作家と書いて強敵と読む

 2024/04/08②




 晴天だった。

 雲一つない、晴天。

 しかし、それにしても通りに人が多い。

 と、そこで気付いた。

 そうか、春か。

 学生であれば新学期、社会人であれば新入社員。

 みな初々しい姿だった。

 入学式が終わったであろう子どもたちはそれぞれが駆け回り、親に止められていた。

 新入社員であろう子たちは、そのスーツに着慣れていないのか初々しさが目立った。

 一様に向かっている先は……公園か。

 そういえば、桜の季節だ。

 別宅から駅に向かう通りには桜はない。

 ここ数日、引きこもっていた私にはまだ桜の季節はやってきていないのだった。


 そして思い出す。

 

 団子だ!!

 あの団子!!

 今日こそ、帰りに買ってやる。

 そして本宅へ帰り、妻を誘って夜桜と洒落込もう。

 うむ、それがいい。

 そうと決まれば、新人作家の彼女の悩みもとっとと解決しなければ。

 

 決まれば勇み足になるのが私。

 ほどなく喫茶店に着くと、前回同様、担当の奴と彼女を探す。

 

 いた。

 相変わらず、歳の頃のわからん娘だ。

 今日はゆるいテイストの服装だった。

 プライベートで出かけていたのだろう。申し訳ないことをした。

 髪もきっちりと巻いていて、化粧も幾分華やかに見えた。


 この前と違ったのは、彼女の顔つきだった。

 端正な狐顔は柔らかに微笑んでいた。

 そうして担当に向かって、しきりに何かを語っていた。


 なんとなく、嫌な予感がしたが、黙って席へと向かう私だった。


「待たせたね。いやはや申し訳ない」

「あ、先生!とんでもないです!」


 立ち上がって深々とお辞儀をする彼女は、笑顔だった。

 そんな彼女をまあまあと落ち着かせ、座らせる。


 タイミング良く通った店員に、コーヒーを頼む。

 そして見計らって娘は言った。


「灰皿もひとつ、お願いします!」


 今日の彼女はやけに張り切っていた。

 どうしたものか、と思案する。

 それを察したのか担当の奴がげんなりとした顔で口を開いた。


「先生、彼女の愛は本物ですよ。よっ、色男」

「や、やだ!先生の文章の話ですよ!文章!」


 肯定されても困るが、こうも必死に訂正されるのもくるものがある。

 仕方なく笑って誤魔化すが、なんとも男という生き物は馬鹿である。

 もちろん私も含めて、だ。


「何度、先生のメールの説明をされたことか……」

 

 そう言って遠い目でどこかを見る担当。


「もう!担当さんだってわかるって言ってくれたじゃないですか!」


 ……さっき語っていたのはそのことか。

 むず痒いような嬉しいような、なんとも言えない気持ちで、ごほん、と咳払いをひとつ。

 届いたコーヒーを一口飲むと、煙草に火を着けた。


 

「で、早速だが始めようか」


 私の一言で、真剣な目になる二人。

 そうだろう、そうだろう。

 そうでなければ。


 我々は、歳も性別も世代も違う。

 だが、我々はこと文章の虜なのだから。



 話し合いは三時間に及んだ。

 


 私から彼女の質問は三つ。

 この作品を通じて、何を感じ、何を思っているのか。

 この作品に込めた意図は、計画的なものなのか、自然とこの形になったのか。

 そして、何がど「書けない」のか。


 彼女が語ったのはこうだった。


 最初は人の生活を書きたかった。

 私のような繊細な情景や日常を書きたかった。

 

 ただそれには人生経験が足りなかった。

 学生のころの彼女は、引きこもっていてただひたすらに、読んでいた。

 憧れた「普通」の生活はなくて、本の中、物語の中だけが彼女の世界だった。

 だから、彼女には現実の「普通」はメディアを通して見ることしかできなかった。

 そのメディアでさえ、曖昧でいい加減で、良いところしか出してなかった。

 現実の苦悩や悲しみ、そういうことを人が乗り越えていく。

 そういうものを知りたいと思っても、彼女にとって外の世界は怖くて、飛び出せなかった。

 そんなとき、私の小説に出会った。

 そこにはひとつひとつ丁寧な暮らしがあった。

 多少、時代背景は古いが、変わらない日常の幸せがあった。

 それを読んで、自分の日常にもそういうものがあるとわかった。

 だから、私のようなものが書きたいと思った。

 ネットで私の評価を見ると、マイナーで知る人ぞ知る、というより、書店の片隅に佇んでいるような評価だった。

 読まれなければ、こんなに自分を変えてくれた本なのに、読まれないなんて。

 そう思った彼女は、なにをすれば読まれるかを研究した。

 読者層、読者の生活、掲載する場所の傾向、社会的に好まれるもの、飽きさせない展開、負担にならない書き方。


 そうして生まれたのがあの小説である。

 

 度肝を抜かれた。

 この娘は、自らの作品を自分で管理していた。

 業界の傾向を把握し、ニーズを分析して実行し、ソーシャルセリングを駆使しつつ、積極的にプロモーションを行った。

 さらには、自身をディレクションし、その全てを通じて結果を出したのだ。

 それも、自分が書きたいと思う内容を書くという条件のもとで。

 

 これは、編集も校正もなにひとついらない。

 媒体さえあれば、すべてを独りでこなすことだ。


 私にはできない。

 私には書くことしかできないからだ。

 それでいて、なにが「書けない」というのか。


「怖いんです」


 見向きもされないのが怖い。

 

 そう、彼女は言った。


 スカウトされたのは嬉しい。

 憧れの商業作家になれる。

 憧れの人と肩を並べられる。

 書店に、自分とその人の本が同じ棚に並ぶ。

 それを考えただけでいくらでも物語は思い浮かぶ。

 憧れていた、書きたかったことを存分に書ける。

 はじめはそう思ったという。


 しかし、それはだんだんと不安に変わっていった。


 自分の書きたい文章は、ニーズにない。

 売れない。

 つまらない。

 人気がでない。

 商業作家とは、それでいいのか。

 担当の奴にもずいぶん相談したらしい。

 それは自分たち編集社がやることだから、書いて欲しい。

 そう言われた。売るのは僕たちの仕事だから、と。

 それでも不安で仕方がなかった。


 それはそうだろう。

 これだけの人気作を自分一人の手で作り上げた。

 それは素晴らしいことだ。

 だが、見えるものが大きすぎる。

 そして、自分の書いたものが世間に受け入れられなかったら、と考えると。


「ふむ」


 私は顎に手をやり、考える。

 そしてやおら、言った。


「なんでスカウトした?」


 途端、彼女の表情が曇る。一気に涙目になる。

 しまった。担当の奴に向けた言葉だから、言葉が足りなかった。

 どうしようか、と迷っているうちに担当の奴は言った。


「彼女の文章が魅力的だからです。売る自信がある。なにより、僕が読みたい」


 こういう男だ。

 私は大きく頷いた。


「だ、そうだ。こういう奴だ。そして、こいつは私に対してもそう言ってくれる。おかげでなんとか生活できる」


 彼女は、ほっとしたような顔をしてから、すっかり困り眉に戻ってしまった顔つきで、でも、と呟いた。


「では、こうしたらどうだね」


 なに、簡単だ。

 徐々に要素を『減らせばいい』。

 近年のライトノベルの特徴のひとつは、一小説内にいくつものジャンルが同等に組み上げられていることだ。

 そのいくつものジャンルを絞れば良い。

 まずはそこからだ。

 二つ、せいぜい三つ、四つだっていい。

 それで書きたいことを書きなさい。

 まずはプロットで。

 その中から『なくても構わない』と思える部分を消しなさい。

 そうしてプロットを作り直しなさい。

 そしてほんのちょっと、合間に君の伝えたいことを入れるんだ。キーワードとしてね。


「それなら、できそう……かも」


 そうだろう。

 君はそうして作ってきたのだから。


「どのくらいでプロットを書けますか?」

「二週間、いえ、一週間もあれば……」


 彼女はうつむいて考える。

 真剣な目をしながら。


 そうか、妻はこういう視点で見ていたのだな。

 彼女は私と同じだ。

 立派に物書きなのだ。

 彼女の頭の中にはどんどんと単語が思い浮かんでくっついては離れて、それは数学式や化学式のように結ばれていっている。

 それがわかる顔つきだった。


「先生」


 担当の奴が、こちらをまっすぐ見つめる。

 その目には真剣な輝きが宿っていた。


「一ヶ月、彼女の専属として動きます」

「ああ、構わない。むしろ、そうしてくれ」


 そんなやり取りも、もう彼女には聞こえていない。


 さて、真剣に考え込む二人。

 私は御役御免という奴だ。


 そっと席を立つ。

 仕方のない奴らだ。

 そうと決まれば居ても立っても居られないのだから。

 伝票を取り、会計を済ます。

 このまま忘れて無言で立ち去りそうなほどだからな。


 やる気に満ち溢れる若者を見るのは心地よい。

 私もやらねば、という気になる。


 そうだ、団子を買って帰らねば。

 うむ、いい心地だ。

 

 妻に、いい土産話ができた。

 今日は花見をしながら祝うとしよう。

 新たな作家と、それを支える編集者の若者の門出に。


 だから、今日は書かない。


 

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