第二話 いかなる愛をきみに

2-1

「あ。大黒、萬屋。そこのお二人さんちょっとよろしいかね」

 ホームルームを終え、それぞれ部活に行こうと思っていた千歳と和洋を担任の深沢仁ふかさわじんが呼び止めた。

 なんだろう、と思い、二人は教壇に向かっていく。

「なんですか?」と、和洋。

 仁は笑顔で答える。

「うん。お前さん方、最近北原と仲いいだろ?」

「光くんが、どうかしました?」と、ちょっと怪訝そうな顔の千歳。

「うん。風邪でもう三日も休んでいるじゃろ。だからこのぼくお手製のプリントを届けに行ってもらおうかなと」

 と、仁は数枚のプリントを二人に見せた。

「いつもの数学の小テストでーす」

「でも俺、これから部活なんですけど」

 和洋の当然の疑問に、何の問題があろうかといった態度で仁は答えた。

「それは大丈夫。杉山先生には休むって言っといたから」

「は?」

「ちなみにお料理部の野崎先生にも休むって言っといたから」

「ちょっと待ってください」

「萬屋……友達のために頑張ってくれたまえ」

「いやあの、友達っていうか……」

「え、萬屋くん、光くんのこと友達と思ってないの?」汚いものを見る目で千歳は和洋を見た。「喜ばせといて突き落とすって」

「い、いや! 友達だよ! 友達だけど!」と、和洋は慌てて弁明した。「だからってこんな。っていうかプリントって俺が休んだときはなかったじゃないですか」

「北原の成績と萬屋の成績じゃあねえ……そこそこ対応も違ってくるわけさ」

 そう言われると和洋も黙り込むしかない。確かに光は進学組の中であまり成績のいい方ではない。特に数学の出来がよくないのは最近から付き合いが始まった和洋はよく知っていた。

「ていうかプリントって……中学生じゃあるまいし」

「まあまあまあ。お前さん方もやつがいなくて寂しかっただろ。会える口実を作り上げたこのぼくに平伏したまえ」

「平伏しはしませんけど」千歳は満面の笑み。「あたしも大丈夫かなって思ってたからな。あたし届けまーす」

 満足そうに仁は微笑み、プリントを千歳に渡した。

「よかよか。じゃあ、頼むよ。ぼくは仕事終わったら恋はキュルルンを観なきゃいけないんだ。忙しいであろう」

「あんなクソドラマ……」

「なんだい萬屋。大学行きたくないのかい」

「ちょっと……」

「まあとにかく。二人で行ってきてねーん」

 そして、仁は教室から出て行った。

 プリントを手に持って嬉しそうな千歳と、なんで自分がこんな目にと言わんばかりの和洋だった。


「光くんと仲良くなったんでしょ。じゃ、いいじゃないこれぐらい」

 光に連絡し、住所を聞いたのち二人は学校を出ててくてくと歩いている。

「いや別にいいのはいいんだけどさ……でも部活だって、秋には引退するんだからちゃんと出たかったんだよな」

「友情でしょ友情」

「それはまあ、そうなんだけど……」

 千歳は和洋の方を見ず問いかけた。

「友達宣言はその場の勢い?」

 和洋はぎょっとした。

「違うよ! あいつをほっとけないと思ったから。別に北原はやなやつじゃないし。友達になってヤバいやつじゃないと思ったし、実際、そうだし」

「なんでほっとけないと思ったの?」

「それはまあ、学校中に知られちゃって……あいつがゲイだって。心配だろ。ずっと隠してたんだし」

 全校放送事件からしばらく経ち、特に光が困っている様子はない。ただ明らかにこの二年間の北原光とは違っていた。いつも埋没を心がけていた光ではなく、楽天的で陽気な少年がそこにいた。

 亜弥たちとも仲良くなり、特に翼と相性がいいようだった。腐女子の翼を若干警戒していた光だったが、やはり翼だって空気が読めない女ではない。彼女はもともとリアル志向のBLを好んでいたこともあり、創作活動のためもあり光ともっと仲良くなりたいと思っているようだった。今のところ、少なくとも自分たちのグループ内で面倒なことになっているようには見えない。校内をなんとなく見渡していても、光のことを物珍しそうな顔で見る生徒はいるものの別に攻撃をしているといった様子は見られない。

「トラブルはなさそうだけど?」

 和洋はやや頭を振った。

「本人がどう思ってるかなんてわかんないだろ。俺たちの見えないところでなにか考えてるかもしれないし、厄介なことになってるのかもしれないし」

「ずいぶん光くんに肩入れするね」

「友達だもん」と、和洋は即答した。「当然だろ」

「当然ね」

 しかし千歳には、和洋もなにか秘密を持っているのではないだろうか、と思っていた。確かに友達を危機から守ることは、少なくとも自分からすれば特段おかしなことではない。だが光と和洋はこれまで特別親しかったわけではなく、例の事件から急速に接近したという印象しか千歳は持っていない。もちろん千歳の知らないところでもともと仲が良かった可能性もないわけではないが、そんな様子も感じられない。なぜ和洋がこんなに光のためを思って尽力するのか、千歳にはよくわからなかった。

 ましてや光は和洋のことが好きなのだ。その気持ちを知って、その気持ちに応えることができないのにこんなに優しく接するのはなぜなのだろうと千歳には不思議だった。それでも拒絶がないならそれでOKだとは思ってはいたが、それにしても気になる。

「でも困ってるっていうなら俺だって困ってるけど」そこで和洋は少しため息を吐いた。

「北原、陸上部の朝練にわざわざ来るんだぜ。毎日じゃないけど」

「なにか迷惑なことでもされたの?」

「そんなんじゃないけど、校庭で俺が走ってるのじっと見てる」

「ムカつくけど、いじらしいじゃない」

「部活のやつらにもそう言われた。俺、どうしたらいいかわかんなくて、とにかく走ったんだよ。おかげで新記録が出せたからよかったけど」

「ふうん」

 千歳からすればあまり面白い話ではない。

 なんといっても光は千歳の想い人なのだ。まだ恋愛感情は消えていない。

 二年間ずっと彼のことが好きだったのだ。確かに光は自分の気持ちに応えることはない。自分が和洋の気持ちに応えることがないように、そして和洋が光の気持ちに応えることがないように。それでも好きなのだ。翼たちには「まだ好きなの?」と呆れたように言われたが、そんなに簡単な恋心ではない。それだってきっかけがきっかけだから感動が二年間続いているだけかもしれない、と客観的に自己分析をしても、それでも好きなのだ。それはどうしようもない。

 それを言うなら、いま隣にいるこの男も自分のことが好きらしい。“らしい”というのは千歳が和洋のことに興味がないからだ。それどころか昔の話とはいえ親友の亜弥を哀しませたわけだからあまりいい印象がない。だいたい好きでもなんでもない男に好きだと言われても単純に困る。性別が逆なら相手が誰であろうと女からの好意であるというだけで喜べるのかもしれなかったが千歳にはそんな男子の生態が信じられなかった。

 それでいくと、男が男に惚れられるということでその男がどういう印象や感想を抱くのかは千歳には見当もつかない。自分がレズビアンの女性に好意を抱かれたらおそらくどうしたらいいかわからなくなるだろう。それなのに和洋はそれ自体には特に困っている様子がない。やはりなにかある、と千歳が和洋に抱いている興味はただそれだけだった。

「ま。とにかく今日もミッションはこのアイテムを届けることよ」と、千歳はプリントの入ったカバンをちょっと叩いた。「光くん、具合はよくなってるかなあ」

「よくなってるといいんだけど」

 本当に素直にそう願っているらしい和洋が、やはり千歳は不思議だった。そして二人はなんとなく雑談をしながら光の住むマンションへと向かっていく。

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