第30話 ―蒼緒― A Monster of the Imitation

 蒼緒の右目が見えないのも、それが〈狼餽〉に襲われた後からなのも、間違いなかった。

 衣蕗には言えなかった。心配をかけたくなくて。だからずっと両目が見えている振りをしていた。


 でも、自分が〈狼餽〉だなんて信じられなかった。

 自分は篠蔵蒼緒だ。それを疑った事すらない。

 〈狼餽〉?

 擬態?

 そんなはずはない。

 自分が〈狼餽〉だとしたら、巧妙に擬態しているとしたら、一体何人の人間を――


 そう考えて吐き気がした。呼吸が荒くなる。


 ――私は一体、なんなのか。


「ま、……待ってください。わ、わ、私は、篠蔵蒼緒です。お、襲われる前からの記憶だってあるし、に、人間です。〈狼餽〉だなんて――」


 うまく息が出来ないままそう言った時、衣蕗が身を固くするのがわかった。なんだか怖くて、ゆっくりゆっくりと顔を上げると、彼女が目を見開いてこちらを見ていた。


「い、衣蕗ちゃ――」

「あ、蒼緒が……〈狼餽〉……?」

「衣蕗ちゃん、わ、私――」


 再び彼女が身体を固くする。呼吸が乱れる。そしてわずかに身を引くのがわかった。それは、


 拒絶――だった。

 

 人間でないものを恐怖する、拒絶。

 蒼緒は全身から血の気が引いていくのがわかった。


「蒼緒が……あの時の……〈狼餽〉……? なんで、そんな……っ、……っ」

 

 椎衣那が言う。


「……私の本当の任務はね、内部調査なんだ。身内を調べて上層部に報告する。スパイだ。私は今日、羽佐田町はさたちょうの森に行っていたんだ」

「…………え? な……なんで」


 蒼緒は聞き覚えのある地名に目を泳がせた。衣蕗も戸惑っているのがわかる。だって、だってそこは――。

 

「……いや、統廃合前は谷潟やがた村――だね。そう、君たちの生まれ育った村だ。君たちが襲われた事件を調べていたんだよ。そこで、一人の男性に会った。彼は統廃合されるずっと前から、あのあたりで猟師をしていた。名は古橋総男ふるはしふさお。彼はその日も猟をしていたそうだよ」

「……え?」

「……彼は言った。――子供の一人が〈狼餽〉に喰われるのを見たと」

「――――っ」

「そして怖くなってその場から逃げた。子供を一人残して逃げたその罪悪感から、彼はそれをずっと黙っていたそうだ。そして村の統廃合で当時の記録はうやむやになった。結果、子供の証言だけが村人の記憶に残った。〈狼餽〉に襲われたけど、助かったと。彼も安堵したそうだよ。村に戻ったら、喰われて死んだはずの女の子が生きていていたんだから。喰われたのは見間違いだと思ったそうだよ。野犬か何かが喰われたのを見間違えたのだと。

 それにね、それを裏付けるものがもう一つある。軍の資料には、当時の出撃記録はなかった。……君たちを助けた特機など、どこにも存在していないんだ」

「そんな……」


 蒼緒は喉がカラカラになった。並び立てられる事実に混乱する。そんなはずはない。襲われて、助けられて、近くの療養所サナトリウムで二人で目を覚ましたはずだ。そうだ記憶がある。

 それを口にしようとした時、椎衣那が言った。


「〈狼餽〉はね、喰った人間の記憶ごと擬態するんだよ。君の中にあるそれは、君が――〈狼餽〉が喰った少女の記憶だ」

「そんな……っ、」

「……だけどね、事実はそれだけじゃない」


「…………え?」


 椎衣那と目が合う。彼女の瞳に感情はなかった。

 

「私はね、本当はもっと別の事件を調べていたんだ。――君の、いや、本当の篠蔵蒼緒のお母さんの事だ」


 思わぬ言葉に驚いた。お母さん?

 蒼緒は捨て子だった。母親の記憶も、記録すらない。施設の前に捨てられていた。母などいない。


「おか……あ、さん?」

「彼女はね、〈女王餽〉だったんだ。それが人と交わり、赤ん坊を産み落とした。それが蒼緒という少女だ」


「……え?」


「篠蔵蒼緒は、最初から人間ではなかったんだよ」



          *

 

 

 シノクラアオハ、サイショカラニンゲンデハナカッタンダヨ。

 

 ……そんな。

 自分の手を見る。血まみれだが、これが擬態した手だと?

 首に触れる。傷跡は何もなかった。二度も〈狼餽〉に喰いつかれて、首の骨を折られたのに。〈女王餽〉なんかよりよっぽど化け物じみた回復力だ。いや、化け物なのだ。

 蔵で椎衣那が治療をすると言って首の傷をあらためた理由がわかった。治癒スピードを確認したのだ。

 

 ――化け物。


「そんな……っ、」

「〈女王餽〉が人と交わって産まれた子はね〈女王の嬰児みどりご〉と呼ばれる。それは最も特異な〈狼餽〉だ。〈女王の嬰児〉はね、仲間を引き寄せるんだよ。考えてみるといい。配属して間もない衣蕗の討伐数が抜きん出ている意味を。私たち特機は〈狼餽〉を取り逃す事だってままある。でも、衣蕗だけは取り逃した報告は一度もない。そうだろう? ――君が、〈女王の嬰児〉の血肉を喰った〈狼餽きみ〉が〈狼餽〉を呼ぶんだよ。その、血肉の臭いで」

「……っ、」


 衣蕗が息を飲むのがわかった。椎衣那の言った通りだった。衣蕗は一度として〈狼餽〉を取り逃がした事はなかった。


「さっきの〈女王餽〉も言っていただろう? 『ご馳走』だって」

「っ。……そうだ、あいつは、『ご馳走を食べたらちゃんと人間になれる』って――」

 

 ――ご馳走。そう言えば、作戦指示ブリーフィングの際に椎衣那に雪音と紗凪のへの危険性について聞いたら、彼女は言ったのだ。真っ直ぐこっちに来るさ。奴だって美味いもんが食いたいだろうからさ、と。

 彼女は〈女王餽〉が迷わず蒼緒を狙って来ると確信していたのだ。事実、最初に襲われたのも蒼緒だった。


「なるほど。ご馳走を食べたらちゃんと人間になれる、ね。ただの捕食欲求ではなく、そういう意図があったわけだ。……泣かせるじゃないか。生前の妹君は、よっぽどお姉ちゃんが好きだったんだろう。〈狼餽〉は手始めに妹を喰い、村人全員を食い殺すつもりが、姉だけは喰えなかった。おまけに喰った妹の記憶のせいで、姉のために『ちゃんと』人間になりたかったんだろうね。素晴らしい姉妹愛だ」


 だが、そう言った椎衣那の目に感情はこもっていなかった。その手が自身の腰に回る。


「――確かに〈女王の嬰児〉は特異な存在だ。人を食うより嬰児を喰った方が、より人間らしくなれるのかも知れないね。……実際のところ、そんな研究結果・・・・は聞いた事もないけど。――だがね、私は思うよ」


 椎衣那は腰のホルスターからハンドガンを引き抜いた。

 そして蒼緒の眉間に向ける。


「――化け物は、どれだけ上手く人間を真似ても、化け物だってね」

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