「サラァ、用意できたかァ」

 兄が廊下から声をかければ、ややして妹がシャッと障子を開いて姿を見せた。

「どう」

「山吹のにしたのか。昨日は桃色のにするって言ってたのに」

「よく考えたら、桃色じゃあ梅の色に紛れてしまうと思って。おかしいかしら」

 サラは山吹色の着物に橙色の帯をして、結い上げた黒髪に桃の花の簪を飾っている。いつもより、口元に差した紅の色も濃い。

「おかしかないよ。でも、桃がいけないなら、空色とか藤色のほうが似合う気もする」

「それじゃあ、あなたと被ってしまうじゃないの」

「いいじゃん、揃いで」

「変よ」

 キラは藤色の半着と羽織に紺の袴で、珍しく前髪も後ろの方にやっている。いつもは長めの髪が顔に少しばかり掛かっているので、清々としたようでもあり、落ち着かない様子でもある。

「顔がスッキリと出ていると、なんだか幼く見えるわね」

「えぇッ。大人っぽく見えると思ったのに」

「だって、わたしと似てるってことは、女顔ってことでしょう。童顔なのよ」

「おれが女顔なら、お前はちょっと男顔なんじゃないの」

「着物、交換してみますか」

「いらないよ。ねえ、もう行こう。二人で外出なんて、滅多にないんだから」

「待ってよ。この着物で、本当にいいかしら」

「いいよ。ちゃんと似合ってるよ。ただ、桃色を着ているほうが、可愛らしくて好きだな、ってだけさ」

「それじゃあ、やっぱり桃色のにするわ」

「はいよ。気が済むまで着替えたらいいよ」

 屋敷を出るのに、もうしばらく掛かると踏んだキラは、隣の部屋で茶を飲んで待つことにした。


「本当に、満開なのね」

 根元の白雪の名残をとかした梅の樹木が、長くまっすぐに伸びる道を、挟んで立ち並ぶ。薄雲さえも晴れた快い空色に、紅梅色が映える。左手側には堀。静かな水面みなもに、梅樹の姿が、陽光のきらめきのあいまに映り込む。

「思ったより、人が多くなくてよかった。正月なんか、身動きが取れなかったし、人ごみに押されて、おまえがどこかに行っちまいそうになったから」

「少しくらいはぐれても、あなたの頭は目印になるから、ちょうどいいわ」

「大勢の中に混ざると、思うよ。みんな、小せェなァ、って」

「あなたが大きいのでしょうに」

「いや、分かっているけれど。そう思うってだけだよ」

「お祭りの会場の方は、きっと混んでいるでしょうね」

「そうさな。ここは外れのほうだし。静かでいいけれど、どうする」

「わたし、梅酒が飲みたいのよね。砂糖漬けも食べたい」

「じゃあ、会場のほうに行かないとな。やしろの近くの、あの広いところだろうよね」

 この土地を栄えさせた、スクナ。スクナ医館の創始者であり、双子の祖先とされるかの者は、今や街の守り神として祀られている。街の西方に建てられた、スクナの大社おおやしろ。その荘厳さと、隣接する広大な公園で度々開催される祭りは、スクナという存在がいかに街人らから尊敬され、愛されているかを、示す。

 山の斜面を削りだした高台に建てられた、立派な大社の姿が、花咲く梅枝のはざまにちらつく頃、囃子の笛と、太鼓と、鈴と、摺鉦すりがねと、古い唄の朗唱が、双子のもとへ流れてきた。舞や踊りが、スクナへ奉納されている。

「ご先祖さま、楽しんでいるのかしら」

「サァ。眠いところにドンチャンやられて、うるせぇなァ、って思ってるかもよ」

「そんなひどい人じゃ、ないでしょう」

「おれのご先祖だし、ひねくれてるんじゃないか」

「わたしのご先祖だもの。慕われたら素直に嬉しく思うでしょう」

 梅の並木道を、ゆったりと歩み進む。風は冷たいが、陽の光はぬくい。若干の肌寒さがあっても、動いてさえいれば、凍えはしない。

 たわいもないことを言い合いながら、仕事から離れた久々の外界を楽しむ。ゆったりと流れる時間のなか。

(こんな穏やかなときが、続けばいいのに)

 サラは、彼女の歩幅にあわせて並び歩くキラの横顔を、チラと見上げる。昨年は見過ごした、梅に彩られた見事な景色。その美しさも背景に、長身の青年は、色と、香りと、空気などといったものを、味わっている様子だが。

(なにを想っているのかしら)

 女顔だ、童顔だ、などとからかってはみても、兄は誰もが眼を惹かれるような美男で、彼とほとんど同じ顔立ちをしたサラでさえも、やはり見惚れ、美男であると、そのように感じる。否、おそらく、この世の誰よりも、そのように感じている。

(わたしを狂わせたのは、この人だもの)

 サラは、兄の藤色の羽織の袖を、そっと摘んだ。それに気づいたキラは、咎めるでもなく、からかうでもなく、ただその表情を緩ませて妹を一瞥し、また梅花の方へと顔を向けた。

 人の多い祭り会場にたどり着くまで、サラはキラの袖端そでばたに触れていた。

(いっそ、埋もれるほどの人ごみだったら、絡みついてしまえるのに)


「これって、清酒かい。それとも焼酎かな」

「焼酎だよ」

 街の酒屋が開いている出店は、よく繁盛しているようだった。昨年採れた梅の実をつけ込んだ酒は、花見の供になる。

「焼酎で、温かいんだ」

「冷えたのをじっと座って飲んでたんじゃあ、凍えちまうでしょう」

「酒好きはそうなんだろうな。どうする、サラ。おまえ、どのくらい飲むつもりなんだ」

「三合くらい」

「そんなに飲むの。焼酎だよ。おれは五勺ます一杯も飲んだら、たぶん充分だなァ」

「三合と、五勺ね。足りなきゃ、また買いにきなよ」

 酒屋の主人は大小の桧枡を用意して、湯煎された酒瓶の中身を移し替えた。

「足りてほしいな。あ、おれの方はもっと少なめにしてくれ」

 双子は代金を置いて、それぞれの枡を受け取った。温い酒を手持ちながら、あたりを見渡して、居心地のよさそうな場所を探す。

「向こうの石段のところ、人がいない」

 サラが指し示した方に、キラは目をやって、頷いた。二人は賑わいのなかをすり抜けて、目的の場所に向かう。その途中で、キラが「アッ」と立ち止まった。

「青梅の汁が売ってるや。ねえ、先に行っててくれよ。それで、おれの分は少し冷ましておいてくれ。おまえは飲んで待ってな。ちょっと買ってくる」

「わかった」

 サラはキラの五勺枡を受け取って、賑わいから少しばかり距離をおいた石段の方へと歩いていった。


「やあ。青梅の汁、売ってくれ」

「おや、スクナさんのところの兄さんじゃない。元気そうだね」

 先客に梅の羊羹を渡す菓子屋の女将が、キラの姿にハリの良い頬をほころばせた。

「おかげさまでね。早咲きのって、もう実をつけてるんだ」

「いや、今年は特別だね。年末に、花が咲いちまったからさ。まだカチカチのかたい実を、むりやり絞って出した汁だから、舐めたら跳ぶほど酸っぱいよ」

「だろうね。マ、飲むわけじゃないから、あまり関係ないかな。三本くれ」

「ねえ、砂糖漬け食っていかないか。今年のはことさら美味く作れたと思うんだ」

「でかい実だな。スモモみたいだ。しかしおれァ、これから酒を飲むからなァ。あんまり酔いを回したくない」

あんさん、酒弱いの」

「どうもね。成人した頃はそれなりだったんだが、去年から悪酔いしやすくなっちまった。妹のほうが強いよ。そうだ、あいつ、砂糖漬けが食いたいって言ってたっけ。一つだけくれ」

「ありゃあ、そうなのかい。気をつけてね。はいよ、一番でっかいのをあげるよ」

「ありがとよ」

 青梅の汁が入った小瓶を三つ、袖の中に入れ、筍の皮に包まれた梅の砂糖漬けを持って、キラは示した場所で待っているはずの、妹の姿を探した。

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