05:浮かび上がる問いかけ

 まずは、事件の概要を整理する。

「これは、オーブリー・エピデンドラム卿が義妹であるヒルダ・エピデンドラムに殺害されたとされる事件である。エピデンドラム邸で行われていた宴の最中、オーブリー卿はある一室に赴き、そこでヒルダに殺害された。その後、ヒルダつきの使用人が主を探していたところ、オーブリー卿の死体と短剣を手にしたヒルダを発見し、事件が公になったということでいいかな」

「うむ、それで合っている」

「その現場には何故かアントニア・エピデンドラム嬢も存在していたが、彼女はずっと眠っていて惨劇を見てもいない、ということだった」

 アレクシアが頷くのを確認してから、私はまず前提となるであろう問いを投げかけてみる。

「事件前後に部屋に足を踏み入れたのは、これで全員なのかな?」

「ああ。他の面々は皆、誰がどこにいたのかを把握していて、その部屋に向かったという者は一人もいなかった」

 他の宴の参加者は事件発生時にその場にいなかったことを相互に証明できている、ということか。これならば、事件の登場人物から取り除いておいてよさそうだ。

 つまり、登場人物は全部で四人。

 被害者たるオーブリー・エピデンドラム卿。

 容疑者たるヒルダ・エピデンドラム。

 第一発見者のヒルダつきの使用人。

 そして、その場に居合わせたらしいアントニア・エピデンドラム嬢。

 記術スクリプト、もしくは奇術マジックのような愉快な仕掛けがなければ四人の他にその部屋にいたものはなく――。

「オーブリー卿は、確かにその部屋で殺されたんだね?」

「ああ、死体の状態や絨毯の上に残された血痕などから、それは間違いないと警察も請け負っている」

 警察の捜査がどれだけ正確か、という点については普段の私ならば疑問を投げかけるところだが、一旦はそれを信じるとする。あくまでこれは、アレクシアが語る言葉だけで判断すべきことなのだ、いちいち疑っていては話が進まない。

 ただし、今まで聞いた話の中身と、私自身の知識とを照らし合わせてみたときに、ぽつぽつと疑問が浮かび上がってくるのも事実。

「しかし、正面から殺されたといったね。普通に考えれば、難しいとは思わないかな。オーブリー卿も、目の前で短剣を構えられたら流石に抵抗を試みると思うのだけれども」

 アレクシアは「ふむ」と細くちいさな顎に指を当ててみせる。

「それは一理ある。が、伯父上が正常な判断力をもって抵抗できたか、というと相当怪しいとは言わざるを得ない」

「どうしてだい?」

「言い忘れていたが、事件当時、オーブリー伯父上は随分と泥酔していてね。事件の起こった部屋に向かったのも、酔いを醒ますためであったと考えられている」

「……ふむ。そういえばオーブリー卿は随分酒癖が悪かったのだったね」

 私の知る限りのオーブリー卿は、平時はいたって沈着な一方で、酒が入ると極めて厄介な性質なのであった。私も迷惑を被ったことが一度や二度ではない。しかも酔いが醒めるとその時のことをすっかり忘れているのだから、本人は気楽なものである。

 確かに、あの酔い方では正常な判断は難しいかもしれない。仮に目の前で短剣を構えてみせたとしても、果たして目に入っていたかどうか。

 が、それを加味したところでヒルダにオーブリー卿の殺害が難しかったことには変わりないのだ。そう考えてみると、もう一つ、どうしても知っておかなければならないことがあったのだとわかる。

「姉さんは、オーブリー卿の殺害について何か言っているのかな。普通に考えれば、明確な殺意がなければわざわざ短剣を手に取ることもなかっただろう。その点に関して、何か説明はあったのかい?」

 アレクシアは、その問いに対しては首を横に振った。

「それが、母さまは黙秘を続けているのだ。自らが犯人であることは否定しないが、犯行に及んだ理由については何も語っていない」

「ふむ。オーブリー卿が死んで誰が得するかと考えれば、まずはオーブリー卿の弟、ヒルダ・エピデンドラムの夫、つまり我が義兄なのだろうけれど……、姉さんが犯人になってしまっては、得も何もあったものじゃない。義兄に座を譲ることを、あのアンブローズ卿が許しはしないだろうしね」

 アンブローズ卿が健在な以上、当主の座も財産の行方もアンブローズ卿の一存に委ねられているのだ。犯人が見つかっていないならともかく、犯人がヒルダだとわかってしまっている以上、義兄が得をするようなことはあり得ないし、姉の目的も義兄に利をもたらすこと、ではなさそうだ。

 なら、少し考え方を変えてみることにしようか。

「何故、を問うてもすぐには答えが出そうにないね。なら、もう一度現場に立ち戻ってみようか」

 アレクシアは僅かに戸惑いの表情を浮かべる。

「しかし、状況については大体説明した通りだが」

「……そうだな。もう少し細かく知りたいのさ。例えば、現場には絨毯が敷かれていたという話だけど、これは、随分厚手のものだったのかな」

「毛足の長い、厚手の絨毯だな。色は深い赤。……血痕が黒くこびりついたのは、あまり見ていて気持ちよいものではなかったが」

 内心羨ましいな、と思う。何せ私に与えられている部屋には、石造りの床をかろうじて覆う薄っぺらい絨毯しかないものだから、雪季ともなると酷く冷えるのだ。それこそ、血痕の一つや二つ気にしないから分けてもらえないかと思うが、流石にアレクシアの前でそんな冗談を言う気にはなれなくて、そっと喉の奥に押し込み、逸れかけた意識を本筋に戻す。

「現場には凶器となった短剣が飾られていたということだったけど、それは元々どこに飾られていたものだったのだろう」

 アレクシアは「ええと」と顎に細い指を当てた姿勢のまま、しばし考え込んでから口を開く。

「確か、入り口近く。他にもいくつか飾られていた武具のうちの一つだ」

「他に、その部屋で、事件前と後で異なったところはあったのかな」

 現場について何一つ知らない私が事件について考えるには、どんな些細な違和感でも掬い上げなければならない。何とはなしに浮かびつつある、とある可能性を否定するにも、補強するにも、だ。

「そういえば、アントニアが寝かされていたソファの肘掛に、短剣によるものと思しき傷があった」

 ソファに傷。それは確かに今まで出てこなかった情報だ。私の想像では入り口近くの短剣を手に取った犯人が一直線にオーブリー卿を刺し殺した形だったのだけれども、少し認識を改めなければならないのかもしれない。

 それから、しばしの沈黙が流れた。アレクシアは言葉を選ぶかのように半ばまで伏せた目を手元に向けて、指をせわしなく組み続ける。私は、何とはなしにその指先を眺めながら、言葉の続きを待つ。

 やがて、ぽつり、と、声が落ちた。

「それから。その場にいた、アントニアについて」

 アントニア。どうしても事件を考えるに際しての、最大の違和感として存在している、少女。

「一つ、大事なことを、言い忘れていたんだ」

「聞かせてもらえるかな?」

「アントニアの服には、オーブリー伯父上のものと思われる血が付着していたのだ。ただ、ニアが眠っていたのはソファの上で、ソファはオーブリー伯父上が刺殺された位置からは離れていて、飛散した血がソファまで届いたとは考えづらいのだ」

 もう一度、頭の中に部屋をイメージしてみる。長い毛足の絨毯と、傷のついたソファ。そこに寝かされたアントニアと、服についていたという血痕――。

「オーブリー卿が刺殺された場所は、部屋の奥の方と考えていいのかな」

 私の問いに、アレクシアは目を伏せたまま一つ頷いてみせる。

 想像の中の部屋に、オーブリー卿の死体と短剣を持つヒルダを描き加える。もちろん、これは実際の情景からはとんとかけ離れているだろう。私の想像力が頼りないことは過去の出来事でとっくに証明されている。

 それでも、ひとつ、思い浮かんだことを言葉にしてみる。

「……姉さんは、どうして、オーブリー卿の殺害を否認しない一方で、沈黙し続けているのだと思う?」

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