06:アレクシアと「私」

「どうしてって」

 アレクシアの青い目が、つい、と私の方に向けられる。

「叔父さまにはわかるのかい?」

「そうだな。これはあくまで、君から聞いた話と、私の勝手な推測による『仮定』に過ぎないのだけれども」

 けれど、一方でほとんど確信を持って。

「姉さんは、どうして、どのようにしてオーブリー卿が死んだのか、知らないのではないかな。だから、現実に反することを言わないためにも黙秘を続けている」

 そう、『仮定』する。

 アレクシアは、一瞬ぽかんとした顔をしたけれど、すぐに表情を引き締めて――ほとんど睨むようにして私を見上げてくる。どうやら、私が言わんとしていることをすぐに理解してくれたようだ。本当に賢い娘だと思う。私なんかよりも、ずっと。

「つまり。叔父さまは、母さまが伯父上を殺したわけではないと言っている」

「そして、もう一つ」

「叔父さまは、母さまでなく――ニアを、疑っている」

 そうだね、と。私はアレクシアの言葉を首肯で受け止める。

「……そんなに睨まないでほしいね、私も好きでこんな仮説を立てているわけではないんだから。それにね、アレクシア」

 これは、今になってやっとわかったことではあったけれど。

「君も気づいていたんじゃないのかな。アントニアが犯人である可能性に」

 アレクシアの目が見開かれる。微かに唇が開くけれど、言葉は出てこない。それを確認して、私は言葉を続けていく。

「これは単なる勘繰りだと前置きするけれど。君はアントニアについての重要なことを『言い忘れていた』と言ったけれど、できれば言わずに済ませたかったのではないかな。私が、それまでの情報だけで、君が望むような……、言ってしまえば『都合のいい』答えを出すことを望んでいた。ないし、無意識に求めていたのではないかな」

 ――例えば、『姉さんもアントニアも犯人ではない』というような答えを。

 私の言葉に、アレクシアは沈黙で返した。その表情に、何らかの感情を見出すことはできなかったけれど、これはただ、私が感じ取れないだけなのかもしれなかった。

 先ほどよりもはるかに長い沈黙は、アレクシアのちいさな唇から吐き出される長い、長い息によって遮られた。

「叔父さまには敵わないな。そう、わたしは確かにアントニアを疑っている。けれど、『疑いたくない』と思っているのも本当だ」

「ただ、君が話してくれた内容が正しければ、姉さんが犯人である可能性と同じくらい、アントニアが犯人である可能性は十分にある」

 アレクシアは組んだ指に力を篭めながら、「そう」と言葉を落とす。

「母さまがもし、ニアを庇ったのだとしたら。わざと、自分が犯人に見えるように振舞ったのだとしたら。そう考えてみた方が辻褄が合うのではないかと思ったのだよ。ニアがあの場にいた理由も説明がつく。ついてしまう」

 アントニアの服には血が付着していたという。そして、そのソファには短剣によると思われる傷こそあったけれど、オーブリー卿の血が飛んだ様子はなかったという。アレクシアの話が全て正しいとすれば、アントニアがオーブリー卿の死に何らかの関連を持っていることはほとんど間違いないことだ。

 だが――。

「しかし、叔父さま」

「何かな」

「わたしは、アントニアが嘘をついていないことを知っている。本当に、ニアには当時の記憶がないのだ」

「どうしてそう言い切れるのか……、という疑念は、この場では無粋だね」

 言いながら少しおかしくなってしまう。全くもって不謹慎だと思うのだが、何しろ私はアレクシアから聞いた話以上の判断基準を持たない。疑うくらいなら最初から話を聞かなければいいのだ。

 だから、私が確認すべきことは、アレクシアの言葉の真偽ではなく。

「私は君の話を信じるよ。その上で、君はどうしたい?」

 アレクシアは虚を突かれたようにぽかんとした表情を浮かべた。疑われることはあっても、問いかけられるとは思ってもみなかったとみえる。

「どうしたい……、とは?」

「君は姉さんの無実を信じ、そして更に事件に関係している可能性が高いアントニアのことも疑いたくないといった。私は、そんな君に無責任な説を並べ立てて安心させることも……、まあ、できなくはないと思うのだけどね」

 事件の成り行きをこじつけることならいくらでもできるだろう。何せ聞きかじったことだけで判断しろというのだ、そこに荒唐無稽な想像を付け加えて話を膨らませるのはそう難しいことではない。

 しかし、アレクシアは私の言葉に対して、首を横に振ってみせた。

「もし、ニアが犯人だとするならば。アントニアがどうして伯父上を殺すことになったのか。わたしは――そこに至るまでの真相を、知りたい」

「なるほど。それが君の意志なんだね」

 唇を引き結んだアレクシアが、今度はきっぱりと頷いてみせる。それから、少しだけ唇を歪めて言うのだ。

「もちろん、叔父さまのそれがどこまでも『仮定』でしかないのはわかっている。ただ、……わたしが今まで出会った誰とも違って、叔父さまはわたしの話を最後まできちんと聞届けてくれたからな。その叔父さまがどのような仮定を導いたか聞いてみるまでは、帰るに帰れないよ」

「そうそう信じるものじゃないよ、私のようなひとでなしのことなど」

「そのひとでなし様にも頼りたい気持ちなのだ。わかってくれたまえ」

 アレクシアの言葉ははっきりとしたものだったが、声に微かに滲むものを感じて、私は目の前の少女に対する評価を改める。私という相手を前にしても、身内の殺人事件を前にしても、毅然と振舞える娘だと思っていたけれど、――少なからず、無理をしているのだと。

 ここに来たのも、最初は身内から私の話を聞いた、というきっかけだったのだろうが、……本当に、アレクシアには頼れる者がいなかったのだ。それこそ、顔を合わせたこともない、獄中のひとでなしを訪ねる程度には。

 アレクシアは、一瞬だけ弱気を滲ませたことに自分でも気づいているのだろう。顔をあげて「ただ」と明るい声を出す。

「叔父さまがこれほど気さくな人だとは思わなかったがな」

「そうかな? 親しみやすさを第一に生きてきたつもりだったのだけどね」

 なお、その『親しみやすさ』が紛い物なのだ、と友は酷評したものだったが、今となってはそれも遠い昔の話だ。果たして今も全てが紛い物なのかどうか、教えてくれる友はここにはいない。

 唯一、今の私がわかることといえば。

「どうして、叔父さまがあんな事件を起こしたのか不思議に思うよ」

 という、アレクシアの率直な評価くらいだ。

 その言葉には、私は何も答えることができない。曖昧に笑うことだけが、今の私にできる全てだ。……語ったところで誰にも理解されないだろうし、私自身、それが説明になるとも思っていなかったから。

 アレクシアは敏い少女であったから、私の曖昧な笑みで十分察してくれたらしい。

「いや、叔父さまの話はよしておこうか」

 軽く首を振って話を打ち切り、改めて本題を切り出す。

「とにかく。叔父さまの仮定を全て聞かせてほしい。それが本当の答えでなくとも、……わたしは、叔父さまがどんな答えを出すのかが、知りたい」

 アレクシアの言葉はどこまでも真っ直ぐで、背中がくすぐったくなる。言ってしまえば、かつて、友を前にしていた時の感覚とよく似ていて、笑い出したくなる。このむず痒いような、喉の奥がいがらっぽくなるような感覚につける名前を私は知らないのだけれど、きっと笑いたかったのだと思う。

 ただ、アレクシアの前で笑い出すのは何かが違うと思ったので、何とか表情を取り繕って、丸まりかけていた背筋を伸ばす。

「ではね、私の仮定を話すけれど」

 アレクシアの表情が目に見えて強張るのを見つめながら、私は言う。

 

「これは果たして『殺人事件』なのかな」

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