新人作家②
2024/04/03②
若い子もいるので煙草は我慢しよう、そう思ったときだった。
「は、灰皿もひとつお願いします」
娘がそう言った。
呆気に取られているうちに店員は下がっていって、すぐに灰皿がテーブルに置かれた。
すると
「先生、どうぞ。お吸いになってください……」
と、娘はおずおずと私の前に灰皿を出すのだ。
担当の奴を見ると、奴まで困ったような顔をしている。
「この子、先生のファンなんですよ」
「……は?」
ゆっくりと間を置いて間の抜けた声を上げてしまった。
そりゃあ、きちんと連載して本を出していればファンのひとりやふたりいるだろう。
逆算的だが、でなければ原稿料をもらえるような身分になどなれないし、そういった人たちに私の生活は支えられているわけだ。
それは当然であって感謝も忘れたことがない。
が、私のような木端な物書き、サイン会はおろかファンレターなんてもの――まあ、いまどきそういうものを書くものでもないのかもしれないが――もらったこともないような私に、ファンがいる。
その事実は、目の前にすると驚愕の一言でしかない。
「いや、それは……なんというか、ありがとう」
しどろもどろになって言葉を繋いだ自分のなんと情けないことか。
「いえ……そんな!私こそ、いつもありがとうございます!」
うつむき、困り眉をやや柔らかくしながら、娘は言う。
そして語り始める。
何々のどこどこのシーンがいい。
情景描写や心理描写、果ては漢字の選びなどまで語り始める。
そして片っ端から褒めるのだ。
たまったものではない。
小っ恥ずかしいからやめてくれ、と何度頼もうと思ったか。
それでも押し黙って、ありがとう、と繰り返していたのは、この娘が本当に私の小説を読んでいて、一字一句を読み込み、糧としているかがわかるからだ。
感謝こそすれ、決して遮るようなことがあってはならない。
それも、若い時分、私だって大先生と呼ばれるような作家にあったとき、同じことをしたからだ。
その文に憧れ、書き始めたきっかけとなった作家。
しがない物書きになり始めたころ、会うことができた折、同じことをした。
しかし、そのとき、私は絶望した。
作家性と人間性は関係ない。
それを強く痛感したのだ。
私の憧れていた大先生は、成金小金持ちの女好き。
会えるときいて向かった先は高級クラブ。
そこで女を侍らせて、セクハラ三昧をしていた中年親父。
私が盲目に語ると、鬱陶しそうに言われた。
「わかったから、もう行け」
その一言で、大いに悩んだ。
しょぼくれて帰って、独り、やけ酒をした。
そして決意した。
あんな物書きにはならない。
私の書くものは私から生まれなければならない。
例え人に見向きもされなくても。
あの大先生は若い頃に出したものがヒットして、その後は細々と書いていたから、今思えば、あの頃は情熱が潰えてやさぐれていたのかもしれない。
でも、私はどれだけ裏でやさぐれていようと、憧れの大先生には大先生でいてほしかったのだ。
私も若かった。
だから、せめて、私はこの娘の情熱に感謝して受け止めたい。
あの頃、私が求めたのはそういうものだったはずだから。
と、それにしても長い!
最初の困り眉は何処に行った!
すっかり笑顔じゃないか!
私がコーヒーのおかわりを頼めば、しっかりと、私も、と乗ってくる始末。
担当の奴を見れば、しれっと遠くを見つめていやがる。
すっかりと小一時間話して、話して、話し尽くした娘は、息も絶え絶えに話を終えた。
お互いに黙りこくってしまうと、担当の奴は、これ見よがしにでかいため息をついて、言った。
「で、なんですけど、こうして先生のファンがデビューするってこともあって、先生にはこの子の相談に乗って欲しいんですよ」
「相談……?」
「彼女、個人でネット連載していて、そこからのスカウトなんですけど、まあ、なんというか……」
個人でネット連載でスカウト。
聞いたことは、ある。
存在は知っているが、私は本は紙派であるから、ネット連載など見たことがなかった。
いまや新人作家のほとんどがネットからともいうし、珍しい話ではない。
むしろ、そうして個人でがんばっていて編集の目に留まるほどの文章なのだから、彼女がした努力は並大抵ではない。
尊敬する。
素直に素晴らしい、と思う。
ほう、と頷き、思ったことを口にすると、彼女は困り眉に戻って、言った。
「書けないんです」
書けない?
今まで書いてきたのに?
一体どういうことだ。
私にだって、書けないときはある。
書きたくてもなにかせき止められているような、栓をされたように溜まっていくような。
「先生のような、現代ドラマが書けないんです!」
そう言って、彼女は泣き出してしまった。
私は狼狽え、まあまあ、と言うことしかできなかった。
親子ほど離れた女性に、なんと声をかければいいかなど、わからなかった。
担当の奴は、落ち着くように慰めていた。
私はほとほと困ってしまった。
『先生のように』
その言葉が重くのしかかってくる。
「まあ、どうだ。ひとつここは君の作品を読んでから、もう一度話をしよう」
口を突いて出たのはそんな台詞だった。
苦し紛れの逃げ文句だ。
それほどまでに、私は困ってしまった。
なんせ、私は書きたいものしか書いてこなかったのだから。
私に憧れ、私のようなものを書きたい。
そう思ってくれるのは、素直に嬉しい。
私も、そう思った時期があった。
しかし、私には書けなかった。
憧れと欲求はまるで違うからだ。
そして人には向き不向きがある。
この年齢でそれを悟るのは酷なのだろう。
そう、勝手に納得する。
この娘の作品を読みたい。
彼女の努力を見たい。
一、読者として。
そうだ。
読んでみなければ、わからない。
「読まなければ。まずは読むところからだ。そうは思わないかね?」
確信めいた言い方だったろう。
それを聞いて、彼女は泣きながら頷いた。
担当の奴は、何を言ってるんだこいつは、という目をしていた。
わかってない。まるで、わかってない。
だって、そうだろう?
読まなければ物語は始まらないのだ。
そういうことになって、今日は解散となった。
帰って、私は彼女の作品を読む。
だから、今日は書かない。
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