第10巻 吹く風を

 敵探しを行うは良いものの、5人は全く手がかりが掴めずにいた。いつしか持ち手が尽き始め、皆は日常を必死に生きる毎日に逆戻りしていた。


 葵も縁側から見える草花をじっと見つめながら毎日を過ごした。葵の新しい黄色の袿は、庭の菜の花とよく生えて、美しかった。


 このまま、美しいものを眺め、和歌を歌いながら暮らすのも悪くないな、と葵は思いさえもした。


 元の世界に戻れば、また熾烈な、スクールカーストの牽制の仕合が待っている。そのあとは受験、そのあとは就活。終わりの見えない競争をし続けるよりは、今の暮らしの方がずっと幸せなんじゃないだろうか。


 一方で、最近、先帝金山の御渡りは少なくなってきたことに、葵自身も気づいていた。きっと帝はどこか別のところに女を作り、そちらにご執心なのであろう、と葵は思った。はて、誰のところだろうか。


 一方で、一の宮、藤本ゆうひは力を増していた。夜になると決まって関白がやってくる。関白は、現帝の摂政。藤本もその乳母として、権勢を振るった。皇太后の館が寂しくなる一方で、ゆうひの部屋は華やかになっていった。


 葵は浅見を呼び出した。


「元中宮、野本ゆうこに仕えて監視し、行動を逐一報告してくださりませんか」と葵は言った。

「かしこまりました」

 浅見はそういうと、部屋を出ていった。


 縁側からぼんやりと中庭を眺めていると、藤本ゆうひが珍しく葵の館を訪ねてきた。


「新しい女官、折糸が、入ったのですね」とゆうひは言った。


「ええ、最近志願してまいりまして」と葵。


「志願ですか。志願の者には気をつけられたほうがよろしいですよ」


「一の宮さん、あなたも人のことは言えますまい。浅見はあなたの息がかかっているでしょう。悠生様に何を吹き込んだのか知りませんが、たった今、暇を出したところです」


「あら、お気づきでしたか。皇太后の宮様には、叶いませぬな」とゆうひは言うと、辺りを見渡して、葵に耳打ちするように言った。


「今宵は金山様は御渡りになられますか?」とゆうひ。

「いいえ」と葵は言った。


 皆が寝静まった夜。葵の寝所に、ゆうひと、まあやがやってきた。寝所は二重扉になっており、その間に人1人は入れるスペースがある。そこに仕えの女官がおり、いつでも世話をすることができるようになっていた。しかし、今日に限って、葵は仕えの女官を下がらせた。


「黒幕の手がかりは掴めた?」とゆうひは言った。


「何も」と葵。


「私も何も」とまあや。


「とりあえず、私と葵が仲良いとバレたらまずい。だって、私たち、高校の頃そんなに話したことなかった。急に親しくなるのは変」とゆうひは言った。


「そうだからこの作戦を始めたのよ。あえて突然仲違いしたふりをして揺さぶる。あえて金山悠生と葵を遠ざける」とまあや。「なぜなら、そうすれば、敵が何か手を打ち始めると思ったから。動いた方は痕跡を残す。動いた方は負ける!」


 そういうとまあやは扉をガッと開いた。そこには、縄で縛られ気絶した折糸と、その縄をしっかりと持った長谷部がいた。


「まあやの言う通りだったな」と長谷部は言った。


「でしょ?でも長谷部のおかげ。長谷部が、『金山が自分を拒否する葵のことを疑い始めた。真実を思い出し、元の世界に戻さんと画策しているのではないか』って言っていたという情報をくれなかったら、この作戦は思いつかなかった。私たちは金山に勘繰られないよう、浅見を介して、葵の悪い風評を流し、金山が距離を取らざるを得ない状況を作り出した。藤本との対立の演出もできて一石二鳥」


 まあやは作戦成功にハイテンションになっているようで、饒舌に作戦を再確認するように話した。


「案の定、新たな間者として、折糸を送り込んできたわね。折糸が誰と親しかったか探りましょう。そうすれば黒幕は絞れる」とゆうひは言った。


 折糸を地下の一角の、誰にもバレない場所に拘束すると、その日は解散した。


 次の日の朝、葵が朝食を食べていると、二位尼様がものすごい剣幕で走り込んできた。


「どうなさいました、二位尼様」と葵は言った。


「お、お人払いを」


 二位尼様の息は上がっていた。皆が下がると、胸にしまってあった文と、両端が縛ってある包みを取り出した。


 葵は文を読んだ。ぼたんより、と書かれている。二位尼様の姉君だ。内容は特に、ただ様子を伺うものであり、不審な点などどこにもなかった。


「これが?」と葵は言った。


「これは武蔵野より早馬で届いたものです。わかりませぬか?武蔵野が我々東野と西丘を攻めてくるのです」


 そういうと、包みを葵に差し出した。


「両端が縛られ、包みの中には小豆が入っている。武蔵野のものたちは既に小豆坂にいるのでしょう。つまり、我らは京の軍勢と挟み撃ち、ということです」と二位尼様は言った。


「攻めてくる?」

あまりに突然、それもその兆しさえもなかったため、葵は戸惑った。しかし、ただごとではない、という尼様の表情が、攻めてくる、という情報が真実のように思わさせた。


「わかりました。私は、小豆坂に間者を放って様子を見させに行きます。それから、帝にも、この文のこと、お伝えしましょう。尼様、東野に行き、お伝えをお願いできますか?尼様が帰り次第、我々は万が一に備えて、今後の動き方の策を練りましょう。攻めてくると言うのが事実とわかるまで、他言無用です」


「はい」


 そういうと、尼様は急いで部屋へと帰っていった。


 そこへ、野本の元へ放った間者の浅見が、葵の元を訪ねてきた。

「野本ゆうこのことですが、最近、武蔵野の国に向けて文を送っておりました」と浅見は耳打ちした。


 ゆうこちゃんは確か、京都の大学を目指していたはず。だから単純に、今後の武蔵野進出を目指して、コネクションづくりに手紙を送っていたわけではあるまい。


「わかりました、浅見。私は、野本ゆうこの元へ行きます」


 そういうと、とある文をしたためて、野本のいる尼寺を訪れた。


 尼寺は簡素で静かだった。


 風がふっと吹いたかと思うと、ゆうこが掃いていた落ち葉を巻き上げた。


 野本は忍んできた葵に気がつくと、驚いた顔をした。


「どうぞ中へ」


 野本は葵を寺の中へと案内した。

 葵は人払いをし、野本と2人きりになった。


「皇太后様をこのような狭い寺に……」と下座の野本は言った。


「ゆうこちゃん」と葵はつぶやいた。


「!?」


「やっぱり」一か八か、葵は野本ゆうこに鎌をかけたのだ。「ゆうこちゃん、あなたも思い出したのね」


 ゆうこは胸元に隠していた短刀を取り出すと、葵に向けた。


「待って、私たちは味方かも知れない。私はこの世界を終わらせ、元に戻したいと思っている」


 ゆうこは、はっと、言って泣き出すと、震える手を押さえられず、短刀をその場に落とした。葵は短刀を拾い上げた。


「葵ちゃん、私は真実に気がついたものは私1人だと思っていた。だから、西丘を去った。突然中宮になったあなたが、この世界を作り出した黒幕だと思っていた」


「大丈夫。私はあなたの味方。もう怖くない。あなたは安全な場所にいる。だから、教えて、武蔵野は攻めてくるのね?それは、真実をあなたが武蔵野に伝えたからね?」


 ゆうこは震えながら頷いた。


「武蔵野の軍のトップと話がしたい。同じ志なら手を組みたいの。間を持ってくれる?」


「もちろんですとも」ゆうこはそういうと、泣き崩れた。

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