読まなければ始まらない

 2024/04/04


 



 送られてきた一件のメール。

 担当を通して、新人作家として華々しいデビューが待っている娘からだ。

 私のファンだ、という彼女は悩んでいた。

 私のように、書けない、と。


 それはよくない悩みだと私は思うのだ。

 聞けば彼女は、個人でネット連載していたところを編集社にスカウトされたというではないか。

 それならば、彼女は彼女の文で書けばいい。

 それだけの実力がなければ、スカウトなどかからないだろう。

 だから、彼女の文を読む。

 そうしてから話せば、きっと彼女もわかってくれる。

 そう思った。


 昨日、とりあえず読む、と言って解散したあと、担当の奴から聞かされた話は、寝耳に水だった。


 ネット連載の小説は並大抵の競争ではない。

 いかに読者の視点に立ち、読者が求めているものを突き詰めるか。

 マネジメントとブランディングを実際に独りでやる。

 読者の生活と性格を想像し、そこに作品内容、ジャンル、流行、すべてを合わせる。

 更新頻度も時間も当然のように意識する。

 自分の作家性を押し殺して、エンターテインメントに走らなければならない。

 一瞬のきらめきを得るために。

 そしてそれすら何にも繋がらず、何千何万という文の中に埋もれていく。

 そもそも読者層が違う。

 紙媒体違って、彼らは日常的にネット上に点在する。

 本屋に来るのは本を見るためだが、ネットを見るのは本を見るためだけではない。

 まして、文というのはネットの主体的な要素だ。

 注目を浴びるどころか二束三文、良くてひとつの娯楽として消化されて電子の海の藻屑となっていく。

 まるでそれは大海を生きるプランクトンだ。

 人知れず生まれ、人知れず死ぬ。

 

 彼らはなにを求めているのか。

 ただ、書きたいのだ。

 書きたい。ひたすらに書きたい。

 そして、あわよくばそれを人に読んで欲しい。

 そんな一抹の願いから、生まれ、死んでいく。

 

 編集社は、それでは勿体ないとコンテストを開く。

 世にでなければいけない作品はいくらでもある。

 人生の時間は決まっているが、ひとりでも多くにその感動を届ける。

 多種多様な感動を。

 売れればいいってもんじゃない。

 そう思っている人ばかりではないけれど、編集社に入る人間は書けない。

 書けないから書ける人を尊敬して、誰よりも応援する。

 そんな人が多かったはずだけれど。




 後半は、奴の葛藤と愚痴だった。

 私は甘かったのだ。

 運が良かった。

 きっとなにもかも。

 彼女の抱えている問題を甘く見ていた。


 それを痛く心に留めながら、よろしくお願いします、の一文と共に送られてきたURLを踏んだ。






『転生先はおバカ魔族の嫁でした~駄魔の光源氏計画とキレそうな私の領地運営~』


 

 ……。

 タイトル長。

 長くないか……?


 とりあえずだ、あらすじを……。


『絶対にこんな会社辞めてやる!と勇んで最後の仕事をしていたら過労死したケイコ。

 目が覚めるとそこは異世界だった。

 「起きたか。我が嫁よ」

 声をかけてきたのは……青い肌に赤い目、角まである!

 「貴様はこの俺、高貴な魔族、ゴルドランドの嫁となるのだ!」

 そう言って高笑いするゴルドランド。ブリッジする勢いで腰を反る。そして角が床に刺さった。

 なんなのこいつ……あれ、喋ろうと思っても喋れない。

 体もなんだか小さいような……って私、赤ちゃんじゃん!?

 「ぐっ、ぬう、ぬかったわ!角が抜けん!」


 え、私、マジでこいつの嫁?』




 ライトノベルか。

 異世界転生モノというのは、わかる。

 なに、少し毛色は違うが異世界へ召喚される、飛ばされるというのは昔からある。

 古くはマーク・トウェインの『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』、C・S・ルイスの『ナルニア国物語』、どちらも百年以上昔の作品だ。

 日本で言えば、戦国自衛隊などの過去に飛ばされる、というのはある種の異世界転移だろう。

 そうそう、近年で言えば十二国記もあるじゃあないか。

 決して文学として軽んじられるジャンルではない。

 しかし、私には思うことがある。

 転生、というのは宗教的概念だ。

 日本人が輪廻転生という概念を広く受け入れているのは仏教あってのこと。

 これが一ジャンルとして市場を築いている、というのは知っていたが、それは読者に共通の概念としてわかりやすいからなのか。

 ううむ、私もひとつ、学ばねばならん。

 やはりこの方向に持っていってよかったかもしれん。

 私ではどうにもこの手の本は、店で手に取るのもはばかられる。


 どれ、読もうじゃないか。


 と、その前に何ページあるのだ。これは。





 …。

 ……。

 はっぴゃくきゅうじゅうに!?


 超長編ではないか!

 しかも完結していないだと!?

 これは一体……。

 最初の投稿が三年前、ネット連載はわからんが、普通の連載小説だとだいたい一話で千と五百字ほど。

 ということは、ええと、計算機は……。

 一ヶ月で三万と七千字だと!?

 商業作家でもこんなレベルで書かないぞ!


 ど、どうなっているのだ。

 わからん。

 わからんが、とりあえず読もう。


 こりゃあ、一日じゃあ済まないかもなあ……。


 まあ、いい。


 読まないと始まらん。


 だから、今日は書かない。


 

 

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