一途ないきもの

 山間から日が顔を出し、眩い光が大地を照らす。橙色に被さる淡い青色。雲はなく、滑らかな毛並みの空が一面を覆う。

 トリたちが挨拶を交わし、その声を聞いて他の獣も起きだす。


山と陽炎の縄張りに挟まれた緩衝地帯。まるで番のように寄り添う二本の大樹は、暖かな風に吹かれて枝を鳴らした。

 ここは以前、鳴葉がクマに奪われた拠点である。獣の痕跡はひとつ残らず消されている。踏みつぶされていた花は土に還った。しばらく黄色い花が群生していたけれど、既に咲き終わったもののいくつかは、白い綿毛に姿を変えている。


 ひげを揺らす白狼の背後から、黒狼がぬっと現れた。黒狼は乱れた白い毛を丁寧に整える。

 鳴葉と琉汀は緩衝地帯で仮居を構えた。ふたりが共に過ごした季節は一つ過ぎ、夏を迎えたばかりである。土から出てきたムシが木にへばりついて、ミィンミンと騒ぎ立てる。地上で過ごす獣には触れられもしないほど高いところで声を発し、それが空気に溶けて混じるのを秋が来るまで繰り返す。


 琉汀は人魚であり、人狼でもある。


 陽炎をはじめ、四人の人狼は口を揃えてそう証言した。鳴葉は彼らを信じ、偽りない事実として受け入れた。人狼の祝福を受けて結ばれた二人だったが、肝心の儀式はできないでいた。鳴葉の体が未熟だったからだ。鳴葉をすぐにでも人魚にしたがっていた琉汀も、事情を知ればあっさり方向転換をして、彼が成熟するのを待ってから海へ行くと決めたのだった。

 鳴葉は振り向きざまに、琉汀の口の先に自分の唇をくっつけた。


「今日も大人になれなかった。朱果はもう大人になったっていうのにさ」


 鳴葉は深々と息を吐いた。

 朱果のにおいの変化に、鳴葉はいち早く気づいた。巡回をしていた朱果の毛はより艶やかになり、見違えるほどたくましくなっていたのだ。鳴葉は衝撃を受けながらも朱果を引き止め、その理由を尋ねた。すると、朱果はこともなげに言った。


「悪いな鳴葉。俺は一足先に大人になった!」


 鳴葉は二度目の衝撃を受けた。それでも大きく取り乱さなかったのは、琉汀のおかげだ。彼女は朱果の報告にまるで興味を示さず、鳴葉の毛づくろいをしたり、耳を吸ったり舐めたりしていた。むしろ、朱果のほうが二人の行動に落ち着かない様子でいた。

 だが、弟に悔しさを覚える鳴葉に対して、朱果もまた同じ思いを抱えていた。鳴葉がそれを知ったのは、家族と再会したときだった。朱果は鳴葉を居から連れ出し、かつて鳴葉に宣言していた目標――人狼になることを明かした。陽炎の元で試練を受けた狼は、なんと朱果だったのである。朱果は鳴葉が初めて黒狼に出会った日から、いずれ兄が群れを出て行くだろうと予想していた。それが人狼を目指すきっかけになったのだという。

 朱果に先見の明があったのか、それとも鳴葉が分かりやすかったのか。

 鳴葉は尻尾をもじもじさせて聞いていたが、経緯を語る朱果の表情はさっぱりとしていた。


「人狼になってから言うつもりだったけど、そんな機会もうなさそうだしな。まさか鳴葉が人狼になるだけじゃなく、ちゃっかり黒狼を番にして戻ってくるとは思わなかったぜ。最後まで鳴葉に追いつけなかったのは悔しいけど、陽炎様には素質があるって言ってもらえた。足りないのは経験だけだって。だから俺は人狼になるのを諦めない。俺が家族を守るから、お前は心配すんな」


 鳴葉の目に朱果が眩しく映った。彼は今、鳴葉の序列を継いで群れを支えている。人狼になるのもそう遠くないだろう。鳴葉にとっても誇らしい話であったのは確かだ。

 鳴葉の耳がいじける。


「まだ気にしていたのか」

「気にするよ。だって、琉汀をずいぶん待たせてるでしょ」

「体のことだ。焦っても仕方がないだろう」

「それもそうだけど!」


 鳴葉は太い根に足をかけて、空洞から抜け出した。


「早く琉汀に追いつきたいんだ。体も全部」

「気持ちは嬉しい。だが、狼の姿は今のうちだけだ。人魚になれば姿が変わる」


 続いて下りた琉汀が鳴葉の隣に立つ。


「互いに今までとは違う姿になる。私のほうが鳴葉の好みの姿になれるかどうか不安だ。狼とは全く違うから」


 琉汀は鳴葉の片耳をしゃぶりながら言った。


「それで嫌いにはならないよ。狼は外見より中身が大事なんだから。……人魚になっても中身は変わらないよね? 君も僕も」

「それは問題ない。私は私、鳴葉は鳴葉だ」


 琉汀が即答したので、鳴葉の尻尾は左右に揺れた。

 狼は顔立ちで相手を区別できるけれど、人狼の顔を端正だ、上品だと論じるのは非常に難しいことだった。だから、琉汀の姿がどれだけ変わろうとも、鳴葉の気持ちは変わらないと断言できる。


「それなら安心した。僕はさ、たとえ君が僕より小さくなっちゃっても好きだよ。何なら雌でも雄でも、琉汀は僕のただひとりだ」


 鳴葉は琉汀の顎を舐めながら言った。

 大袈裟な例えを持ち出したが、鳴葉にとってそれほど琉汀が大切で、離しがたい存在であるのは間違いなかった。

 琉汀は鳴葉の言葉にいたく喜んで、尾をちぎれんばかりに振りながら彼を押し倒した。


「本当に? 私が雄でも構わない? 変わらず好きでいてくれる?」

「もちろん!」


 琉汀は歓喜の遠吠えをした。鳴葉もすぐさま声を重ねる。


「ああ! 鳴葉は間違いなく運命だ! 心だけでなく、体も深く繋げられたらどれほど……、楽しみだな」

「僕もだよ。だから大人になりたいのに!」


 鳴葉は、わぁっと声を上げて前脚で顔を覆った。彼は琉汀に対してなんの反応も示さない自分の体を情けなく思った。

 琉汀は鳴葉の前脚を鼻で突いたり、甘噛みしたり舐めたりしながら慰めた。


「人魚になったら鳴葉を私の家に連れて帰る。いや、家まで待てない。良さそうな場所を見つけてすぐしよう」

「うう……、場所は君に任せる……」

「初めて同士だが、私たちならきっとうまくやれる」


 琉汀は鳴葉の耳元で愛の言葉をひとしきり吐いたのち、鳴葉の腹に舌を這わせる。


「私で鳴葉のここを満たしてやりたい」

「琉汀が僕の……、僕の中に入るの?」

「そうだ」


 鳴葉は不思議に思って聞き返す。彼が持つ知識では雄が雌に押し入るものだった。だが、琉汀は人魚だ。いくら人狼と似ている姿とはいえ、種族が違えば勝手も違うものなのかもしれないと鳴葉は納得した。

 鳴葉の腹がきゅうと鳴った。空腹を訴える音に、二人は顔を見合わせて笑い、獲物を求めて駆けだした。


 鳴葉は狼姿の陽炎と止柊にもたびたび会った。丘のある断崖付近まで、子連れで出てきているのだ。人狼は自身の縄張りを好きに歩き回るが、彼らの子はただの狼であり、獣の歩き方を学ぶ必要がある。だが、実際には人狼の元にいる限り、子どもらは『人狼の子』として扱われる。その間は縄張り争いの対象から外されるので、他の狼ににおいを覚えさせているのだろう。余計な争いを好まない、狼らしい行いと言える。

 白良は鳴葉の試練をきっかけに、伊水と顔を合わせる回数を増やしたらしい。

 伊水は鳴葉にこそ言わなかったものの、彼が逃げる決定打を与えたとして、琉汀から冷ややかに責め立てられたという。どうりで鳴葉が琉汀と共に戻ったとき、伊水は喜びながら泣いていたわけだ。その話を白良伝いに聞いた鳴葉が、伊水を庇うような発言をしたため、逆に鳴葉の方が、眦をつり上げた琉汀から悪逆無道な振る舞いを詰られる事態になったのは記憶に新しい。

 鳴葉は人狼になったことを希桜にも報告した。二本足で立つ鳴葉を見上げ、希桜は大いに喜んだ。彼は鳴葉に抱き上げて欲しいとねだったり、気に入りの木の実を渡したりして、鳴葉を祝いながら自身の近況を語った。

 希桜は序列を与えられ、狩りの練習を始めたようだ。初めはネズミやウサギを狙い、徐々に獲物を大きくしていく。気性の荒いイノシシや、体格の大きな牡ジカを怖がらずに追えるようになって、ようやく狩りの頭数に含まれる。そうして、鳴葉のようになるのだと鼻を高くし、鳴葉を大いに和ませた。ただ、鳴葉が海に行くと告げると、希桜は目を潤ませて寂しがった。

 鳴葉は家族との別れも済ませていた。誰もが鳴葉の旅立ちを喜び、これからの幸せを願ってくれた。鳴葉は家族にも琉汀の姿を見せてやりたかったけれど、彼女は始終獣の姿でいたうえ、仮居や緩衝地帯からはほとんど出ずに過ごした。

 鳴葉は一度だけ人狼の琉汀を見たがった。すると、彼女は非常に冷静な顔つきでこう言った。


「人魚になったあと、人狼の私の方が好みだと鳴葉に思われたらどうする? 人狼の姿は二度と見せてやれないというのに」


 それが思いもよらない理由だったので、鳴葉は杞憂だと主張した。けれど、琉汀は「一度見たなら、次は頭に浮かぶようになる」と拒絶した挙句、その件に関してのみ聞く耳持たずで、話の終わりには鳴葉の口を塞いで続きを言わせなくした。そういったやりとりがあったので、鳴葉はよほど見せたくないのだろうと諦めたのだった。


 鳴葉は琉汀が見るなと言うなら見ないし、見てと言えば見るようにした。そうでなくてもふたりは常に互いを目で追い、暇さえあれば見つめ合っている。

 鳴葉は口の周りについた血を拭う。番になってから、鳴葉と琉汀は同時に獲物を食べるようになった。狼は高い序列のものから獲物にありつくけれど、人魚の食事には前後の差がないらしい。そもそも狩り自体が無く、草食獣のように海草を食べて生きているという。


 琉汀は大口でかぶりついた肉を飲み込むと、首を傾げて尋ねた。


「口が止まっている」

「同時に食べるのがまだ慣れなくてさ……。あ、そうだ。ずっと気になっていたことがあるんだ」

「ずっと? 聞きづらいことか? 鳴葉なら私に何でも聞いていいのに」


 琉汀は両耳を鳴葉に向けた。準備万端な様子の琉汀に、鳴葉は薄く笑う。


「それじゃあ遠慮なく。山の狼たちは、琉汀が人狼だってこと知っていたんだよね?」

「ああ」

「やっぱりか」


 鳴葉は琉汀の答えを聞き、さっぱりした顔で口角を上げる。

 琉汀は鳴葉を見据えてひげを上向きにした。体勢を低くして、鳴葉と目の高さを合わせながら尋ねる。


「何を納得したって? 質問したのなら、私とも答えを分かち合うべきだろう。そうでなければ私が納得できない。それに、またおかしな勘違いをされたんじゃないかと気が気じゃない。で、何を納得した? 話して」


 鳴葉は琉汀の顎に付着した血を舐めとる。


「伊水様の縄張りで争ったとき、雌狼が琉汀を見て驚いてただろ? それに君もあのひとたちは必要ないって言ってた。その意味を考えてたんだよ」


 鳴葉は雄狼の言葉を思い出す。


「僕が琉汀を呼んだ後、主導者の狼が言ったんだ。『こっちにも助けが来たりしてな』って。それ、琉汀のことだろ」


 琉汀は目を細めた。鳴葉は続けて言う。


「琉汀は山にいたから、あのひとたちとも何度か顔を合わせたことがあるんだろうね。嘉代様の元で人狼が長く過ごし、彼女の狼たちと接する。狼たちはこう思ったんじゃないかな。琉汀が嘉代様の縄張りを引き継ぐ人狼なんだって。でも、白良様にも言っていた通り、琉汀はこの辺りで縄張りを持つ気はなかった。……そういえば、白良様の縄張りに入ったとき。琉汀は、自分が人狼だと僕にも教えてくれてたね。ただの単独狼なら、挨拶なしでも人狼の縄張りに入れる。白良様に予め知らせておくなんて、人狼のすることだ」


 琉汀の尾が穏やかに揺れている。


「話を戻すね。助けに来てくれた琉汀を見て、雌狼はすごく驚いていた。琉汀が山を継がなかったこともそうだけど、僕の助けとして現れたうえに、同じ縄張りで過ごした自分たちを必要ないと言って追い返すんだから。あんな顔をするわけだと納得したんだ。説明おわり」


 鳴葉は獲物に牙を立てて骨ごと砕く。琉汀は肉だけ食べるので、その他は鳴葉が平らげている。


「私は山の縄張りを継ぐとは一言も言っていない。あいつらが勝手に勘違いをして、勝手に期待して、勝手に裏切られた気になっているだけだ」

「そうかもしれない。でも、継ぐ気がないとも言わなかったんじゃないの?」


 鳴葉がそう聞くと、琉汀はのそりと体を起こした。彼女は日陰に移動すると、毛についた汚れを落として横になる。


「私に面と向かって確かめるものがいたなら、そう言ったさ。だが、私に期待を向けるだけで、狼は私の事情を知ろうとしなかった」


 琉汀は鼻を高くして欠伸をする。


 そよ風に吹かれて草木が揺れるだけの、のどかな場所だ。夏草が地面を覆い、爽やかな香りで満ちている。沼から離れているのもあり、二人のいるところへ立ち寄る獣は少ない。静かな時が過ぎる。

 食べ終えた鳴葉も木の下へ移動する。日差しが遮られているので、いくぶん涼しい。琉汀の毛づくろいをし始める鳴葉に、彼女は上機嫌で言った。


「私にあれこれと聞いた狼は鳴葉だけだ。裏を返せば、それだけ私に興味を持ってくれたということだろう? それに、鳴葉が私に尋ねたぶん、私も鳴葉にいろいろ聞けたしな」

「僕の方こそ。琉汀が嫌な顔ひとつしないで答えてくれたから、聞いていいんだと思えた。まあ、とはいえ、ね。これでも質問しすぎた自覚はある」


 鳴葉は琉汀と口吻をすり合わせて笑う。

 緩衝地帯では、新たな実がついた。緑色の薄皮に包まれた果実で、鳴葉と琉汀、どちらかの恩恵が表れたのだと思われた。白良が言っていたように、土地は人狼が存在するだけで喜ぶらしい。甘酸っぱい匂いにつられて実をかじった鳴葉は、毛を逆立てて飛び上がった。酸味がとても強いのである。琉汀が慌てて鳴葉の口を舐め、彼女も体を痺れさせていた。食べ頃はまだまだ先のようだ。

 そして真夏の朝。

 ふたりが陸で過ごす日々は終わりを告げた。



 山近くの砂浜を、鳴葉と琉汀はわき目もふらずに駆けていく。

 草地の終わりから続く道には、枝を砂に埋めたような木が、ぽつぽつ生えていた。砂地は常に乾いているため、植物の種が飛んでも根付けるものは限られるという。浜辺で育つ植物が似るのはそのせいだった。

 海面にクラゲが浮いている。丸い体から十数本の細足を生やしており、風が吹くと綿毛のように舞い上がった。軽やかに上空へ飛ばされた彼らは、ある程度の高さまで上り詰めると、自らの足を絡ませてくしゃくしゃの状態で海に落ちていく。

 ふたりは速度を緩めないまま海に飛び込み、水しぶきをあげた。

 鳴葉は泣き言を漏らすように言った。


「砂が熱い!」

「森と違って日陰が少ないからな」


 琉汀は海に潜って毛を濡らした。黒色の毛は熱を吸うからか、彼女は暑さを逃す方法をよく知っている。

 上空でけたたましい鳴き声が響いた。ひとつがいのトリが両翼を広げて旋回している。片方は試練を受けた日の道中で見かけ、更には逃げた鳴葉の居場所を琉汀に知らせたトリだった。

 鳴葉と琉汀は呼応するように遠吠えする。


 あのトリは、彼は、人魚だった。

 琉汀が聞いた話によると、彼はかつての同族が自分の縄張りへやって来ただけでなく、未来の運命を連れていると知り、興味本位であの場に現れたのだという。

 人魚は運命に関わる話を特に好んだ。また、自分の話をするのも好きで、琉汀もよく鳴葉の話を他の人魚に聞かせていたという。

 琉汀は昔を懐かしむように言った。


「幼い頃の話を、寄せては返す波のように繰り返していた」


 トリの彼は、鳴葉たちに重大な用事があると察して、事が終わるまでは琉汀に接触せずにいた。だが、鳴葉が琉汀を仮居に残し、ひとりで出て行ってしまったので、彼は大慌てで琉汀の元へ降り立った。そうして琉汀が伊水から事情を聞いている間、彼は鳴葉を探し出し、ふたりの絆を繋ぎ止めたのだった。

 陸で生きる道を選んだ彼が、番と共に去って行く。

 鳴葉は人狼に姿を変えて、琉汀に触れる。


「僕らも行こう」


 鳴葉が琉汀の首につかまると、琉汀は砂を蹴って泳ぎだす。

 とうとう足がつかない場所まで来てしまった。鳴葉は水に慣れているつもりだったが、川とは全く違う恐怖を感じ、琉汀にしがみつく腕を強くする。


「最後にもう一度説明する」

「うん」


 琉汀の言葉を一つも逃さないよう、鳴葉は耳を傾けた。


「私の『始め』の合図で鳴葉は目を閉じる。私は人狼に姿を変えて、衣で鳴葉の目を塞ぐ。口づけで人魚の核を移したら、鳴葉はそれを飲み込む」

「琉汀が僕に食べさせてくれたみたいに」

「そうだ」


 琉汀がしかつめらしく答えるので、鳴葉は彼女にちゅっと口づけた。琉汀のひげがぐっと上に反り、鳴葉はにこにこした。


「頃合いを見て海に潜るが、私がいいと言うまで目は閉じたままでいて。もしも息ができなかったら、私の背中を思い切り叩くこと。すぐにここへ戻る」

「わかった」

「では始める」


 鳴葉は目を閉じる。見なくても琉汀の体躯が人狼のそれへと変わっていくのがわかった。

 いくらかもしないうちに、鳴葉の目元は布で覆われた。おそらく完全に見えなくなっただろうが、鳴葉は目を伏せたままでいた。琉汀が見せたくないものを、目に入れてしまわないようにするためだ。ただ、そうとはいえ、触れてわかるなら「それはそれ」だとも思った。

 鳴葉は腕を緩め、手探りで琉汀の肩に手を置く。この頃にはもう、鳴葉は自分の足で泳いでおり、肩を水面から出していた。

 手のひらで触れていると、琉汀の体は厚みがあり、肩幅も広くがっしりしているのがわかった。陽炎よりも止柊に近い体つきだけれど、自分よりも大きな狼だからと、鳴葉は彼女をそのまま受け入れた。腰を引かれて触れ合った胸は、柔らかさの代わりに弾力があった。

 琉汀に促された鳴葉が、彼女の背に腕を回したとき、引き締まった脇腹に少々「おや?」と思わないでもなかったが、やはり琉汀は大きい狼だからと自らに言い聞かせた。


「鳴葉、口を」


 琉汀が端的に告げる。

 鳴葉は顔を上げてわずかに傾けた。

 唇を触れ合わせてから僅かもしないうちに、鳴葉の体は狼に出くわしたリスのごとく固まった。


(な、なにこれ! 狼のときと全然違う!)


 鳴葉は琉汀の衣を強く握りしめた。それでも握ったところから力が抜けていく。もしも琉汀が鳴葉の背と頭を支えてくれなかったら、海に漂うクラゲと化していただろう。

 今まで口の外で触れ合わせるだけだった舌が、中に入り込んできた。明らかに波とは違う水音を立てて絡み合う。すると、鳴葉の体は分かりやすく反応し、股の間にある雄が熱を持った。鳴葉は本能のまま琉汀の腹にそれを擦りつける。それでいて自分の太ももに同じだけの熱が擦りつけられても、鳴葉は露ほども疑問に思わず――なにせ彼は、未だかつて雌の秘部を見たことがない――気を良くしただけだった。


 唇が溶けてしまうのではないかと思い始めた頃、鳴葉はもはや慣れたように口に溜まった二人分の唾液を飲み下した。続いていくぶん熱いものが流れ込んできても、従順に喉の奥へと招いた。

 その瞬間、胸の中心から爪の先まで伝播していく刺激に体が跳ねる。琉汀によって短い悲鳴ごときつく抱きしめられた鳴葉は、全身から力を抜いた。下衣の内側で猛っていた熱は勢いを失くし、生温かいものに包まれている。


 ふと、懐かしいにおいがして鳴葉は目を見張った。

 そうして口元に笑みを浮かべ、うっとりと目を閉じた。


 鳴葉は琉汀の体をまさぐる。琉汀に片手で抱えられた状態で、どこかへ移動しているようだ。体格差は縮まっていない。そればかりか、むしろ開いたのではないかと勘づいた彼は、大いに落胆した。まさか肌の上に手を滑らせただけで、たくましさを知らしめられるとは予想していなかった。鳴葉は唸る。人魚に戻っても変わらず彼女は勇ましく、格好いいらしい。


「息はできる? 苦しくない?」

「うん。……ん?」


 鳴葉は驚いた。耳元で話す声音と随分違う。まるで声が頭の中にすっと入ってくるようだ。ふと、耳に触ろうと伸ばしたが、空振りに終わった。あるべき場所にあるべきものが見当たらない。


「あれ? 僕の耳は?」

「ここだ」


 琉汀が触れたのは顔の側面だった。

 鳴葉は自分の耳を掴んだ。形から想像するに、魚のヒレがくっついている。揉むとふにふにしていて、身のように柔らかい。引っ張ると当然のように痛かった。そして琉汀に耳をついばまれると、なぜだか腰がじんと震えた。

 鳴葉は視界を塞がれたまま、琉汀の体にへばりついてあちこち指で突いたり撫でたりして暇を潰した。しかし、彼女に固い声で「今はやめなさい」と言われてしまうとまた暇を持て余し、そのうちだんだん飽きてきた。


(琉汀に触れるのが楽しみなのに、それを奪うなんて酷い)


 鳴葉は心の中でため息を吐き、琉汀を毛づくろいすることにした。

 人魚は人狼と同じく地肌が露わになっていて、短い舌でも容易に舐められる。だが、全身を舐め回すと舌が疲れる。狭い範囲を重点的に舐めるとちょうどいい。吸ったり舐めたり、それをされる側でも、尾の付け根が痺れるほど良くなるのである。

 鳴葉は琉汀に吸いつく。琉汀の肌を舐めると鳴葉は幸せな気分になった。それから彼は琉汀の耳に唇を寄せて、ほんの少し甘噛みする。


 日陰でまどろむような寛ぎを得る鳴葉に比べ、琉汀の体は口づけをしていたときから熱いままだ。さらに歯を噛み締める音、ふぅふぅと熱を逃すような荒い呼吸音がする。鳴葉は人魚に戻ったばかりで体が落ち着かないのだろうと思い、たびたび琉汀の耳をしゃぶってみたが、音は酷くなるばかりだった。

 鳴葉の足裏に固いものが触れる。琉汀は鳴葉から体を離し、後方へと移動した。


「鳴葉。目隠しを外す」

「うん!」


 鳴葉の返事は期待に満ちていた。

 ようやく本来の琉汀と会えるのだ。

 鳴葉の目元を覆っていたものが、琉汀の手で外される。鳴葉は胸を高鳴らせながら瞼を上げた。

 正面には水面があった。しかし、よく見れば水面ではなく、よく磨かれた氷のようでもある。そこに映るのは鳴葉と、もう一人、彼の背後に立つ長身の人。ついと視線を滑らせれば、獲物をなぶり殺さんばかりの鬼気迫る表情が目に飛び込んできて、鳴葉は短く息を飲んだ。


「怖い!」

「誰のせいだと?」


 琉汀は鳴葉の耳を指先でくすぐりながら言った。

 鳴葉は体をぶるりと震わせながら、氷に映った琉汀を見つめる。

 真っ先に琉汀の形相に注目してしまったけれど、冷静さを連想させる切れ長の目に、賢そうな眉。わずかな残り香をも嗅ぎ取らんとする高い鼻、そして薄くも柔らかな唇は、ひと目で鳴葉を虜にした。また、人魚になっても変わらずある存在の強さに、彼は心底参ってしまった。

 鳴葉は急いで口を開いた。


「僕のせいじゃないでしょ。だってほら、さっきまで僕は何も見えてなかったんだから。僕が琉汀にしたのは毛づくろいだけだし。ちょっと噛んじゃったけど、君は嫌ともやめろとも言わなかった。それより琉汀、君は人魚になっても格好いいね。その肩の飾り、琉汀にとても良く似合ってる。首元の装身具は星空みたいだ。僕そういうのすごく好き。それにほら、見てよ。これも人魚の呪いなの? 僕の髪に琉汀の色が交じってて、琉汀の髪には僕の色が交じってる。これってすごく番っぽくない?」


 鳴葉は雄狼らしく番を褒めちぎった。彼は体を横にずらし、琉汀を上から下までまんべんなく観察する。

 琉汀の上衣は短く、首の装身具は夜空を思わせる煌めきがあった。黒い下衣は足先を隠すほど長い。腰にはしゃれた帯が数本巻き付き、艶やかな黄緑色の装身具がひとつぶら下がっている。

 鳴葉の上衣も微々たる変化があった。下衣が琉汀と似た作りになっている。装身具はなく、腰にあった帯の結び目がへそ下に移動していた。

 鳴葉は髪にひと房交じるクロガモ色の毛を掴み、琉汀に見せつけていたが、新たな発見をして喜色満面になった。


「僕らの髪型、狼みたい! ほら、耳を伏せたときみたいな感じ。人狼のときはこんな髪じゃなかったのに。これなら人魚の耳になっても僕らが狼だったこと忘れないね。僕は狼の琉汀も大好きだったから嬉しい。ところで琉汀、僕らいつまでこうして前を向いているの? そろそろ直接君を見たいな。僕の姿はもう充分見たからさ、今度は琉汀を……うあ⁈」


 鳴葉の尻のあわいを、硬い熱塊が下衣越しに擦った。続けて骨太の手が鳴葉の尻に手をかけ、下衣をずらすと栗のイガを割るように左右へ開かせる。すると、隠れていた入口が示された。琉汀は下衣を押し上げている熱の先端をそこに密着させ、ぐ、ぐ、と執拗に入ろうとしている。押し進める彼女の熱を受け止めるように、鳴葉はあえて腰を揺らした。


「琉汀」


 鳴葉は肩越しに振り返った。紫陽花色の瞳が欲に濡れている。そうさせたのが自分だと思うと鳴葉はたまらなくなった。


「雌の君をちゃんと受け止めるから。入ってきていいよ」


 鳴葉は余裕ぶって言ってみたものの、実のところ、交合の正しい方法を知らなかった。雄の印が出た狼は、群れの雄に詳しい交尾の方法を教わる。しかし、鳴葉は印が出た当日に海まで来てしまった。

 つまり鳴葉の交尾に関する知識は、いつ知り得たかも覚えていない、「雄が雌の中に入って揺さぶる」が全てだった。

 鳴葉は胸中で呟いた。


(まぁ、父さんに教わったところで、役に立たなかっただろうな)


 なにせ雌の琉汀が雄の鳴葉に入りたがっているのだ。獣の知識が役立つとはとても思えなかった。琉汀が中に入りたがるので、鳴葉は迎え入れる。それに尽きる。

 しかし、せっかく許したというのに、琉汀は鳴葉の中に入って来ない。琉汀は鳴葉の上衣の隙間に手を入れ、素早く衣をまくり上げるとあっという間に抜き取った。続けて流れるような手つきで鳴葉をひっくり返し、下衣をも取り去る。鳴葉が瞬きしている間に、彼の秘部が琉汀の前にさらされた。琉汀は鳴葉の蕾を見下ろして、喉を上下させている。蕾が開けば甘い蜜が吸えると知りながらも、吸いつきたいのを堪えているチョウのようだった。


「私はな、鳴葉」


 琉汀は花に手を伸ばす。彼女はその根元を探り、乱暴な手つきで実をもいだ。


(……花?)


 鳴葉は周囲を見渡す。

 地には花が咲いていた。天は薄い氷の膜で覆われ、無数の光の粒が揺れ動いている。そのうちのひとつが駿馬のごとく駆けていき、尾を引きながら消えた。

 左手のほうから貝殻の群れがやって来た。貝は綺麗に列をなして上昇する。一定の場所まで上り詰めると、二人の真上を横切っていく。まるで鳴葉たちのいる空間を避けているようだ。貝殻が向かう先には林があった。

 ひときわ目立つ大樹を目にした途端、鳴葉の体が綻ぶ。浮かんでいたかかとが花を踏んだ。


 琉汀は潰れた実を放る。それから手のひらについた液体を、鳴葉の一物と窄まりに塗りつけた。

 他に気を取られてあちらこちらに漂っていた鳴葉の意識が、粘つきを感じてぎゅっと収束する。


「雄なんだ」


 鳴葉は股座に集めた意識を丁寧に引きはがしてから尋ねた。


「雄がどうしたって?」

「私は雄だと言った」

「雄? 琉汀が? ……雌から雄になっちゃったの?」

「違う。私はずっと雄として生きてきた。生まれたときから。狼のときも。人魚の今も」

「……」


 鳴葉は言葉もない。縮こまろうとする膝を琉汀が押さえて留める。


「鳴葉は私を雌だと信じて疑わなかったな」


 琉汀は――彼は口角を上げて、鳴葉の窄まりに指を差し入れた。狭い入口を広げたり、刺激に驚いて収縮する壁をひっかいたりしている。鳴葉は強烈な違和感を覚えて、放られていた衣を手繰り寄せた。


「疑うわけないだろ! 何度嗅いでも雌のにおいだったんだから! ……本当に雄なの? だって琉汀のにおい……、あれ? 鼻が変だ。琉汀のにおいがしない!」


 鳴葉は衣にすがって言い放つ。琉汀はむっとして彼の手から衣を奪うと、やや遠くに放った。それから鳴葉の手を取って、自らの首に巻きつかせる。


「においを変えるのも呪いの領域だ」


 琉汀は鳴葉の顔をつぶさに観察しながら、手と口を動かし続ける。


「人魚の雌雄は見た目でわかる。骨格が全く違うからな。さらに言えば、食べるものは海草で、そこかしこに生えている。逃げられることもない。つまり、嗅覚の使いどころがない。人魚の嗅覚は鈍いんだ。お前たちはしきりににおいを付け過ぎだと文句を言っていたが、私には一切嗅ぎ取れなかった。対して、陸の獣は見た目で雌雄が判別できない。頼れるのはにおいだけ。よって嗅覚が鋭くなった。強さや賢さにはうるさいのに、驚くほど面の好みに疎いのも、種の存続に必要なかったからだろう。事実、鳴葉はこれまで私の外見にはちっとも興味がなかった。体格だけは褒められたが、それも強さに通ずるからだろう。それが、人魚になった途端、私のあちこちを褒めそやすから」


 話しながら邪魔になったのか、琉汀は自らの肩飾りを片手で外した。


「君が雄だったなんて……」

「だましたのは悪かった。でも、雄のままだったら、鳴葉は私を番にしようとは思わなかっただろう? 私はどうしてもそれが耐えられなかった。偽ることを前提としたぶん、鳴葉の好みに合うだけの努力はしてきた。そうしてお前は、私が雌でも雄でも構わないと言った」

「言った。言ったけど、雄同士でもいいの?」

「いい。私にとって性別は些細なことだ。ただ、人魚の中には気にする者もいる。他の誰かが心無いことを言っても無視して。そういう奴は、本当に心が無いだけだ。私の幸せは鳴葉と共にある」


 熱のこもった瞳に、鳴葉の目も煌めいた。


「大丈夫。僕の幸せも琉汀の傍にある。安心して、僕は狼だからね。狼は番を不安にさせるようなことはしないんだ」


 琉汀の指は深みを目指して鳴葉の体内を探り、短い舌が耳を舐めた。鳴葉は自分のものと穴の間を強く押されて、じんと広がる好さに目を伏せた。


「そこ舐められると気持ちいい。琉汀、人魚になった君の姿は僕にはたまらなく良く見えるんだ。獣の僕も人魚の僕も、どっちも琉汀が好きで、どうしようもなく君に惹かれてるんだ。あ、そういえば洞窟で話してた……、どうしたら魚が僕のものになるかって話。覚えてる? 僕は、魚がまた会いに来たら捕まえて、僕のものにするって言った。その通りになったね? あのときの魚はまた僕のものになったんだ。どう? 嬉しい?」


 このときの鳴葉には微笑みを浮かべ、運命の引きつった相貌を堪能するだけの余裕があった。

 琉汀の数本の指は鳴葉の尻に入ったままだったが、新しい縄張りを巡回する狼のような遠慮が残されていた。けれど、鳴葉が鼻にかかった声を漏らし、初めての衝撃に首を捻っている間に、琉汀の指は縄張りを定めたようだった。荒々しい手つきで出入りし始めると、鳴葉はひとつも黙っていられなくなった。

 人魚の耳が体内の音を拾い、粘ついた水音としびれを伴う揺さぶりが鳴葉を追い詰める。彼が本能で前を触ろうとすれば、目敏い琉汀に腕を掴まれた。誰にも触れられない鳴葉のものは、刺激を恋しがってひくひく動いている。鳴葉の入口を広げるとき、琉汀は決まって口づけをした。そうすれば鳴葉が陶酔して後ろを緩め、前を硬くすると既に知っているようだった。


 鳴葉はこれまで琉汀の辛抱強さを美徳だと思っていた。けれども同じだけの辛抱を強いられると、途端に悪徳なのではないかと感じ始めた。

 緩急をつけて出し入れされていた指が穏やかさに傾くと、鳴葉は腰をくねらせて自ら刺激を探った。もはやぬるま湯に浸かるような触れ方では物足りなくなっていた。

 鳴葉がより強い刺激を求めているうちに、彼の考えと視線があるものに結びつく。指より太く長いものを入れたら、明確な一撃を得られるのではないか。鳴葉の胸を丹念に舐めたり、噛んだり摘まんだりしている琉汀の雄は下衣を突き破らんばかりに天を向いている。だが、彼は一向にそれを取り出す気配がない。

 鳴葉は熱い息を吐き、呼吸を整えてから尋ねた。


「そろそろ入れる?」

「まだ」


 すげない返事だった。

 鳴葉は諦めずに言った。


「僕はもういいと思うんだけど」


 琉汀が顔を上げる。無言は肯定を示すというのに、彼はまるでそう思わせなかった。


「琉汀。君は、どうすれば僕の中に入りたくて仕方がなくなっちゃうのかな? 我慢しなくていいんだよ」


 鳴葉がこりずに続けると、琉汀は一旦探るのをやめ、鳴葉を抱きしめた。鼻をすり合わせて口づける。これは話を聞いてくれそうだと嬉しくなって、鳴葉はまくし立てた。


「僕は交尾に関しては無知だけど、君が丁寧すぎるんじゃないかってことは、うすうす気づいているんだ。毛づくろいだってそうだっただろ。あ! 待って、そこ、そこを押されると力が抜ける。尻尾を見れば僕がどんなかわかるでしょ? ……僕の尻尾は? そうだ、人魚になったから……僕の尻尾……。琉汀、もういいよ。違う、尻尾の話じゃなくて。交尾ってふつう、入れて揺さぶって終わりなんじゃないの? それなのにこんな、ネズミにするみたいに僕を追い詰めてさ。君はいつ僕に入れるの? あんなに入りたがってたのに。僕は少し前から、もう入るべきだと思ってるんだけど……」

「まだ足りない」

「これだけしておいて⁉」

「足りない」


 彼が妙にきっぱり言ったため、鳴葉は泣きそうになりながら、琉汀の衣を押し上げているものに触れた。


「琉汀はわからないんだ。あちこち触られて、中をほぐされて、どんどん気持ちよくなってきて、それだけで僕はもうどうにかなっちゃいそうなのに、さっきまで雌なのに雌じゃなかったひとのもので、早く腹を満たして欲しいって思っちゃう僕のどうしようもない気持ちなんて! 熱いし、じんじんする。だから君のこれを……。どう言えばわかってくれる? いいから琉汀のを早く入れて! それとも琉汀は、僕が尻尾を絡めたときみたいに……ああ!」


 鳴葉は話している途中で乱暴にひっくり返された。ぬかるんだ部分に熱が触れると同時に貫かれ、想像以上の衝撃に鳴葉の背がぴんと伸びた。琉汀のものは鳴葉が許すところまで押し入り、うねつく内壁を擦った。鳴葉の目尻に涙が浮かんだけれど、すぐに水と区別がつかなくなった。


「痛い?」

「……、ううん。痛くない。お腹が少し苦しいだけ。言ったろ、丁寧すぎるって」

「鳴葉はそう言うが、今まで数えきれないほど想像した中でも、相当短くて雑だ」


 鳴葉の背中を冷たい水がすっと撫でた。彼が満足するまで付き合っていたら、気を失うか狂うかのどちらかだっただろう。


「それより、さっき言いかけた尻尾を絡めたときみたいに、とはどういう意味?」


 鳴葉は目を丸くし、ふと表情を和らげた。


「なんだ、知らなかっただけか。僕はてっきり……。尻尾を絡めるのは交尾の誘いだよ。僕はね、試練の前に君を誘って、すげなく断られたんですよ」

「……、知らなかった。狼でいるうちは交尾をする気がなかったから。すまない。傷つけただろう?」


 鳴葉は肩や背中を唇でついばまれながら、なんとなく気になって、繋がっている部分に触れてみた。圧迫感からおおよその長さは把握できたけれど、まさかそこまでの太さがあるとは信じていなかったことに加え、それが鳴葉の体に収まっている異様さに浮ついた心地で囁く。


「君と番になれたから、もういいよ。それより君の、すごいね。そのへんに生えてる木の枝より太い」

「やめなさい」


 琉汀は鳴葉の両手首を掴むと、強く腰を打ちつけた。頭を低くして中をかき回される体勢は、まるで狼の琉汀と交わっている気になる。

 鳴葉は彼の揺さぶりに呼応して口から漏れ出る音を、他人事のように聞きながら多幸感に包まれた。

 琉汀の動きに合わせて鳴葉のものが腹を打つ。その拍子に先から体液が零れた。もともと物覚えが良く、なおかつ人魚の体は嗅覚以外が優秀である。鳴葉の内部は十分に柔らかくなっていた。そのうえ、琉汀の『海神の縁者』として定められたことが重なって、二人の体はこれ以上ないほど相性が良い。琉汀に一際強く中を抉られた鳴葉は、声をあげて花に伏した。猛追をやめた琉汀は、一変して緩慢な動きになり、自らのものを先端付近まで取り出したり、収めたりしている。

 鳴葉の弱い場所で動きを止めた琉汀は、鳴葉の腹下に手を潜り込ませ、何かをかき集めているようだ。鳴葉がぼうっとしている間に、彼は木の実ほどの泡を取り出して、それを目の高さに掲げてじっくり眺めてからぽいっと口に入れた。


「なにたべたの?」


 鳴葉が聞くと、琉汀は上機嫌に答えた。


「お前の精液」

「……」

「中が締まった。興奮したか」


 鳴葉は否定も肯定もしなかった。

 ややあって鳴葉が琉汀の脚を押すと、簡単に彼が抜け出てしまう。突き出た丸い尻のあわいにちょんとある穴は、琉汀のせいで僅かに緩み、収縮してもすぐには閉じきれなかった。


「僕のは食べないで。放っておいて!」

「無理だ。放っておけない」


 琉汀が間髪入れずに答えたので、鳴葉は唇を尖らせながら仰向けになった。両脚のふくらはぎを覆ったウロコが鈍く光る。


「だったら僕も君のを食べなきゃ公平じゃない」


 琉汀の腰に足を引っかけてせがむと、琉汀はすぐに鳴葉と隙間なくくっついた。鳴葉も腰を浮かせて琉汀を迎え入れる。腹の内側が渦巻いて、熱が指先にまで広がった。獣の体勢も好きだったが、正面から繋がれば琉汀の顔が見られる。鳴葉は嬉しくなって、彼の体に手足を絡めて離れまいとした。


「心配せずとも中に注いで味わわせてやる」

「それで味がわかるの?」


 予兆もなく穿たれて、鳴葉はたまらず目を閉じる。強くぶたれたわけでも、投げ飛ばされたわけでもないのに、体が痺れて呼吸がままならなくなった。この感覚が「気持ちいい」ことだと知れたのは、他でもない琉汀が「これが気持ちいいのか」と耳元で囁いたからである。その表現はかなりしっくりきた。やはり、琉汀は鳴葉以上に彼の体に詳しい。

 鳴葉は新しい言葉を覚えて使いたがる子どものように、体が痺れるとすぐさま「気持ちいい」と伝えた。


「僕ばっかりこんなに気持ち良くて、琉汀に悪い気がする。ね、交替してあげようか?」

「しない」


 琉汀は瞳の色を濃くし、肩を赤らめながら、妙にきっぱりした口調で「絶対しない」と強く重ねた。

 運命には甘い琉汀だ。彼が我慢していると思った鳴葉は、長らく待たせた琉汀にも幸福を味わって欲しくてたまらなくなった。腹に力を入れて追い出そうとすると、鳴葉の意図に反し、奥までずるんと彼を招き入れてしまう。すると、土に顔を出したばかりの芽が凄まじい早さで成長し、新しい季節を待つことなく咲き誇るような痛快さが、姿を変え、強烈な刺激となって鳴葉を襲う。

 黄緑の瞳が滲む。涙はさらわれる前に琉汀が舐め取った。彼は鳴葉をいたく心配しながらも、鳴葉が泣きわめいたり、後ろをきつく締めたりしても体を離さなかった。


「助けて、頭がおかしくなりそう……。いいの? 交替しなくて。こんなに好いのに? ぼく、琉汀にも幸せになってもらいたいんだ……」

「もうなってる!」


 噛みつくように口づけられる。痛いくらいに腰をつかまれながら中を擦られると、鳴葉はろくな言葉を話せなくなってしまった。


 ことが全て終わり、鳴葉は琉汀の重みを受け止める。しっとりしたやりとりを味わう鳴葉の舌に、突如として甘みが広がった。唾液がどっとあふれ出そうになる。

 鳴葉は気だるい腕をなんとか持ち上げて琉汀を抱きしめると、その首に思う存分吸いついてべたべたに濡らした。


「琉汀、これが君の味なの……?」


 鳴葉は恍惚とした顔で問いかけておきながら、答えを待たなかった。


「君のは甘い。僕の好きな甘さだ。果実に似てるけど果実じゃない。食べたことない味……。もしかしてこれ、君のにおいの甘みじゃない? 魚の琉汀と同じ感じがする。……見て、口の中が琉汀の味でいっぱいになって、唾液がすごく出る。それで君をさっきから舐めちゃうんだ」


 鳴葉は口を開けて舌を見せた。


「琉汀を舐めてると、実を舐めてる気になる。味と食感を楽しめる。うん、美味しい。これは美味しいね。君が僕のを食べる気持ちがわかっちゃった。お腹に出されただけでこんななら、直接食べたら……、ただ、僕の口は狼のときに比べて小さくなっただろ。喉までいっぱいになりそうなんだ。苦しそうだから先っぽだけ咥えようか? それとも僕の中で擦って、出したくなった頃に口の前まで持ってきて食べさせてもらうのがいいかな? うん、その方がいいかもしれない。頭抜けた琉汀なら上手くやれるよ。僕に上手く食べさせてね。ああ……、賢くて強くて格好よくて、顔やにおいまで良い。そのうえ僕ら、交尾の具合までしっくりきてたよね。僕はすごく良かったし、交替しなかった君も気持ち良さそうだった。こんなにたくさん良いことがあったっていうのに、君の味まで僕好みだなんて、琉汀は本当にすごい……、やめて! 僕のはいじらないで! 琉汀はもう食べただろ!」


 鳴葉がじたばた暴れても、未だ繋がったままの彼に逃げ場などなかった。


 翌日。あれだけしつこく交合が行われたにも関わらず、鳴葉はぴんぴんしていた。それは人魚の体質によるものらしい。

 彼らは子を孕むまでに厳格な手順を踏まねばならず、しかもそれは中期間に渡る。そのうちの条件に数日から十数日、毎日の交合が含まれているため、少々やんちゃな遊びをしても問題ないという。

 琉汀から説明を受けた鳴葉は「だから、僕があんなにやめてと言ってもやめてくれなかったの?」と膨れ面で尋ねた。すると彼は実に涼しげな表情で「人魚は運命の、こちらの言葉で言えば『海神の縁者』の嫌がることは絶対にしない」と答えたため、鳴葉はかなり渋い顔をしながら頬を赤らめたのだった。



 海底にずっしりと根を張った大樹の下で二人は佇む。

 そこかしこに咲く花や、実の生る木を眺めていると、まるで陸にいるようだ。

 辺り一帯に生える草花は琉汀が集め、育てたものだった。


「人魚の話を聞いたとき、ひとを勝手に運命にするなんてとんでもない奴だ、と思ったものだけど」


 鳴葉は地を蹴った。水中に浮かぶと下衣が尾びれさながらに揺れる。すると、琉汀はひと時も離れていられないとでもいうように、鳴葉の腰に抱き着いて寄り添った。だが、その顔はこれからどんな酷いことを耳にするのだろうと、びくびく震える子狼のようだ。

 鳴葉が琉汀の頬を撫でてやると、琉汀は己の耳が耐えうる話だと判断したらしく、「思ったものだけど?」と続きを催促する。


 鳴葉は琉汀の前髪をかき上げて青紫の瞳を覗き込む。

 そうすると、途端に口を開くのが惜しくなってしまい、笑いながら深く唇を重ねたのだった。

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海神の縁者は人魚に愛を希う 月中光 @tsukinonakanohikari

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