第45話

 それから時間が開けば、昼間に健吾の部屋に出入りするようになった。もともと古い部屋でも、綺麗に片付ければ住み心地は良さそうだ。ベッドのシーツなどは、健吾と二人でコインランドリーへ出向いて、待っている間に色々と話をした。特に内容がないのに、何故かたのしい。そして通い続けているうちに自然とまた男女の関係になるには、そう時間はかからなかった。真奈美は無意識のうちに上手くやっていた。


 二足のわらじとはいえ、学生の真奈美には結婚生活という本当の意味を理解するにはまだ時間がかかりそうだった。

 颯太は立ち上げたプロジェクトで、国内、海外と出張が続き、家を空けがちになっていた。しかし毎日必ず電話とメールがあり、夫婦としてのコミュニケーションはとっていた。


 そして出張から帰ってくると必ず、小さなお土産を持って帰ってきてくれる。アクセサリーだったり、小物だったり。それは真奈美のセンスに沿うものばかりだった。帰ってくれば、折角だから外食をしようと、色々な店に連れて行ってくれ、休みの日は買い物と連れ出しては、欲しい物を買ってくれた。


 充実した結婚生活と健吾との逢瀬。歪な事を歪だとも感じずに過ごしていた十一月。一枚羽織って健吾の家から帰る時に目の端に光を感じて、足元がふらついた。光を目の端に見る時は、たいてい体が疲れている時だった。しかしふらつくという事は今までにない。


 そして最近、胸やけを起こすことが多かった。一度検査を受けたほうがいいかもしれない。真奈美は翌日直ぐ具に、かかりつけの病院を訪れた。少し大きめの個人病院で、院長は小さい頃から真奈美を診てくれている先生。もう六十を過ぎているが、まだまだ現役で頑張っている。

 受付で症状を伝え、尿検査をして待合室で時間を過ごした。二十分ほどで呼ばれた真奈美は、診察室に入る。


「久しぶりだね。結婚したらしいじゃないか。もうそんな年なんだね。私の中では、ずっと子供のままなんだが」

「もう二十歳も超えましたし、いつまでも子供というわけには」

「そうだよね。それで今日は?」


 世間話を軽く終えたあと、先生が医師の表情になった。


「最近、胸やけと眩暈がして……」

「食欲は?」

「あまり……」


 外から看護士が入ってくると、先生の耳元で何かを言っている。真奈美に向き直った先生が続けた。


「ところで最後の生理はいつだった?」

「え? ああ、えっと……」


 先月を思い返しても、記憶がなかった。その前の月もと考え始めると、背中に氷水を垂らされたように冷たくなるのを感じた。


「真奈美ちゃん。おめでとう、かな。尿検査で妊娠の可能性が出てる。うちは数年前に婦人科はあるけど、産科は五年前に辞めてしまったから、今住んでいる近くか、実家の近くのこの辺りなら、三上マタニティークリニックがいいと思うよ。一度、産婦人科に行って、ちゃんと診てもらいなさい」

「はい」


 真奈美は上の空で挨拶をして、病院を後にした。

 気が付いた時には、マンションのリビングにへたり込むように座っていた。妊娠という言葉を聞いて直ぐに思い浮かんだのは、どちらの子か分らないという事だった。颯太とは避妊をしてはいない。しかし同じくして健吾とは、雰囲気によって避妊をせずにすることも多々あった。


 真奈美は携帯で直ぐに妊娠について調べ始めた。生理が終わった後が危険日という事を始めて知った。前々回の生理はあった。しかしどちらと体を合わせてなのか、はっきりと思い出せない。


 携帯のスケジュールを開けて確認した真奈美の目の前が、一瞬して暗くなった。思い悩んだ真奈美は、住んでいる場所から離れた産婦人科で受診をした。結果はやはり陽性で、妊娠二か月目の後半だった。白黒写真には、胎芽という名の小さな影が写っている。今自分の中で命が育っているという事実が重くのしかかる。

 

 逆算すると颯太は出張が多く、家を空けている期間。確立としては健吾の可能性が大きかった。この時初めて真奈美は、自分がしてきたことの愚かさと身勝手さを思い知った。母親にも颯太にも、健吾にも相談できないまま時間が、一週間、二週間と過ぎて行った。

 出張が終わった颯太が帰ってきた時、どんな顔をすればいいのか分らず、よそよそしい態度を取ってしまった。


「どうかした?」

「ううん。ちょっと体調が悪くて……」

「俺、プロジェクトも落ち着いて休みが溜まってるから明日、病院へ行こう」

「え? あ、大丈夫よ」

「大丈夫じゃないよ。現に今、顔色が悪い」


 それはきっと悪阻からくるものだろうが、颯太には言えない。


「わかったわ。子供じゃないんだから、病院へは一人でいくわ。ね?」

「わかった。じゃあ送り迎えだけするよ」

「いいわよ。一人で大丈夫だから」


 颯太は渋々ながら「わかったよ」と言った。真奈美はもう逃げられないと覚悟を決め、マンション近くの産婦人科へ向かった。初めに訪れた産婦人科同様、妊娠を告げられ、結婚と出産の有無、予定日を言われた。そして前回と違ったのは、心音を聞かされた事だった。エコー写真も前回よりも少し、大きく見える。

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