第29話

 クリスマス当日、健吾は約束通り部屋に招いてくれた。真奈美もこの日ばかりは、スカートにブーツを履き、薄手のトップスにファーの着いたコートを着、手にはケーキを持っていた。

 以前に話していた内容から、てっきり実家暮らしだと思っていた。しかし案内されたのは、単身者用のマンションだった。


「健吾、一人暮らしだったの?」

「うん。少し前からなんだ。だからバイトをしたりちょっと忙しくって。ごめんね」

「ううん」


 狭い玄関で靴を脱いで中に入ると、使い勝手が良さそうなキッチンと広いリビンがあった。綺麗に整理された部屋は清潔感があった。仄かに健吾の香りもした。


「適当に座って。今、飲み物をいれるから」

「ありがとう」


 ガラステーブルの下に敷かれた、ベージュのラグの上に座った。直ぐにコーヒーの香ばしい匂いがしてきた。


「インスタントしかないけど」

「ありがとう。ごめん。お砂糖ある?」

「ちょっと待ってて」


 スティック状の砂糖を持って来てくれると、真奈美の直ぐ隣に座った。


「結構、広いんだね」

「うん。親が家賃を少しだけ持ってくれてるから」

「そうなの?」

「一人暮らしをするって言ったら、親が変わったなって泣きながら喜んでくれてね。有難いからお願いしたんだけど、そんな親を見て何だか、今まで心配掛けてたんだなって思った。だから色々とこれからは頑張って、もっと変わろうと思うんだ」


 未来に希望を抱く、そんな輝いた目をしていた。


「それは凄くいい事だね。でも少し私は、寂しい気はするけど」


 健吾は意外だという顔で、驚いた様子だった。真奈美は取り繕うように慌てて言葉を繋げた。


「寂しいっていうのは、初めて会った頃の健吾がいなくなるみたいで……」


 しかし結局、墓穴を掘るようなことしか言えなかった。恥ずかしくて真奈美は顔を下げた。不意に体が強い力で引き寄せられ、健吾に寄り掛かかった。肩には思いの他、筋肉質な健吾の腕があった。

 顔を少し上げると、太く青い血管が通る首が目の前にある。そして「真奈美」と名前を呼ばれ、返事をする間もなく柔らかくて少しカサついた、それでいて熱い唇で塞がれてしまった。


 キスは徐々に深くなっていき、初めての真奈美には呼吸をするのも苦しかった。そしてそのまま健吾に床に落ち倒されると、体の皮膚から直接、健吾の熱が伝わってきた。まだ温まりきっていない体には、火傷をしそうなほど熱いものだった。

 

 しかしお互いは一糸まとわぬ姿になる頃には、自分の体より冷たく感じる健吾の体が心地よくなっていた。次第に意識は霧散してしまい、健吾が甘く囁く「愛している」という言葉しか聞こえなくなっていた。


 熱でまどろむように寝てしまっていた真奈美が目を覚ましたのは、既に太陽が夕闇に取り込まれてしまった後だった。


「目が覚めた?」


 いつから見ていたのか、ビー玉のような目の健吾が嬉しそうに言った。


「ごめん。寝ちゃった」

「うん。可愛かった」


 と照れることなく言うので、真奈美はそのまま健吾の胸元に顔を埋めた。また胸の鼓動が早くなってきた自分とは違い、健吾はリズムよく動いている。何だか気持ちがよかった。


「ケーキ、食べてないね」

「うん。でも私、そろそろ帰らないと」


 すると健吾に包み込まれるように抱きつかれて、身動きが取れなくなる。体が密着し、健吾の体が直に真奈美の肌に感じられた。


「家、厳しいんだ」

「そうじゃないんだけど……お父さんが、クリスマスは家族一緒がいいって煩くて」

「――いい家族だね」


 上目使いで見ると真奈美のその瞼に健吾がキスをした。


「じゃあ送るね」

「うん」


 暖房と、二人の熱で温まっていた体は、外の寒さで一気に冷えた。空は雲一つなく星が弱い光を放っていた。ホワイトクリスマスには程遠い空だ。

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