第4巻 つゆと消ゆとも

*セルフレイティング対象となります。

 

 葵は東野まで連れていかれた。気の遠くなるような時間だった。道中、東野の役人は一言も話しかけることはなかった。髪は乱れて顔にかかり、細かな息遣いはあたりを白く染める。葵は寒さに震えたまま、到着することを待つことしかできなかった。


 到着した場所は、東野といえども、御所とは遠く離れたところだった。葵は一度も来たことがない場所である。葵は引き立てられると、早速、尋問がはじまった。


「謀反を認めよ」


 葵が問われたのはそればかりだった。誰かを呪った、ではなく、謀反をした、という言い方に違和感を覚えた。葵は何かの陰謀が働いていることを察したが、同時にもうどうしようもないことであることも理解した。


「いいえ」


 葵がそう答えるたびに、鞭を振るわれた。


「うっ」葵は苦しそうにうめき声をあげた。鞭を持ってこちらをにらんでいる青年は、不謹慎にもとても整った顔立ちをしていると感じた。降り積もった雪が光を反射し、青年を照らす。ああ、もしかしたら私は帝をお慕いしてはいないのではないか、と、自分自身に半信半疑になった。


「認めよ」


 何度か押し問答が続いた後に、拷問は鞭から抱き石へと変わった。

 葵が否定をするたびに、重さのある大きな石を正座の葵のふとももへと乗せた。はじめは我慢していたものの、だんだんと葵は苦しい表情を隠せなくなり、汗が大量に出てきた。


「謀反をしたな」

「い、いいえ」

 葵は苦悶の様相を浮かべた。東の方角がうすら紫色となり、暗闇を終わらせようとしている。

「そこまでにしたらいかがでしょうか」顔の良い青年は言った。

「なんだと?」

「もう夜更けです。続きは明日でよろしいのでは」

 顔の良い青年は、まるで仏のように鎮座していた。上官は、うむ、というと青年に目配せをした。次の瞬間、青年は鬼のような形相を見せると、葵を乱暴に立たせ、土牢へと引き立てていき、牢の中へと放り込んだ。


 葵は牢の中で泣いていた。どこで何を間違えたのか、これなら勉学などできず、髪結のままでいた方がずっとよかった。そして、そして、帝は何を……。


「助けて」と心の中で叫んだ。


 こうした日が何日も続いた。感覚もなくなり、葵にとっては途方もなく、ただ物理的時間の流れない永久の時のように思えた。だんだんと意識が朦朧としてきたが、帝に対する謀反の心などない、その思いだけをしっかりと腹にすえ、忘れることはなかった。


 もしこのまま、不利な証拠をつきつけられ、有罪となってしまったらどうなるのだろう。葵は死罪、家族も無事ではいられまい。浅見や赤石にも迷惑をかける。


 寒い牢の中で震えるような毎日を過ごした。そして、拷問ではそれに追い打ちをかけるように冷水をかけられた。


 ある日の夜、ふと牢獄の中で目を覚ますと、多くの兵に取り囲まれたいた。

「やめといた方が」

「罪人だから別にいいだろ」

 男性の声が聞こえたかと思うと、兵たちは葵の体に突然触れてきた。

「やめて!」

 葵が抵抗すればするほど、扱いは乱暴になり、至る所へと指を伸ばした。一瞬で、衣服は剥ぎ取られ、葵もついには力尽き、目から涙を流すことしかできなかった。一人の兵が葵を犯そうとしたその時である。


「やめよ!」


 そう叫んで牢の向こうから走ってきたのはあの顔の良い青年だった。


「おそれおおくも帝の妃なるぞ!」

「謀反人だろ」と男は反発していった。

「まだ刑は確定しておらぬ。このものらを引き立てよ!」

 

 葵を襲った男たちは、青年の引き連れた兵にどこかへと連れてこられた。震える葵を青年は冷たい視線で見た。

「既成事実を作られず運が良いことです」と青年は言うと、家臣の兵に、葵に服を着せるよう命じ去って行った。


 次の日、葵は昨夜のことが忘れられず、拷問の間へと引き立てられても震えることしかできなかった。

「謀反をしたな」

「……」

 

 拷問官はまるで昨夜の事件を知らぬかのように、詫びの一言もなかった。


「答えぬということは、謀反の事実があったということだな」

「い、いいえ」

 

 葵はか細い声をしぼりだした。


「拷問を変えよう。服を脱がせろ」

 

 葵は驚いた顔で拷問官を見た。拷問官はにやりと笑った。


「承知」顔の良い青年はそういうと、表情1つ変えずに、葵に近づくと、その身ぐるみを乱暴に剥がした。なれた手つきだった。葵はただ絶望し、身を任せることしかできなかった。


 諦めかけたその時、遠くからしぶい声が聞こえてきた。


「やーめーよ」しぶい声の男性は、直衣を着ていた。相当身分が高いを見受けられる。そのゆっくりな言葉遣いは、どこかで聞いたことのある響きだった。


「右大臣様!」


 上官はうろたえた顔をした。青年もその場にひれ伏した。


「このような場に右大臣様がこられては……」上官は震える声で言った。


 右大臣は尺を顔元へと近づけると、ふふふ、と上品に笑った。

「帝に感づかれましたぞ。今回のことにたいそうお怒りです。妃をすぐに解放された方が身のためですぞ」


 葵は涙を流す気力さえも残っていなかった。顔の良い青年が、葵の縄をほどきながら、昔のことを思い出した。


 寺子屋の時。葵は金山悠生のことが好きだった。しかし、男というものは、賢い女を好かぬもの、と両親に言われて育ったため、金山と結ばれることを半ば諦めていた。それに加え、金山が東野を目指していることを知った。東野は女人禁制。西丘に入り、御髪下ろしに選ばれるしかない。しかし、そうなれるのはほんの一握り。葵は金山を諦める以外の選択肢を持てなかった。


 その後、葵も勉学に身が入るようになり、金山と結ばれるためではなく、自分のために、自然と西丘の女官を目指すようになった。


 その経緯を右大臣東雲は知っていた。東雲も、葵、金山と同じ寺子屋の出身だったのだ。東雲は寺子屋当時からたいそうの女好きで知られていた。同時に、男女のことは殊更に詳しかった。

 そのため、金山からも、葵からも相談を受けていたのだ。そんな、二人が結ばれたことを一番に喜んでいたのは東雲だった。

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