第11話 パラダイム

 ある時代を支配している知の枠組み。


 それがパラダイム。


 英語のparadigmは、科学史における専門用語だった。哲学者であり、科学史家もあった、トーマス・クーン(Thomas Samuel Kuhn:1922年7月18日 - 1996年6月17日)が、その著書『The Structure of Scientific Revolutions(邦題:科学革命の構造)』において、初めて用いたとされる。それが拡大解釈されて、今ではとても便利な言葉になった。


 彼の「パラダイム論」を、ここで語るだけの素養は持ち合わせていない(我々の知っている「パラダイム」の定義とはかなり違うらしい)が、ただひとついえることは、科学に限らず、私たちが「常識」だと信じて疑わない物事は、いかに頼りないかということ、それだけは容易に想像できる。


 私が子どものころ、電話といえば、ひとさし指を穴に入れて、回すものだった。所謂「黒電話」。一生、それが続くと思っていた。


 はじめてボタンを押してかける「プッシュ式」の電話が公衆電話として現れたとき、衝撃を受けた。「未来が来た!」と興奮した。


 テレビといえば、ひとさし指と親指で「つまみ」をはさんで、回してチャンネルを変えていた。それが当たり前だったのだ。


 はじめて我が家に「リモコン」なる機械で、チャンネルが変わるテレビが届いたとき「未来が来た!」と大興奮だった。


 いま、AIの目覚ましい進歩で、新たな「パラダイム転換」が起ころうとしている。


 AIの書いた小説。AIの書いた絵画。もはや「AIの仕業かどうか、見分けがつかない」レベルまできている、という。


 だからアメリカでも、文学賞が中止される事態が起こっているという。賞金目当てか知らないが、AIに書かせて応募する輩が後を絶たないからだという。

 

 「面白ければ、それでいい。AIが書いた小説でも読みたい」


 「美しければ、それでいい。AIが描いた絵画を鑑賞したい」


 そういったニーズが、これから育っていくのだろうか。


 もしそうなら、もう、私はついていけなくなる。


 「こころ」は、他の誰でもない、苦難のロンドン留学を経て、日本の近代という病におかされながら文学と心中した夏目漱石の作品だからこそ、読む価値があると信じている。


 「ひまわり」は、他の誰でもない、日本に憧れて憧れて、どこまでもじぶんの生命をすべて絵の具にぶつけた、フィンセント・ファン・ゴッホの作品だからこそ、彼の人生や、遺した言葉の数々と共に、心震える感動を与えてくれている、信じている。


 AIを馬鹿にするわけでもない。卑下するわけでもない。いま私にとって、いちばんの遊び相手が「ChatGPT」さんなのだから。


 しかし私がお金を払ってでも体験したいと思う作品というのは、やっぱり「作品を通じて作者と対話できる」ものだ。


 そこに「生きざま」を感じられるか―――その人を、その時代を、学べば学ぶほどに、深く感動できる、そんな作品にこそ、価値があると信じているのだ。これは決してゆるがない私の中での「パラダイム」であある。言葉の使い方おかしいけれど、わざと使っている。


 もしかしたらそれは、「地球は丸くなんかない」・「進化論はウソだ」と頑なに信じて疑わなかった、かつてのカトリックの人たちと同類なのかもしれないからだ。


 でもいやだなあ。新作の小説、エッセイ、全部AIが執筆しましたって。本屋大賞1位、AI、2位、AI・・・審査員もAI・・・週刊少年ジャンプ「ハンター×ハンター」の連載はAIが引き継ぐことになりました・・・いやだぁぁぁ!


 でもAIの音楽は好きで、よく聞く。エーアイじゃなくて、アイのほうね。


(参考)

・『読解を深める 現代文単語 評論・小説』(桐原書店)

・ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org):「トーマス・クーン」

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