とある被験体の計画

 部屋の中は快適だ。危ないことは何もないし、大きい下僕が決まった時間にちゃんと食べ物を貢いでくる。下僕の1人に捕まって、自由に動けなくなった仲間もいたし、連れ出されて帰ってこない仲間もいたけど、それはぼくじゃないからどうでも良い。

 たまに檻の外でいじくり回されるけど、別にそれもどうだって良い。最初は嫌だったけど、最後には部屋に戻れるし、食べ物もあるから気にしなくなった。イラッとしたら下僕を蹴っ飛ばしたり、ちょいと引っ掻いてやれば良い。すぐ部屋に戻れるもの。

 頭に尻尾のついてる下僕はちょっと気持ち悪いって思うけど。

 下僕の目的がなんなのかぼくにはわからなかった。でもどうだって良い。下僕は下僕だし、ぼくは今日も生きてる。それ以上何がある?

 ……そう思ってたんだ。

 その日、下僕達がいつにも増して元気がないように見えた。あんなにぐにゃぐにゃしてるところなんて見たことなかったから。こちらを少し見て、うつむいて、部屋の中をウロウロしているなんて見た事なかったから。

 ぼくは、彼らの言葉の意味はわからない。ただ、ぼくらはどうやら危ない状況になっているらしい、それだけは獣の勘でわかった。

「な、お前何か知ってるか?」

 さっきまで部屋の外に連れ出されていた黒いやつに聞いてみる。

「知らねぇよ、寝てたんだから」

 背骨を伸ばしながらあくびをしたそいつ──年長のクロは不機嫌そうに真っ黒な尻尾を強く振り払った。

「……ただまぁ」

 クロは耳を下げてポツリと呟いた。

「“処分”の可能性は考えた方がいいんだろうな」

「しょぶん……?」

「ここに帰って来られないってことさ」

「それは困るね。食べ物も寝床も無いなんてあり得ないよ」

 あまりに悲しさに耳もしっぽも下がっちゃうじゃないか。

 クロはなんだか呆れた目をしていたけど、何か間違った事ぼく言ったかな?

「ね、処分って本当?」

 横から話に入って来たのは顔の右が黒で左が茶色のやつだった。みんなには「ハンブン」って呼ばれてるそいつが不安そうに鼻をぺろりとなめる。

「かも、って話さ」

「外知らない。怖いよ」

 ハンブンが座り込んで尻尾をきゅっと体に巻きつける。

「怖いの嫌い。グレーは怖くないの?」

 グレーの返事が無いので周りをキョロキョロ見回してみる。いつの間にかみんながゆるやかに集まってきたけど、この中にグレーはいない。

 先をうながすようにハンブンに「ねぇ」と言われて気がついた。ああそうだ、グレーはぼくか。今いる灰色のやつはぼくだけだったか。

「うーんとね、怖いって言うよりなんて言うのかな……高いところでいきなり足を踏み外した気分」

「それを怖いって言うんだよぅ」

 耳を横に倒して震えるハンブン。

 怖いのとなんか違う気がするけど、他の言葉がぼくも思いつかない。だからこれは「怖い」って事なんだと納得する。

「それなら、私達で出ればいいんじゃないかしら?」

 尻尾をピンと立てたおもちゃネズミみたいな柄の茶色いやつが言う。

「自力で外に出れば、危ないところに行かずにすむんじゃない?」

「どういう事だ?」

 クロに聞き返されたネズミはひげをピンとさせて話した。

「下僕たちに動きを抑えられた状態だと、もし危険を感じても逃げられないでしょ?自力で外に出て、自分で進む方向を決めれば生き残る可能性がずっと高くなると思うの」

 頷きかけたクロがぼくの方をチラッと見て顎をさす。

「ネズミ、そこのグレーの坊主にもわかるように言ってやんな」

「自力でこの部屋を出た方が安全って話よ」

 あーなるほど。面白いアイデアだとぼくも思う、けど……

「ネズミは外に何があるのか知ってのか?」

「たくさん食料があるんでしょ?水も寝床も、ここより何だってたくさんあるはずよ」

「根拠はあんのか」

「下僕たちが持ってくる食料はどこから来るの?外でしょう?クロだって知ってるはずよ」

 ネズミに言い返されたクロは1回あくびをして、宙を見つめてから「なるほどな」と呟いた。

 でも、今の説明で納得できるやつなんてクロとボスくらいしかいないんじゃないか?

「外行きたくないよ。ここにいたい」

 縮こまったハンブンがヒゲをほっぺに貼り付けて弱々しく言う。

「この部屋の外になんて出たくない」

 見回すと他の仲間もちらほら尻尾が下がって耳が横に倒れている。

「死に、たくない……」

 震えるハンブンの声。

 ぼくらは知らない場所に恐怖を感じる生物。この部屋とたまに下僕に連れて行かれる部屋の2つしか知らないのに、その外へ行くなんて無理だ。

「ここにいても処分されるだけなのよ、ハンブン。外の方が食料も水もたくさんあるの」

「イヤ、外なんてイヤ……!」

 ネズミに頭を毛づくろいされても、ハンブンは伏せた顔を上げようともしない。

「“しょぶん”ってやつも確定じゃないんだろ、ギリギリまでここにいれば良いじゃないか」

 あまりにもハンブンが嫌がってるのが見ていられなくてぼくも口を挟んだが、「下僕たちがいつまでもここにいるとは限らないわ」と即座にネズミに捨てられてしまった。

 仕方ないので一歩引いて様子見する事にする。

「今いる場所の安定が悪いなら、移動しなくちゃ」

 ネズミの真っ直ぐで少し怒ったようにも思える視線に射抜かれたみんなのヒゲは前のめりになっていた。

「外は怖いけど、自分でどこに行くかは決めたいね」

「連中、何考えてんのかわかりゃしねぇもんな」

「外なら食料があるんだって」

「自由は自分で決めることだよ」

 あれこれ言ってたネズミもクロもみんなの視線もいっぺんに絡まって──ひとつ頷いた。

「決まったのか」

 ぼくらのボス、大柄な白黒のカゲがのそりとタワーの上から降りてくる。

「あぁ」

 クロがカゲを見上げる。

「ここを出る事で意見一致だな?」

 尻尾でぱたりと床を叩いて全員が肯定する。耳だけむけていたやつも同じように尻尾で床を叩いた。いや、ハンブンは途中から穴倉の奥に引きこもったからここにいないけど。

「ネズミ、策はあるのか?」

「えぇ」

 ヒゲをピンとさせたネズミが一歩踏み出してカゲに答える。

「明かりが薄暗くなった頃に、下僕が耳をピッしに来るでしょ?その時にドアが開いたら全力でみんなで走れば良いと思うの」

 走るだけ?それなら簡単じゃないか。というかそれじゃぁ普通に捕まりそう?

「今までの経験則では、下僕たちは私たちの素早さに追いつくことはできないの。部屋から出たあとは、とにかく走ればなんとかなるわ!」

 言い切るネズミだがみんなの尻尾が少し下がりかけている。

「ねぇネズミ姐さん、もし連中に捕まったらどうするの?」

 おチビのやつが頭をネズミにこすりつけながら恐る恐る聞く。

「大丈夫。下僕の数は少ないのよ?捕まるとしても大体は必ず外に出られるわ」

 ネズミもおチビを毛づくろいしながら答える。おチビは「姐さんと一緒なら大丈夫だね!」と言ってすぐさま遊びに飛び出して行った。子供は元気なものだ。

「大丈夫、俺らにはこの牙と爪がある」

 カゲがタワーの中段からみんなを見下ろして言う。

「もし捕まってもいつも通りにすれば、なんとかなるだろう」

 重々しい響きのある言葉。見回してみるとみんなもしっぽの機嫌が良くなっている。

 カゲが言うなら、ぼくもなんだか何とかなりそうな気がして来た!


* * *


 下僕が耳をピッしに来る少し前、ぼくはハンブンの引きこもっている穴倉に顔を突っ込んでいた。

「ね、ハンブンは行かないの?」

「行くわけないでしょ!?」

 声をかけた瞬間、ハンブンからヒステリックな威嚇をお見舞いされた。

「あたしは絶対行かないから!そんな知らないところなんて行かないから!」

「みんなも行くし……」

「出てって!!」

 しのごの言う暇なく、顔面パンチを繰り出されてすぐさま退散する。

「うぅ、酷い目に遭った」

 ハンブンに殴られた顔を洗って毛並みを整える。でも、そんなに怖がることないんじゃないかとか、叩くなんて酷いとかぐずぐず考えていると毛づくろいが全然終わらない。

「よぉ」

 なんて考えていたら後ろからぬっと現れたクロに前足で小突かれた。

「グレーの坊主、ハンブンに気でもあんのか?」

「え」

「行かねぇって言ってるやつのとこ言って、わざわざ説得なんて誰がやるよ」

 そう言うクロのヒゲは前のめりに倒れていた。

「みんなで行きたいだけだよ」

 そっぽ向いて答えるとクロは「そうか」とだけ言って尻尾を振り払うように動かした。

「ピッが来るまで休んどけ」

「うん」


 クロと話せたのはこれが最後だった。

 ネズミ発案の外へ出る計画の結果は散々だったからだ。

 ピッしに来る下僕が入って来ようとしたタイミングで一斉に外へ飛び出す段階は成功した。多分、みんな出られたと思う。それから、いつもいじくりまわされる部屋もひたすら走って駆け抜けた。少なくともぼくは下僕に捕まらず走り抜けられた。ボスもネズミもクロもおチビもまだ近くにいた。

 だけど、その先の誰も行ったことのない場所で。曲がり角から現れた何か大きなものに、クロがぶつかった。跳ね飛ばされたクロの足から赤黒いものが勢いよく染み出していた。

 すぐにわかった。これは命がこぼれ落ちていく臭いだと。

「先へ行け……カゲ、しっかりやれよ」

 一瞬足を止めたボスだったが、すぐに「行くぞ」と言って先へ走って行く。ぼくもクロを置いて一緒に走り出した……でも、気が付いたら誰ともはぐれて、1人で暗いすみっこで震えていた。できるだけ体勢を低くして、耳で情報を集めて、でも尻尾は体に巻きつけて守って。

 たまに遠くで仲間が叫び声を上げるのが聞こえた。「放せ!」「苦しいよぅ」「やめてくれ」「ふざけるな!」「怖い」……そして一緒にただよって来る臭いは命がこぼれ落ちる臭いだった。

 下僕の走り回る音が聞こえる。扉が乱暴に開け閉めされる音もする。

 クロみたいにぼくも倒れるのかもしれない。

 遠くで叫んでる仲間みたいに、知らない誰かに苦しくされるのかもしれない。

 ここでじっとしていても、いつか下僕に捕まるかもしれない。

 怖い。お願い、誰か助けて。

 怖い。お願いだから誰も来ないで。

 心細い。隣誰もいなくて、ひとりぼっちは怖いよ。

「みんな!ここなら外へ行けるぞ!」

 ボスの声が聞こえて来た事もあった。でもすぐさま「──いや、来るなっ!」と言うか言わないか、ボスの物音は全て消えた。何があったのかさっぱり見当もつかない。わからないけど胸の下がすっと冷たくなった。やっぱりハンブンの言う通り部屋を出なければ良かったんだ。

 それから、どれくらい経過したかはわからない。首に鋭い痛みが走ったかと思うと、意識がふわふわしてきて、下僕の誰かに首根っこをつかまれて狭苦しくて暗いところに放り込まれた。

 次に気がついた時は床が揺れていた。止まる時もあるけど、いきなりまた動くのが凄く怖かった。前触れも何もないからとにかく怖い。暴れようかと思ったけど、さっき飛び出して失敗したばかりだったからとにかく小さく丸まっている事にした。

 下僕の誰か、多分頭に尻尾のついてるやつが知らない誰かと喧嘩してる鳴き声がした。尻尾のやつがこんなに喧嘩してるなんて異常事態の中でも異常。天井が落ちてくるかもしれないし、明かりは今後戻らないかもしれない。

 少し前にネズミが「放しなさいよっ!」と怒ってわめいている声もしたし、あのおチビが「ネズミ姐さん!」って叫んでる声もした。でも今は下僕たちのキィキィした鳴き声しか聞こえない。

 異常事態だって事以外何もわからない。


 もう、何も考えたくない

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