21 推し活

「……芹沢って、怖いくらいあんたのこと……好きなんじゃない?」


 美穂ちゃんはでれでれしつつ私が話した惚気にも似た、このところのいくつかの出来事を聞いて、真顔で私を指差した。


 恋愛マスターな彼女にそう言われて、私の顔はデレっといとも簡単に崩れた。言われるだろうなって思ったし、言ってくれるとわかってた。いわゆるわかりあったもの同士の、筋書きの決まった予定調和というもの。


 私の期待には、ちゃんと応えてくれる良い友達の美穂ちゃんなのだ。


「えへへ……美穂ちゃんも、そう思う? あの芹沢くんが、物凄く私のことが好きなんだよ。長すぎる夢の中なのかな……ねえ。これって夢じゃないよね」


「好きじゃないと、あんな山奥まで長距離を危険を覚悟で台風の中、車に乗って迎えに行ったりしないわよ。前もってのバカな女対策もバッチリだったし、私たちが予想していたわかりやすい嫌がらせなんかも、まったく起こってない……そんな先回りをしてしまう芹沢だから、何も考えていないから自分には予想もつかない初音が良いのかもね。私は、そこはなんだか納得した」


「え。ちょっと待って。私だって、何も考えてない訳じゃないよ」


 頭の良い芹沢くんが考えている百分の一くらいの何かは多分、考えている……つもり。


「少しでも物事を考えられる子は、もうすぐ台風が来るっていうのに、山の中に取り残されたりなんか……しないわよ。本当に良く、遭難しなかったわね。それで、水没した車は結局どうなったの?」


「あ。車は持ち主の久留生くんが、良い保険に入っていたから、それで全額補償になるみたいで……保険を使って保険料が上がった分だけ負担してくれたら、それで良いからって、芹沢くんに言ってくれたみたい」


 あの日、芹沢くんの友人久留生くんは、私たちをあんな場所にまで迎えに来てくれた。


 彼は私とはキャンパスだって違うし、誰かのSNSに載っている彼の姿をたまに見ているだけだったんだけど、医学生のイケメンなのに全く偉そうじゃない。物腰は顔付き通りに上品で柔らかくて、とても優しかった。


 育ちが良いって芹沢くんが言っていた通りに、車が水没して身動きの取れなくなった私たちのことをとても心配してくれていた。


 何より二時間も掛けて早朝に運転してくれて、その行動だけでも彼の人柄は伝わって来た。


「……けど、初音。そうやって自分のことを好きで居てくれるからと、慢心して油断をしていたら、あっという間に向こうの好意は目減りするものよ。付き合い始めなんて、どんな男もべた褒めと甘い言葉が炸裂するのは、当たり前のことなんだから注意しなさいよ」


「えっ……ちょっと、待って。美穂ちゃん。それって、どういうこと?」


 半目になって脅すかのような美穂ちゃんからの不吉な言葉に、私は息を飲んだ。だって、彼女が恋愛関連で何か言ったことは、後々になってそういえばと考えてみると大体は間違えていない。


「常に向こうを追わせることを、意識させるのよ。男には安心感をあげるよりも、掴めそうで掴めないというもどかしさを与えた方が、より愛されるものなんだから」


「そうなんだ……ねえ。美穂ちゃん。追わせるって、どうしたら良いの? 芹沢くんを追わせてみようなんて、私は考えたこともないよ」


 どちらかというと芹沢くんを常に追って来た自覚のある私は、彼から追い掛けさせるってどうしたら良いんだろうと、そんな方法は皆目見当もつかなかった。


「うーん……そうね。連絡が来ても時間を置いたり、会いたいと誘って来ても何回かに一回断ったりするのはどう?」


「それは、むっ……無理だよ! 耐えられる気がしない……芹沢くんからの連絡だったら、気が付き次第即レスしたいし。せっかく会えるのに、断るなんて無理。付き合い始めは連絡しないのも我慢できたけど、今はもう当たり前になっちゃって無理。会えるなら、ずっと会いたいのに」


 美穂ちゃんに言われたことが、尊い推しに対する遠回りな推し活だと思って割り切ろうとしても、それは無理だった。


 推しの芹沢くんを不安にさせるなど、ファンの風上にも置けない。待って。彼女ってファンカテゴリに入ってても、良いのかな……? まあ、好きだからこそファンな訳だし、一人でそのつもりで居ても誰も文句言わないと思うし、別に良いのかな。


「……じゃあ、好きって言い過ぎないとかは? 向こうが言っても、こっちは言わずに話を逸らすとか。意識的に、減らすの。そうしたら、向こうの狩猟本能を刺激するわ。男の狩りの本能で、自ずと追わせると燃え上がるものよ。狩人に追われる小鹿にでもなったつもりで、楽しんで翻弄してみたら?」


 私の頭には、一瞬だけ波打ち際を追いかけっこする二人が浮かんだ。それはちょっと、恥ずかしい。


「……無理だよ……芹沢くんに言われたら、自然とこっちも言ってるから我慢できない。ねえ。美穂ちゃん。他に、何か良い恋愛テクニックない?」


 芹沢くんに好きって言われたら、私はすぐに私も好きって言いたい。パブロフの犬のような、反射的な本能で口から来てしまう言葉なので、減らすのは多分難しい。居酒屋さんで注文受けたら「はい。よろこんで」という、声掛けのようなもの。


「あんた。本当に、やる気あんの? 芹沢が早々に恋から冷めちゃっても、良いの?」


「けど……むっ……無理だよ! 私がそれをして、芹沢くんが寂しがったらどうするの?!」


 もし、芹沢くんが段ボールに捨てられているところを想像すると、私は全財産捨てても彼を保護することを選ぶ。そのくらい、私は好きなのだ。無理なものは、無理。


「もう。本当に、私の話を聞く気あるの? そういう思い通りにならない不安を煽って、向こうを沼に落とすのよ。なんていうか……芹沢に何か初音と付き合うためにする労力を、掛けさせなさいよ。そうしたらその分だけ、愛されるものよ。頑張っている自分の成果が愛される理由と、意識付けるの。脳をそういう風に誤解させるのよ。それだけの高い価値払わせるものを、私は持ってるよって」


「私。芹沢くんと、そんな高度な心理戦は無理……芹沢くんと、私だよ?」


 美穂ちゃんは確かにそれもそうかと思ったのか、頷いて黙った。自分で言ったことなんだけど、ちょっとだけ切ない。


「……でも、こっちから尻尾を振って喜んで走って行っても、そういう簡単な女だと思われて、向こうは段々と面倒くさくなって飽きて来るんだから」


 そんな風には、飽きられたくはない……けど、芹沢くんを不安にさせたくはない。


「そうやって、好き好き言いすぎると、芹沢くんは飽きて……来るのかな」


「男女が別れを選ぶほとんどの理由は、それよ。どんなに言葉を優しくオブラートに包もうが、もうお前と一緒に居ても、何も楽しくないってことなんだから」


 私の頭の中で「なんか俺。水無瀬さんと一緒に居ても、楽しくないんだよね」とつまらなそうに言った、芹沢くんの顔が浮かんだ。


 あくまで勝手な想像だけど、泣きたくなった。無理。絶対、嫌。


「やっ……やだ! 芹沢くんと、別れたくない! 美穂ちゃん、何かない? 今までに言ったやつじゃなくて……なんか、私にでも出来る簡単な恋愛テクニックで」


「仕方ない子ね……本当に、欲張りなんだから……」


 美穂ちゃんは呆れたようにそう言いつつ、私にとっておきの恋愛テクニックをこっそりと教えてくれた。


 持つべきものは、良い友達だよね。



◇◆◇



「……っえ? 水無瀬さん。それ、どうしたの?」


 本が積み上げられた大きな机に向かって真剣に勉強中だった芹沢くんは、呼び掛けに何気なく振り向いて、思いもよらぬ格好をしてた私を見て目を丸くした。


「えへ。可愛い?」


「……めちゃくちゃ、かわいい」


 はい。芹沢くんから、可愛い頂きました。大成功。


 恋愛マスター美穂ちゃんが言うには、男性は彼女のコスプレというものに弱いらしい。


 私の高校時代の制服は、最近珍しいセーラー服。可愛いことで都内でも有名だったので、美穂ちゃんは化粧を覚えた私が学生っぽい高い位置でのポニーテールでもして制服を着たら、芹沢くんは絶対即落ちするって言ってた。


 実家の親に部屋のクローゼットに吊ったままだった制服を速達で送って貰う時の言い訳には、結構な苦労をしてしまった。


 けど、そんな良くわからない頑張りの甲斐はあった。


 今の芹沢くんが口を押さえて驚きつつ赤くなっている顔を見たら、恋愛マスター美穂ちゃんによるマル秘情報はまた間違いなかったみたい。


 男の人を落とす技術の精度が、高過ぎる。美穂ちゃんは、もう既に人生を何回か繰り返した後なのかもしれない。しかも、どの人生でもモテ女だったタイプ。とっても、羨ましい。


 こういう二人で楽しめるシチュエーションをだんだん増やしていくと、男性は喜ぶらしい。確かに単調なシチュエーションよりかは、変化がある方が良いよね。


「うわ。やばい。秒で勃った」


「秒」


 この前に二人で話したことみたいなことを言い出した芹沢くんは、楽しそうに笑った。


「制服、好きなの?」


「いや……そうではないと思うけど、水無瀬さん限定ではこういう制服は好きかも。セーラー服って、こんなに可愛かった?」


「それって、制服が好きってことじゃないの?」


「うーん。どう言って、良いか。センスの良いパッケージより、俺が好きなのは商品の中身だってこと」


「私にも……なんか、芹沢くんの言いたい意味はわかった」


 私がふふっと笑うと、彼は椅子に座ったままで手招きをした。


「ねえ。こんな子がそばに居たら、勉強出来ない。教室に常時居る同級生じゃなくて、ほんと良かった……ちゃんと責任取ってよ」


 私はそんな芹沢くんを焦らすことなんてやっぱり出来ずに、両手を広げた彼へと急いで駆け寄った。


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