「はァ、今日も働いたな。ご苦労さん、サラ」

「お疲れ様、キラ」

 最後の患者を見送り、門を閉めるころには、あたりは薄暗くなっていた。幾分日の沈むのは遅れてきたが、まだ一日は短い。

「結局、三人来なかったな」

「二人は、お身内の方がいらっしゃったから、そのままお薬をお渡ししたけれど」

「仕方ないが、できればちゃんと状態を確認したいよね。本人や家族が、変わりない、と思っていても、存外そうでなかったりもするし」

「もう一人の方は、やはり一過性の風邪だったのかしら」

「たぶん、そうだろうね。すっかり落ち着いちまったんなら、来る必要もない」

「三人分の診察時間が浮いたけれど、四人も新しい人が来たら、結局この時間になるのよね」

「まァ、みんな、軽い風邪みたいだったから。これで、良くならなかったり、悪くなったりするようなら、もっと詳しく視ていく必要があるけれども。夕飯、どうする」

「私が作ります。あなたは座って、帳面をまとめておいてくださいな。随分と足腰が疲れているようだから」

「そいつは助かるや。風呂はどうしたらいいんだ」

「温まりたいけれど、疲れているならいいわ」

「いや、疲れているからこそ、おれも温めたい。べつに、骨や筋を痛めちまったわけでもないし。それじゃあ、飯食ってから、ぬるくさせるか。一緒に入っちまっていいんだよな」

「別じゃあ、また冷ますのが大変じゃない」

「効率的でいてくれるのは、とても助かるよ」

 さっぱりとした様子で言うサラに、キラは緩みそうになる口元を揉んで誤魔化した。

「助かるんだけど、おまえ、そろそろ羞恥心ってのはないのかい」

 厨へ向かおうとする後ろ姿に、軽く声をかければ、サラの肩がピクリとしてこわばった。

「ばか」

 わずかばかり震える声で、振り向きもせずに呟いて、サラは速歩はやあしで行ってしまう。まるで逃げるようにして。

 キラはその場にとどまって、緩む口元をいじりながら、離れていく妹の姿を見守った。

(意地が悪かったかな。でも、ああもスンとされると、からかいたくもなるってもんだ)

 キラは「うぅん」と鼻の奥を鳴らしながら、背伸びをした。何番目かの胸椎骨の間がパキリと鳴る。

「さぁて、まだ、ふた仕事も残ってらァ。へばってらんねェぜ」

 腰を捻って背骨の関節をパキリ、パキリと鳴らしながら、キラはまた仕事部屋へと戻った。


 この街には、医者が多い。薬の需要があるために、生薬売りが大箱を背負って、定期的に訪ねてくる。自ずから市場に出向かずとも、質の良い原料が手に入る。

 診療のために使用している一部屋の奥に、生薬の保管場所がある。丈幅それぞれ二尺もある巨大な黒壇の箪笥には、細かな仕切りが誂えられ、処方薬を調合するのに使用する、基本的な生薬が仕舞ってある。それらが切らされることのないよう、日々在庫の確認を怠らない。

(マオウの消費が多いな。あとは、シャクヤクと、カンゾウと。まァ、いつもの顔ぶれだ。ニンジンも補充しておくか。それと、ケイヒ、カンキョウ、ショウキョウ、カッコンあたりも、これからの時期はよく使うからな)

 引き出しを開け、在庫を確認し、次の引き出しの中を確認し、都度帳面に書き記していく。予定では、明日に生薬売りがやってくる。生薬売りは調合された薬も扱ってはいるが、患者の体質や状態を見極め、生薬の比率を絶妙に変えるとなると、薬の素を買い付けたほうがよい。

 薬師と医者という職が分かれ始めて久しい。薬剤の調合を一からこなすことのできる医者は、少なくなってきた。

 スクナの先祖が遺していった知識は、膨大な書物として屋敷の奥に並んでいる。それらの内容すべてが、兄妹の頭の中に入っているわけではない。そのようになるためには、二人はあまりにも若すぎる。

 しかしながら、スクナ、と呼ばれる家系に蓄積された、膨大な情報を頼る病人はなおも多く、若い薬師でもあり、また医師でもある双子の兄妹は、やってくる者たちの期待に応えるべく、日々仕事をこなしながら研鑽に励み続けているのだ。

「キラ、もう夕食を並べてしまってもいいかしら」

「ああ、ちょうど終わった。行こうか」

 客が帰っても仕事はある。それらをちょうど終わらせたとき、サラが出汁の香りを纏わせてキラを呼びに来た。


 北の谷から噴き上がる間欠泉は、街中に張り巡らされた水路を通り、各々の湯屋へと引かれる。

 スクナの館は、今でこそ客人に薬湯を提供することはないが、かつて人手が溢れていた頃は、そちらの管理も行っていた。

 伝承によれば、最も早くに湯治のための入浴場を整備したのは、このスクナの館であったようで、その後に定住者が増え、街として栄えていったとのことである。

 客人に提供することがなくなっても、館の風呂場には常に温泉が引かれ続けている。沸騰させた井戸水の温度を、優に上回る高温の源泉である。長い水路を流れ空気に晒されているうちに、入浴に適した温度となるよう仕組まれているが、谷からさほど離れていないこの館に届く時点では、まだ十分な適温にはなっていない。

 であるから、毎度湯もみをする必要があるわけだが、重労働である。あくまで医館であって、湯屋ではないから、それほどの広さがあるわけではない。だが、一般的な民家にあるような規模でもない。そのため、源泉が流れ込む対角側の狭い範囲に限定して、念入りに湯を混ぜる。

「あぁ、ったく。朝に雪掻きして、夕に湯掻きは、しんどいってば」

 ジャブン、ジャブンと木の板で湯をひっくり返しながら、キラは文句を垂れた。

(だが、まあ、仕方ない。おれの方が、サラより力があるのは確かだし、二人適所に仕事を割り振ったら、こうなる。おかげで、座り仕事だってのに、いい具合に引き締まった体つきになっちまう。有り難いこったよ)

 物心がつく頃には、祖母との三人暮らしだった。父親がいれば、体力仕事も手分けできたのかもしれないが。とは言え、サラとて決して非力な娘というわけでもないので、時折には役割を変える日もある。

 首に張り付く長い髪は頭の上の方で丸く結び、昼間着ていたものは隣の脱衣部屋に放っておいて、下帯一枚で熱気に立ち向かい汗水を垂らす。

 踏ん張るたびに浮き上がる腿の筋、綺麗に割れ目の浮き出た、すっきりとした腹回り、背中と肩と胸は、意図して鍛えたような厚みがある。たしかに、座り仕事ばかりをしている男の体格ではない。

「そろそろ、どうだか。うぅん、大丈夫かな。もういいや」

 波打つ湯の中に足先を浸して、キラはひとり呟き結論を出す。そうして、汗と湯気ですっかり湿った褌をほどき、洗濯のためにたらいの中へと放り込んだ。

「おぉい、サラァ。もういいぞォ」

「今行きまァす」

 まだ厨にいるのか、着替えを用意しているのか。いずれにせよ、近くの部屋にはいるであろう妹に、声を張って呼びかければ、あちらも声を張って応える。

 キラは上がりきった体温を一度下げるべく、開け放った窓から、裸体を庭に晒した。


 大人六人程度ならば、脚を伸ばしてゆったりと寛げるほどの広さの浴槽。その片隅、一人分か、せいぜい二人分程度の場所で、兄妹は並び浸っていた。

 キラの褌が放り込まれている盥の中に、サラは自分の洗い物も混ぜて、手揉みする。濯いだものが、ペシャリ、と岩の上に投げられていく様子を、キラはボンヤリと眺めていた。

「そのサラシさァ、苦しくないの」

「慣れよ」

「別に、押さえなくてもいいんじゃないの。背丈あるし、不格好じゃないけど」

「裸だから、そう見えるんじゃないの。帯の上に乗るくらいならともかく、はみ出して垂れたみたいになっていたら、格好が悪い」

「そういうもんかね」

「なに。女の胸を、そんなにまじまじと見るもんじゃないでしょう」

「男の胸だって、まじまじと見ていたら変だろうよ。仕事でもねェのに。今更、互いの体を見合って、ああだ、こうだ言う仲でもないじゃないか」

「先にああだ、と言い出したの、あなたでしょう」

「そういうことじゃねえっての」

「はいはい。分かってますってば」

「はァ。ねえ、まだ入ってるのか」

「もう少し」

「おれ、先に上がるよ。布団はどうする」

「一枚でいいんじゃない」

「たぶん、お前が来る頃には寝てるよ。疲れちまった」

「どうぞ。できるだけソッと潜り込みますから」

 十分に温まり、疲弊したキラは、妹に洗濯を任せて、風呂から上がった。

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