三十四、潮時とおしまい

 ユイルたちが戻るまで。

 一時しのぎであれば自分の力でもなんとかできると思っていた。

 リッドは加減などという言葉を思い浮かべることもなく、駆け回り跳び回り、降りかかる火矢の雨を打ち払い続けた。

「これくらいなら何とか――」

 そう言いかけたとき。

 耳をつんざく砲声が辺りを駆け抜けた。

 キーンと耳を貫かれた感覚。そこにすぐさま蓋をされたように一瞬すべての音が遠のく。

 聴覚が正常に戻るのを待たずに、次の衝撃がリッドを襲う。

 森に着弾した三発の砲弾は、リッドや街の人たちの足もとを大きく震わせた。それは大砲の弾によるものだけではなく。長い年月を掛け育った大樹が次々に倒れたことで起きた振動でもあった。

「ああ、森が……」

 誰かの声が耳に届いた。

 悲痛な声。絞り出したような声に聞こえたものは、耳の感覚が戻ってみれば、それは森が破壊される音にも負けぬほどの音量で発せられた叫びであった。

 木々が裂ける音が聞こえた。

 バリバリと割れる。

 メキメキと潰されて、

 ザワザワと樹葉が揺さぶられる。

 その音に爆ぜる音が加わった。

 何がそんな音を発しているのかと一瞬耳を疑った。しかし目の前には音と一致する光景が広がる。

 倒木の縁を走る炎。

 ささくれだった樹の肌を駆け枝葉に渡る。

 何が起きたのかと戸惑う声が飛び交った。

 砲弾は森を打ち砕いただけではなかった。真っ赤に熱せられた玉が木々を焼いたのだ。一発はそういうものだった。他の二発は着弾と同時かその直前に弾け辺りに炎をまき散らした。

 ラパスが言った二百年前とは違う火力というものだろう。

 森に駆けられた反撃用の魔法も防御の魔法も作動したが、その火力の前では分が悪い。

 たいして火の勢いを抑えられぬうちに次の砲撃が森を襲った。

 あちこちで炎が上がる。

 森に赤い色が割り込んでいく。

 辺りに広がり始めた夕焼けの赤とは違う。何よりも赤く強く己の色を見せつけているというのに美しいとは微塵も感じられない。おぞましいだけの赤だ。

 この美しい森に差し込む赤が、どうしてそんな赤なのだろうとリッドは立ち尽くした。

 皆が同じように動きを止めていた。

 森の奥から騒がしい声がこちらへと向かってくる。本来ならそれは希望と感じるものだったはずだ。

 だけど、どうだろう。

 リッドも彼らも、仲間の帰還を認識しながら何もできずにいた。ユイルたちが戻ってきたところで、もうどうにもならないことなのだと思ってしまったのだ。

 熱風と火の粉を払いながらユイルたちがたどり着く。

「そんな……」

 今さら火の勢いに抗おうとする者などいなかった。人々は行き場を失ったグウルドの枝葉を無念そうに抱えるだけだ。

 その中にあってもユイルはまだ諦めた顔をしていない。

「まだよ…………きっと、何とかなる」

 そう言って森の精霊に呼びかける。

 しかし反応は芳しくない。

「この状況で魔法に頼れないということは君が一番理解しているはずだろう」

 リッドは言った。

 言っている間にも火は勢いを増し森に広がっていく。風が起き水がうねり反撃を開始するが、それ以上に延焼の速度が速くて森の精霊たちがざわめき始めた。森の気配が変わった。それは魔女でなくとも十分に感じられるものだった。

「これでは無理だ。平和で豊かな森でなければ、精霊は働かない。そうだろう?」

 実際、森にかけられた反撃の魔法には先程までの威力はない。

「それでも精霊石があるうちは――」

 ユイルは言うが、手にした採霊管はカランと音を立てた。とても寂しい音だった。

「潮時だよ」

「それは、森を諦めろということ? それとも」

 ユイルは街の人たちの顔を順に見た。

 一周してきゅっと唇を結ぶ。

「何もかもを、ということ?」

 思い詰めた顔でそう言ってリッドを睨みつけた。気の強そうな眼差しを向けながら、今にも泣き出しそうな顔をする。

「そうじゃないよ」

 リッドが優しい声色で言ってみせてもその顔は変わらなかった。

「それじゃあどういうことなの」

 と詰め寄る。民衆の大半はユイルの味方だったようだが、リッドの次の一言を聞いて二つに割れた。

「隙を見て話し合いだなんて甘いことを言っていないで、まずは力でねじ伏せてしまえばいいということさ。僕ならば、大砲とは無理だとしても、あのくらいの数の兵となら十分やり合えるしどうにかできる」

「そういうやり方はしたくないって、さっき言ったわ」

「そんなことを言っている場合じゃないだろ。次の砲撃が来ればいよいよ森はおしまいだ。このまま降伏することになれば君も街のみんなも徒じゃ済まないだろう」

「次の砲撃が来るまでに、少しでも火を消せばきっと何とかなるわ」

「そんな簡単な話では――」

「ねえ、次が来るまではどれくらいかかるの」

 その予測をもとに、何ができるかを計算しようとしているようだ。

「どれくらいって…………どれくらい?」

 リッドは首を傾げた。

 予測が難しかったからではない。

 今のこの状況に違和感を覚えたのだ。

「どういうことだろう」

 そう言いながら視線を遙か彼方、敵陣の方へと向けた。

 前の攻撃からずいぶんと間が空いている。

「砲弾を焼くのに時間がかかってるんじゃないか?」

 サージュが言った。

「そうだとしても他の攻撃はできるよ。実際ここに至るまでそうだった」

 何かがおかしいとリッドは目を細めた。鼻は利くが視力となると自信がない。人の姿のときの方が遠くの方までよく見えるのにと思いながらじいっと目を凝らすと、マルシャンの方が一足早く何かを見つけた。

「あれは、近衛兵団の旗じゃないか」

「そんなものまで出てきたのかい」

 サージュが身を乗り出す。

「近衛兵団というのは?」

「正しくは王室騎兵団っていうんだけど、まあ、言ってしまえば今アタシたちが戦ってるあの隊の親玉みたいなもんさ」

 大雑把な説明に「滅多矢鱈に出てくる方々じゃないんだけどな」と補足が入る。

 二百年ぶりに現れた魔女討伐のためとあればけして大袈裟なことではないかもしれないが――

「やっぱり様子がおかしいと思うんだ」

 耳をそばだててみれば、敵陣の騒がしさが薄れているように感じられる。

「攻撃をやめたということなの? それじゃあ今のうちに火を消しましょうよ!」

 ユイルがリッドの腕を掴む。

 しかしリッドは首を縦には振らなかった。

「おい、近衛兵団がこっちに向かってくるぞ」

 民衆の中から声が上がった。

 リッドの目にも彼と同じものが見えていた。

 二十あまりの騎兵と数十人の歩兵隊が列をつくり森へと向かってくる。どっどと馬が大地を踏みしめる音が響く。それは腹の底に重く鈍く伝わり何とも言えぬ不気味さを連れてくるのだが、彼らの姿はそれとはまったく違っていた。

 近衛兵団とやらの行軍は戦場に向かうものではなかった。

 遠目には砲車に見えていた台車には魔女の鍋のような大きな水槽を備えたポンプが積まれていた。それを運ぶ兵たちには緊張の様子はあれども、審査会場で襲いかかってきた者たちのような敵意は感じられない。そもそも、誰一人として武器を手にはしていないのだ。

「助けに来てくれたのかしら」

 ユイルがぽつりとこぼした。

「すぐに人を信じてしまうのは、君の悪いところだ」

「良いところじゃなくて?」

「その結果君だけじゃなくまわりまで騒動に巻き込まれるのだから、間違いなく悪いところだよ」

 迫り来る隊列に目を遣ったままリッドは言った。ユイルは不満そうな顔を見せた。視線はやはり近衛兵団に向けられていた。

「だけど今回は君が正しいのかもしれない」

 民衆と兵団と。互いの声が届くくらいにまで距離は縮まった。そこで兵団は歩みを止めた。儀仗隊の行進よろしく、高らかに鳴った歩兵隊の最後の一歩はぴたりと揃い戦場の荒々しさを打ち払う。

 整然と並んだ兵士たちが放ったのは、火でも矢でも砲弾でもない。

 わあっと人々から声があがった。

 悲鳴や怒気を孕んだ声などではなく、驚きと、そして歓喜の声だった。

 先頭に立った紅の甲冑を纏った騎士が、馬上ですっと挙げたその右手の指示に従って、森に大量の水が注がれた。




 天秤ばかりの腕のように左右に伸びたハンドルを、それぞれ両側に立った兵士が交互に下方へと押し込んだ。

 街の人の中によその国でその道具を見たことがあるという人間がいたのだが、「そうか、その手があったな」と感心するばかりで一向に何物なのか教えてくれない。

 彼が説明する前に、リッドたちは己の目で見て理解することとなった。

 道具からのびた筒状の布から大量の水が噴き出した。それはまるでユイルが使う魔法のようだった。

 驚きと困惑と、二つの間を行き来しているような表情でユイルはその様子を眺めていた。

 森を焼く憎き炎に、勢いよく水流が当てられる。

 それも一台や二台でなく、その道具を積んだ荷車は馬と同じほどの台数が用意されていた。それらが一斉に水を吐き出すと、森を染めていた赤い色の勢力図が変化する。

 まだ夕焼けの赤が残っているうちに、炎の赤は消えてなくなりそうだ。

 安堵はした。

 だが、まだ気を緩めることはできない。

 火が消えていく様を不思議そうに眺めていたユイルが、しばらくしてこちらに目を向けた。

「終わった、の?」

「そうであれば嬉しいけれど」

 リッドは言って兵士たちの様子を目で追った。この隊にも一人だけ他とは違う鎧を身につける者がいる。先程合図を出した騎士だ。

 鮮やかな紅色の甲冑を身につけた美しい顔立ちの兵士だった。頑丈な甲冑を纏っていると思わせない軽い身のこなしで馬から下りると、民衆の前に歩み出た。

「どれが魔女か」

 そう言ったところでその兵士が女であると知った。

 彼女の言葉はリッドたちに投げられたものではなかった。隊の中、兵や馬に紛れるように立っていた一人の男に向けたものだった。

「……また君か」

「そんなに嫌そうな顔をしてくれるなよ」

 不敵な笑みを浮かべてラパスが騎士の隣りに進み出る。

 あちらですとユイルを指すと、その場にいたほぼすべての人間の眼差しがユイルと騎士とに注がれた。

「まずは我がファブール王国軍兵士による非礼を詫びよう。国と国民を欺き策略を巡らせた逆賊ではあるが、それでも我が軍の一員であったことは事実だ」

 騎士は申し訳なかったと浅く頭を下げた。

 そばにいた数人の騎士が紅の騎士に倣う。

「国と国民を欺き策略を巡らせた?」

 リッドは思わずラパスを見た。彼は素知らぬ顔をしている。

「誰がそんなことを」

 とユイルが声を上げる。

 騎士は不快さを隠そうとせず「衛兵隊の隊長だった男だ」とだけ言った。

「詳しい話は道中ででも。今は何より急ぎ王城へ参上してもらいたい」

「王城へ?」

 リッドとユイルは顔を見合わせた。

 街の人たちがざわざわと騒ぎ出す。

「それは、ユイルをどうにかしようってことですか」

 オネットを始め人々はじりじりとユイルのまわりに集まった。ひどい目に合わせるつもりならばけっして引き渡したりはしないぞと、相手が近衛騎士団であっても引き下がりはしない。

 それを見てラパスは呆れたようにため息を漏らした。

「心配するようなことは何もない。王への謁見が許されたんだ」

「どういうことだ」

 リッドはラパスを睨みつける。

 恐い顔をするなよとラパスは冗談めかす。

 しかしすぐに表情を整え強い眼差しを返す。

「その子が望んだことだろう。ファブールの人々と話がしたいと。陛下が直々に聞いて下さると言うのだ。言葉だけでは信用ならぬと言うのなら召喚状でも携えて出直すが?」

 さあどうすると、そう投げかける視線はユイルに向けられた。

「どう思う?」

 ユイルがリッドに問う。

「どう考えたって怪しい。怪しいけれど――」

 リッドは今一度ラパスと視線を合わせた。彼の腹を探ってはみるが、今まで一度だってうまくいったことがない。

「念のため確認するけれど、もしもこの話を断ったりしたら彼女はどうなるんだろうか」

「さあ、どうなるんだろうな。その可能性を考えもしなかったからすぐには答えられないな。しかし、お前は『彼女は』と問うたが、心配するのは彼女のことだけでいいのか?」

 ラパスの言葉に人々の顔がこわばる。

「俺が助けられるのは、せいぜいお前一人だ」

 その一言は紅の騎士の耳にも届いていたようだ。ぴくりとわずかに眉が動いた。引きつったような動きだったがその言動について口を挟むようなことはしなかった。

「行くしかないみたいだね」

 リッドは申し訳なさそうにユイルに言った。

 それに対しユイルは庇うように優しく微笑む。

「きっと、大丈夫よ」

 そう言ってリッドの手をしっかり握った。

 リッドはその手を握り返し、無言のまま頷いた。


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