第29話 ―衣蕗― A Monster?
抱いた少女の目はうつろだった。
いつもの蒼緒の――青磁色の目じゃない。濁った目をしていた。
そんな。
なんで。
化け物?
〈狼餽〉なのか?
いつ喰われたんだ?
衣蕗ははっとした。「いつ?」
蒼緒の口が開く。喰われ――
「……衣蕗、……ちゃん?」
「――蒼緒!」
蒼緒がまばたきする。再び開かれた目は、いつもの青磁色の瞳をしていた。
「蒼緒、大丈夫なのか? 痛くないか? 首は?」
「え? え? 首……? そう言えば……?」
そう言って首に手を当てる。バリバリと血の固まった感触に驚く。
「え? ……血? ……あ、」
そこで思い出したようだった。
「私、〈狼餽〉に喰われて……?」
だが、芋づる式に色々思い出したようで叫ぶ。
「る、流唯さんは……? それに流歌ちゃんは――」
言ったところで、炎に巻かれた塊に気づいて、身体を強ばらせた。燃える二つの塊。彼女の顔を炎の照り返しがオレンジに染める。
「蒼緒、見るな」
「……っ、」
衣蕗は蒼緒を抱き締めながら、炎に背を向けた。異臭が鼻を突く。〈狼餽〉の燃える匂いだけじゃない。
「え? なんで? え? 流唯さ――」
そして炎とは違う方に視線をやって、気づく。こちらに銃口を向ける存在に。
「……え? 椎衣那、中佐……?」
衣蕗の腕の中で身を固くするのがわかった。
「……出来れば眠ったままでいて欲しかったよ。蒼緒ちゃん」
「っ、」
「待って下さい! 椎衣那中佐、どういう事ですか! なんで蒼緒は……、っ、生き返ったんですか?」
声を絞り出す。そうだ、蒼緒は生き返った。死んでいたはずなのに。
たが当の本人は、現状を理解すら出来ず驚いている。――蒼緒が、化け物であるはずが、ない。
「なんで生き返ったか――、それは化け物だからだよ。彼女は篠蔵蒼緒じゃない。〈狼餽〉なんだ」
「そんなわけ……。だって蒼緒は蒼緒で……っ、これが擬態のはず――、っ」
言いかけて、言葉を失った。
瀕死の状態から生き返った事、流歌のように幾人もの人間を喰って上手く擬態している個体がいる事。それらの事実が頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合う。
「で、でも……! ずっと何年も一緒にいたんだ! 蒼緒が人間を襲った事なんてなかった!」
そうだ。流歌に擬態していた〈女王餽〉は人間を喰っていた。でも蒼緒はそんな事ない。蒼緒が〈狼餽〉であるはずがない。人間を喰わずに生きていられる〈狼餽〉なんているはずがない。
「……じゃあ、聞こうか。蒼緒ちゃん、君は射撃が大の苦手だ。そうだったね?」
「え?」
「……は、はい」
蒼緒が戸惑ったまま、返事をした。
どういう事だ。射撃と〈狼餽〉だと言うのとどう関係がある。
椎衣那が足下にサブマシンガンを置いた。そして両手を上げてゆっくりと近づいて来る。衣蕗は蒼緒を庇うように抱き締めた。腕の中で蒼緒が身を固くする。
目の前で椎衣那が脚を止めた。両手を上げ敵意がない事を示しながら、ゆっくりと跪く。
それから蒼緒の顔に手をやった。左目を覆うように手を置く。もう一方の手を上げ、右目の前で手信号の三を示した。
「蒼緒ちゃん、私は何本指を上げているかな?」
「し、椎衣那中佐? 何を――」
「答えて」
「っ、」
「中佐、何を」
「衣蕗は黙って」
やんわりと、それでいて淡々と諌められ、衣蕗は口をつぐんだ。
「蒼緒ちゃん、私は何本指を上げているか、見えるかな?」
椎衣那が繰り返す。
蒼緒が口を開いた。
「…………わかりません」
「え?」
衣蕗は驚いた。見えていない? なんで。蒼緒は大きな怪我も病気もした事がないはずだ。
「あ……蒼緒?」
椎衣那が左目に当てた手を外した。
「何本かな?」
「……三本、です」
「そう、見えるね、左目は。……けど、君は右目が見えていない。だから距離感を掴むのが苦手で、射撃が下手なんだ。それから、失明しているのは先天的な病のせいじゃない。そうだね?」
「……はい」
え? 右目が見えていない? え? なんで?
「……君たちは幼い頃、〈狼餽〉に襲われた。そして、君たちは証言した。右目が潰れた〈狼餽〉に襲われた、と」
「――――」
その通りだった。そうだ。今もあの〈狼餽〉の顔を覚えている。片目が――右目がなかった。
ドクドクと心臓が脈打つ。……嫌だ。これ以上聞きたくない。
「君たちは十一年前、地元の森で〈狼餽〉に襲われ、特機に助けられた。だが、助かったのは衣蕗だけだ。本当の篠蔵蒼緒は片目の〈狼餽〉に喰われて死んだ。だから擬態しているものの右目は見えないままだ。……君の右目が見えなくなったのは、〈狼餽〉に襲われた後だね? ――ねえ、蒼緒ちゃん?」
「……………………はい」
衣蕗は血の気が引くのを感じた。
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