第12話 「かたより」

 「かたより」には「偏り」と「片寄り」がある。


 「片寄り」は、片方に寄せる、寄っている、という事。それ以上書くことがない。


 「偏」は、文字としては「中心にいない人」をあらわしている。そこから「かたよる」という意味を持つようになった。


 Twitter上で、ある人物が話題になっていた。船橋市議会議員に立候補し、落選。その後、オウム真理教のサリン事件を模倣するようなテロ予告をつぶやいて、逮捕されてしまった。彼(彼女)の名は、出さない。


 彼(彼女)・・・と書くのには理由があって、報道では「女性」として報道されているが、生まれつきの性別は「男性」だったというのだから、彼(彼女)、と表記することにする。


 もちろん、心と身体の性別が違う、ということで苦しんでおられる方々が実在することは、情報として、知っている。そうしてそういった人たちへの差別は、断じてあってはならない、という事も承知しているし、ほんとうにそう思う。


 ただ、そういった方々に便乗した「なんちゃって」が一定数いることで、混乱してしまう。


 「性同一性障害」をアピールしている人を、分類してみた。


 A)医師の診断によって、生まれつきそのような状態であると認められ、日常生活に支障が出ている人。それは「障害」と呼ばざるを得ない。社会の理解と支援は不可欠だ。


 B)周囲の理解やサポートがあり、あるいはそれが無くても、自分の中で上手に向き合い、付き合って生きている人。日常生活に支障がないなら「障害」という名はふさわしくない。それはかけがえのない「個性」なのだから。


 C)自身の思いこみ(「偏」)によって、後天的に、私は心と身体の性別が違う、という認識でおり、周囲には性同一性障害であることを積極的にアピールする人。発達障害もしくは精神疾患由来?


 D)ほんとうは違うのに、周囲を欺いて演じている。「なんちゃって」。やたら女子更衣室や女子トイレを使いたがる。目的はそっち。


 今回逮捕された彼(彼女)は、C)ではないか。反社会的勢力の身内であり、何かあったらただでは済まない、と主張しているところなど、Twitter上でのこれまでの言動を見る限り、どこからどう見ても「男性的」なのだ。筆者の思いこみかも知れないけれど。


 政策も到底受け入れられるものではなかった。ワクチンは何の効果もなく、すべてのコロナ対策を中止すべきと。しかしその根拠となるものは、すべて自身の「思いこみ」によるものだ。何のエビデンスもない。


 偏見。


 人は、ヒトである以上、かならずその認知にバイアス(=かたより)がかかる。認知心理学でいうところの「認知のゆがみ」である。


 たとえば「白黒思考」。白か黒か、どちらか二択しかない、と極端な結論を急いでしまいがち。実は白と黒が混ざり合う中に、とても豊かな選択肢があるということを、見失いがち。


 むろん全員いつでも必ずそうだ、とは言い切れないのだが、余裕が無いときほどこの「白黒思考」に陥りやすい。


 彼(彼女)は、普通の仕事に就けなかった。それは発達障害の一種だったのかも知れない。性の混乱や、根拠のない思い込みによる政策や、落選後の破滅的な言動を見ても、生きづらさが伝わってくる。


 選挙に落ちたから、もう終わり。死のう。死ねない。じゃあ刑務所へ行こう。


 この発想こそ「白黒思考」。


 もうひとつ「かたより」を意味する言葉で「バイアス」がある。英語ではbiasと表記し、ズレを意味する。


 心理学用語に「ネガティビティ・バイアス」というものがある。

 

 人はヒトである以上、どうしてもネガティブな物事に引っ張られる。だからこそホモ・サピエンスはこれまで生き残ってこられた。「危機意識」に欠ける個体・種族は、生き残ることができない。


 ところがこいつが邪魔をして、生きづらさに更に拍車をかけてしまう。


 彼(彼女)を責めたり、バカにしたり、無視したりすることは簡単だ。


 しかし、彼(彼女)は、たまたま悪目立ちした氷山の一角でしかなく、同じように極端な「白黒思考」や極端な「ネガティビティ・バイアス」によって、生きづらさを抱えて苦しんでいる人たちは、とても多いはずだ。社会の理解と支援が無ければ、孤立してしまう。追い詰められてしまう。


 かくいう私も、常に生きづらさを抱えつつ、日常と格闘しているが、「認知のゆがみ」が相当ひどいということは、自覚している。


 ここ、とても大切なところで「自覚して向き合えているか」という点で、筆者はまだ、救いがある。心理学や文学、哲学とお友達になれて本当によかった。


 濃いコーヒーが好きだったり、アイラモルト(スコッチウイスキーの一種)を偏愛したり、そういった「かたより」こそ、私が生きる世界を豊かにしている。


 最近は、忙しくて時間がなくて余裕がなくて。それなのに、多忙の極みにある中で、子どもの頃の一時期に、夢中になっていた「プラモデル」にとても興味が湧いて、ワクワクが止まらなくなっている。


 そこに時間を投資する意味や意義なんて、全く無い。起業を目指しているのだから、時間もお金も気力体力も、そこに一点集中すべきなのは、自明のことである。何の合理性もない。


 今もいまで駄文を書いて遊んでいないで、起業に向けて戦略を練ったり、ヒト・モノ・カネを充実させたり、そういった活動に全集中すべきなのだ。


 しかし全然関係ないことにワクワクしちゃう。こういった「一貫性のない」、矛盾した「かたより」こそが、まさに人間らしい、生きる愉しみのひとつだともいえる。


 ロケット工学の博士は、ロケットに取りつかれて、偏愛しているのだろう。だからこそ博士は仕事に打ち込めているわけで。「かたより」のおかげで、人生を切り拓いてきた。でも博士(53歳・男)がほんとうに大好きなのは、キティちゃんで、サンリオピューロランドは「聖地」だったりして。誰だその博士。


 一方で「かたより」のせいで、社会からはじき出されるような人生を選ばざるを得ない場合もあって。


 バイアス。


 偏見。


 偏愛。


 偏向。


 私たちを苦しめもするし、豊かにもしてくれる「かたより」。


 漢字の成り立ちが「にんべん」である、という事、とても考えさせられる。


(参考書籍)

『評論・小説を読むための 新現代文単語 改訂版』いいずな書店

『大漢語林』大漢語林

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