして攻撃は止んだのか。

 国と国民を欺いたとは、何のことなのか。

 事の顛末を語る友の声を聞きながら、リッドはふと空に目を遣った。顔の角度も変えず視線の先をほんの少しずらしただけの動きでとらえた空はもう夜にだいぶ近づいていて、海の深いところを掬ったような色をしていた。




 今回の『ファブールの魔女』に対する仕打ちには、そうするように仕向けた者とそれに乗った者との二つがいた。

 ラパスの話はまず、真っ赤に熱せられた砲弾が森に撃ち込まれたその直後、近衛兵団が衛兵隊の陣に到着したところから始められた。

 そのときの陣内はやけに静かだったという。

 自分たちの攻撃が迷いの森を焼いた。その事実を自信に繋げた者はごくわずかだった。衛兵の大半は戸惑い顔で、大きく立ち上がる炎と煙を見遣り立ち尽くしているだけだった。

 見かねた兵隊長が次の攻撃の指示を出す。

 高く挙げた右腕と、その手にしっかりと握られた細剣。

 しかしそれに目を向けた兵士はいなかった。

「そこまでだ」

 兵たちの目は、陣近くに突如現れた紅い甲冑の騎士に注がれた。彼女の後ろには近衛兵団の精鋭が並んでいた。

 その瞬間に何が起きたかを理解できた者はいなかっただろう。皆、呆けた顔をして騎士らの動きをうかがうだけだ。

 加勢に来たのだろうか。それとも停戦の命令を下しにやって来たのだろうか。

 いや、ちがう。

 騎士らが武器を手に兵隊長を取り囲んだのを見て、衛兵たちは戸惑いながらも正しい理由を察知した。『悪者を捕らえに来たのだ』と。

「衛兵隊隊長フゥ=エシェック、其方には背任の容疑がかかっている。申し開きがあればこの場で申してみよ」

 紅の騎士は馬上よりそう呼びかけた。

 大柄の騎士が二人、兵隊長の答えを待たずにその身柄を取り押さえる。

「私が……私が何をしたと! 背任などとはまったく身に覚えがありません!」

 声を荒げ拘束から逃れようと足掻く。

 紅の騎士は顔色一つ変えず、冷酷にも映る眼差しで彼を見下ろした。

「武功を仕立て上げるため悪しき魔女という偽りの敵を創作し、人々を欺き、国に混乱をもたらした。と言えばわかるか」

「な…………何を……私は嘘などひとつも――」

「この者を知っているな。誰だ?」

 両手両脚を鎖でつながれた男が馬車の荷台より降ろされる。角張った顔にギョロリとした目が光る気味の悪い男だった。

 その男の顔を見て、兵隊長は迷うことなく頷いた。

「宰相閣下の使いの者で、私に魔女討伐の密命を……」

 しかし言いながらじわりじわりと事態を理解し始めたようだ。自身の言葉の一つ一つを証明するすべが見当たらないことに気がつくと、兵隊長の顔は次第に強ばり両目はぐわっと見開かれた。

 体が震え、声は失われる。

「俺はその宰相閣下の使いの一人だけれど、こんな男は見たことがない」

 とラパスが残念そうに言った一言が兵隊長の耳に届いたかどうかは定かではない。彼は憎悪にまみれた顔をしてただただ男を睨みつけるだけだった。

「この者は西の大陸より来た者で、魔女に私怨を持つ者だ。たまたま立ち寄った我が国に魔女の生き残りがあると聞きつけ、それを討ち滅ぼすために此度の悪事を企てた。其方はそれに加担したそうだな」

 酒場で隣り合わせたことをきっかけに親しくなった二人は、やがて互いの野望を知ることとなる。

 魔女を討つことと、手柄を上げること。

 ふたつはがちりと噛み合った。

『どうやら正体不明の調合屋ってやつが魔女の生き残りらしい』

『確かめるすべは?』

『近いうちに王室御用達の更新審査のため人前に姿を現すと聞いた。そのときが好機だ。兵は動かせるか?』

『任せておけ。王よりの密命であると言えば、いくらでも秘密裏に動かせる』

『それじゃあそっちはあんたに任せた。――まずいことになった。正体不明の調合屋とやらが街に現れたらしい。街中その話題で持ちきりなんだが、』

『どうした?』

『誰も彼もやつに好意的でな……。このままじゃあ討伐の妨げになっちまう』

『……人心を惑わす悪しき魔女、ということにすれば何とかなるのではないか?』

『それはいいな。この国の人間は誰も魔女のことなんて知りもしない。もっともらしいことを吹き込めば簡単に信じるだろうし、魔女を害あるものと見なすはずだ』

『それではこういうものはどうだろうか。過去に我が国においてこのようなことが起きたということにして――』

 そんなやりとりがあったのだと、捕らえられた男が証言した。それを兵隊長に突きつけると青ざめていた顔色は興奮により一転して赤に染まった。

「大嘘だ! ファブールの魔女の二百年前の悪事についてはそいつから――それも昨日初めて教えられたことだ! 私の作り事などであってたまるか!」

 兵隊長が暴れる。両脇に控えていた騎士がすかさずその身を組み敷いた。

 地に這いつくばった兵隊長の眼の間際にラパスの靴先が迫る。反射的にぎゅっと瞼を閉じたのを見てラパスはいやらしく笑んだ。

「ということは、我が国の衛兵隊長ともあろうお方が、どこの誰とも知れぬ男の言葉を鵜呑みにした挙げ句、正式な命令もない状態で軍を動かし、さらには偉大なる陛下の臣民に武器を向けたと、そういうことですかな」

「命令の証書はあった! しかし外に漏れてはならぬとその場で……」

「処分するよう指示がありましたか。まあ、よくある手だ」

「あったと証明することはできないが、嘘だと決めつけることもできまい。それに我らが武器を向けたのは、悪しき魔女に対してだ。…………そうだ! 現にファブールに魔女はいたではないか! 多少話の食い違うところはあるかもしれないが、悪しき魔女が現れるという情報をもとにそれを討つべく動いたことは正しき行い。裁かれるものではない。そうではありませんか!」

 兵隊長の訴えに場がしんと静まり返った。

 動揺も困惑も焦燥も、すべてを飲み込んだ静寂。それをラパスの笑い声が乱暴に吹き飛ばす。

「残念ながらあれは悪しきものなどではないのですよ」

「なぜそう言い切れる」

 兵隊長はキッとラパスを睨みつける。

 ラパスはその場に屈み彼の鼻の先で小さく言った。

「外の者が嗅ぎつけられるようなものを、我々が気づかず放置しているとお思いで?」

 その言葉の意味を理解したらしい兵隊長の顔は、驚きとも絶望ともつかぬ顔に凍り付く。

 その場にいた者のうちいったいどれだけの者が彼の表情の理由を知りえたか。ラパスは小さな声で何と言ったのか、互いに尋ね探り答えを求める。しかし何と言ったか端々を拾ったところで深意までは掴めず。己の内に湧いた不信感ばかりが鮮明になるようで、ラパスとさほど年のかわらぬ若い兵たちは恐れにも似た顔色でラパスと紅の騎士とを見た。

「さて。いかがなさいますか」

 ラパスは馬上の騎士を見上げた。

 紅の騎士は不快さを隠さずにラパスを一瞥する。ふうっと漏れた息はため息だったのか、息継ぎだったのか。

「…………違う。私は、騙されたんだ!」

 なおも無実を訴える兵隊長には視線もくれず、紅の騎士はよく通る声を陣に響かせた。

「騙されたにせよ謀ったにせよ、この攻撃に正当性がないことには変わりない。衛兵隊隊長フゥ=エシェックの身柄は近衛兵団が預かる。また衛兵隊には、恐れながら陛下に代わり近衛兵団副団長アルム=エキャルラットが今すぐの撤退を命じる」

 兵たちは複雑な面持ちでそれを聞き、しかしほっと胸をなで下ろした。

 その様子を眺めながら、紅の騎士はラパスを呼ぶ。

「何か」

 彼女のそばまで寄る。

 相変わらずこちらには短く視線を遣るだけで、馬上にてまっすぐ森のある方をとらえながらラパスに言葉を投げた。

「そういえば、其方も西の大陸の者だったな」

「まさか私を疑っておいでですか」

「そうとは言わぬが、偶然にしては色々と出来過ぎていると思うてな」

「それは少々乱暴な論ではありませんか。西の大陸には無数の国がございまず。人となればそれこそ星の数ほど。ただ同じ大陸の出というだけで疑うのは、此度の衛兵隊長の件について王国軍の兵すべてを疑るのと変わりないことに思われますが」

「では、まったく知らぬと申すのだな」

「はい。まあ、知らぬといっても、それを証明できるものなど何もありはしないのですが」

 ラパスはにぃと右の口の端をつり上げた。

「代わりにつながりを証明するものも何も出ないだろうということか」

「さあ、どうでしょう。万が一そういうものが出るようなことがありましたら、それはそのときに考えましょう。そのようなことがあればの話ですが。――さて、もう一仕事残っております。いざ魔女の森へ。ヒトと魔女と獣人とが手を取り合い力を合わせる、そんな奇跡の光景を確かめに参りましょう」




 ラパスの言葉に誰かのいびきが重なった。

 揺りかごのそれとは違うひどい揺れ方だというのに、ファブールの人々はすっかり眠ってしまっていた。日が落ち辺りが暗闇へと転じたせいもあるだろうが、煤で汚れた顔や体からは深い疲労がうかがえる。

 リッドは肩のこりをほぐしながら、隣りに座るラパスの顔をちらりとうかがった。

「なんだ。いつ戻った」

 ラパスが視線を合わせる。

 彼の話に驚いたのか体が慣れたのか、獣人の姿からヒトの姿へと戻っていた。リッド自身がそれに気がついたのはふわあっとあくびをしたときだ。獣のときにはつい啼き声を追加してしまうのに、そのときにはそれがなかったのだ。

「そっちの方がしっくりくるなんて、そんな顔をしているな」

 ラパスが笑う。嫌悪を表わした渇いた笑いだった。

 街が近づいて来た。

 街道とはいえ辺りは真っ暗だ。

 だけど慣れてしまえば案外よく見えるもので、隣りに座るラパスの表情ははっきりとつかめた。

 何かを待っている顔だ。

 リッドの言葉を待っているのだ。

 しかし今ここで、いったい何を言えばいいというのだろうか。

 衛兵隊の隊長が悪巧みを企てた。彼を唆した男がいた。その男は西の大陸の出だった。そして、この国はユイルという魔女がいることを知っていた。

 それらを聞いて、リッドの頭に浮かんだのは、たった一言だった。その言葉を彼が待っているとは到底思えなかった。

たばかったのは、誰だ?」

 リッドは言った。湧き起こる疑念のせいか、胸の辺りがフツフツと滾って心地が悪かった。

「誰が、か」

 ラパスはふふと嗤った。

「誰を、と考えた方が答えに近づけるのかもしれないな」

 続けたラパスの返答はそれだけだった。

 にやっと口もとを歪ませたところで話は終わりとなった。

 シャルムの街の門塔が見えた。その足もとに大勢が詰めかけ、馬車を見つけるとわあっと声を上げた。その声で何人かが目を覚ましたのだ。

 それでラパスは話をやめた。

 リッドも隣りで黙り込んで、シャルムの街の灯りに目を細めた。何日ぶりかに眺めたような、そんな懐かしさを感じた。


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王室御用達の魔女 葛生 雪人 @kuzuyuki

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