第30話
健吾はどこか支えるように真奈美の肩を抱きながら歩いていた。でも今まで感じたことがないほど体が鉛のように怠かったので、真奈美もそれに従っていた。
いつもは駅で別れていたが、今日は家の前まで来た。足を止めると「ここ?」と健吾が聞いてくる。
「うん」
預けていた体をゆっくりと離した。健吾はじっと真奈美の家を見ている。
「どうかした?」
「いや。大きな家だと思って」
「そうかな? 成海さんの家はもっと大きいよ」
「成海さん? そうだよね。政治家の家だって言っていたね」
「うん」
冷えた透明なベールを羽織っているかのように、体が小さく震えた。
「早く家に入った方がいいね」
「うん」
でもどこか離れがたい気分だった。自分の半身が離れて行ってしまうような不安と寂しさ。まだどこか体が繋がっているような、下半身の違和感。セックスをするだけで、もっと何かを求め始めている自分がいた。
「じゃあまた、連絡する」
「うん」
真奈美を見ながら少しづつ、後ろへと歩きだした。健吾は小さくなるまで後ろ向きで帰って行った。
家に入ると、冷えた顔を暖かな空気が包んだ。ダイニングからは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
真奈美は直ぐにリビングには入らず、洗面所へと向かった。手を洗い、鏡に映る自分を何度も見ては、おかしなところがないか確認していた。
健吾とセックスをした痕跡が気になって仕方がない。何度も自分の姿を確認して、見た目は変わっていないことを確かめて、リビングに入った。
「おかえり」
真奈美に挨拶をしてきたのは、颯太だった。テーブルにはすでにワインのボトルが開けられている。
「な、なんで、颯太さんが?」
少し顔を赤くしながら颯太が言った。
「いや、ご両親に掴まってね。遠慮したんだけど、どうしてもって」
「そうなのよ。買い物に行ったらばったり会っちゃって。来てもらったのよ」
どうやら連れ込んだのは母のようだった。父も「クリスマスは家族で」と言っていた割には、颯太と楽しそうに酒を飲み交わしている。それよりも今日はクリスマスだ。
「颯太さん。ちょっと私の部屋にきてもらっていいですか?」
「もちろん」
いつもは紳士的な颯太だが、今日はかなり様子が違う感じがした。
部屋に颯太を入れると、以前のように床に座り、真奈美はその正面に座った。胡坐を組みながら、先程の緩んだ表情ではなく、いつもの締まったものになっていた。
「酔って、ないんですか?」
「俺、酒には強いからね。でも酒の席で素のままじゃ、世渡りは上手くできないからさ」
と、あどけない顔で笑った。
「それで? 健吾君のことで何か相談?」
一瞬名前を聞いただけで、健吾の焼けるような舌でなぞられた皮膚が、開花するように感じがした。それと同時に、颯太に先ほどまでの余韻を感じられたのかと動揺した。
「どうかした?」
何もかも見透かされているような彼の瞳から、思わず顔を背けてしまう。
「いえ。そうじゃなくて……」
数秒の沈黙の後、再び颯太に向き合った。
「どうして家に? 今日は笙子ちゃんとホテルじゃなかったんですか? 言ってましたよ?」
颯太は鼻で笑うと、
「ないよ。あの子にそんな価値はないし、連れていくとも言った覚えはない。ただ、一人で理想っていうのか、妄想だな。妄想をずっと俺の横で垂れ流してはいたけどね」
颯太は今まで見たこともないほどに冷たい目をしていた。後ろの首元から、氷で一直に背中を這わせれたように、毛穴がぞわぞわとした。
「――どうして、彼女ですよね?」
「彼女ねえ……真奈美ちゃんの友達だから、ボーイフレンドになってあげたって感じかな」
「友達だから? でもボーイフレンドって」
「日本語に訳すと、何ていう?」
さっきまで見せていた表情を変え、今度はどこかワクワクしているようだった。
「男、友達?」
「そう。男友達。ボーイフレンド」
颯太の肩を小さく上下させながら笑う姿は、今まで真奈美は見てきた人物とは別人に見えた。人を侮辱しているような、神経に触れるような苛立ちが湧いてくる。
同時に酒のせいで悪い冗談をいっているに違い。反面、酒を飲んでいるからこそ本心なのかもしれない。双方の考えを秤にかけても、なかなか定まらない。
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