第15話 そのメイド『落涙』

 制服から私服に着替え、ベージュのロングコートを着て身支度を整えたミカコ、エマの二人は、忘れ物がないかチェックした後、トランクを片手に、揃って部屋から出ると玄関ホールへと急いだ。

 玄関ホールにはすでに、灰色のロングコートを着たロザンナと、黒のロングコート姿のルシウス、ラグの姿があった。それぞれトランクとボストンバッグを持っている。

「みな、集まったな」

 ミカコ、エマの二人が玄関ホールに姿を見せた時、ロザンナの傍にいたヴィアトリカが静かにそう呟く。まるで貴族の坊ちゃんのような、ボーイッシュな服装ではなく、カジュアルな感じの、今時の女の子のような服装をしていた。

「それじゃ、行こうか」

 気取った口調で声かけをしたヴィアトリカを先頭に、ロザンナ、エマ、ミカコ、ラグ、ルシウスの六人が、ピカピカに磨き上げられた玄関ホールを進み、正面玄関の扉を開けて屋敷の外へと出て行く。

 外は、晴ればれとした青空が広がっていた。暖かな太陽が燦々さんさんと降り注ぐ最中、ヴィアトリカ一行は雑木林を抜けて、街が一望出来る崖の上にやって来た。

「ここから街を眺めるのは、これで最後になる」

 先頭に立って歩いてきたヴィアトリカが崖の縁で立ち止まり、不意に振り向くと五人の使用人と向かい合う。気取った含み笑いを浮かべて。

「私は今まで、君達に秘密にしていたことがある。そして今、それを打ち明ける時が来た。冥界から来た君達はもう察しが付いていると思うが……私は、現世の人間ではない。今よりもはるか遠い十九世紀の、後半になる時代を生きたゴーストだ」

 覚悟が入混じる、ほんのり切なく微笑みながら、ヴィアトリカは正体を明かすと、両手で大事そうに抱えていた一冊の本を使用人達に見せる。

「これは生前、私が書いていた日記帳だ。ゴーストとして現世に顕現するまで、私はこの日記帳にとどまっていた。この中には、物心がついた私自身の成長や、両親との思い出がたくさん詰まっている。もちろん、私や両親が悪魔に殺された忌まわしい記憶も……

 今、君達がいるこの世界は生前、私自身が書いていた日記帳の中なんだ。ひとりぼっちだった淋しさや、両親を亡くした悲しさを紛らわすため、現世に顕現したゴーストの私が霊力で以て創り出した世界なんだよ。

 淋しかった。言葉では言い表せないくらい淋しくて淋しくて……悲しくて、怖かった。いい思い出も、悪い思い出も詰まったこの日記帳だけが、私の心の支えだった。日記帳を開けばまた、あの時の思い出や記憶が蘇る。ページをめくる度、懐かしくも愛に満ちた感情が心を満たし、ひとりぼっちである現状に感傷に浸る、それを繰り返してきた」

 日ごとに悲しみが増してきて、押しつぶされそうになっていた。そんな時ふと、私は気付いたんだ。私の周りで変化が起き始めていることに。時間が経つごとに、森だったその場所が石畳の広場に変わり、道路に変わり、その周りに家々が建ち始めて、あっという間に十九世紀後半の街が完成した。この時に初めて自覚したんだ。これは、ゴーストの私自身が無意識のうちに霊力を使って、生前の私が住んでいた街並みが顕現した日記の中なのだと。

 十八年間、見慣れていた風景、住み慣れた我がビンセント家の屋敷……そして、私を出迎えてくれた最愛の両親と使用人達……私は懐かしさとうれしさとで胸が一杯になったのを、今でも覚えている。

 けれど、その幸せはそう長く続かなかった。この世界でも、繰り返されたんだ。もう二度と味わいたくもなかった、胸が張り裂けそうなあの悪夢が。かつて、両親や私を殺した悪魔が、ジャン・クリーヴィーと言う名の執事バトラーに化けて屋敷にやって来ようとは……おまけに、ゴーストの私自身に悪魔が取り憑くなんて……夢にも思わなかった。

 もとは、私自身の悲しみや淋しさを紛らわすために顕現した世界だったが、悪魔から身を守るためにロザンナと契約したのを契機けいきに、私は悪魔を封印することの出来る神仕いに助けを求めたのだ。

 そして、神仕いにより悪魔が封印された今、異世界この世界は終わりを告げる。私の霊力がもう、持ちそうにないんだ。

 静かな口調で、ヴィアトリカがそう口にした、その時。突如として青空に亀裂が生じ、虹色に光り輝き始めたではないか。その光が徐々に広がり、ヴィアトリカの思い出がいっぱい詰まった、古き良き小さな英国の街が消えて行く。長いことお世話になっていた市場や家々、英国貴族を乗せた馬車や一般の町民達、そしてビンセント家の屋敷までも、虹色に輝く光の中へ消えて行く。

 今やすっかり見慣れた風景が、見知った人々が消えて行く。その光景を崖の上から眺めていたミカコは、突然の別れになんとも言えぬ淋しい気持ちを抱いた。

 遅かれ早かれ、こうなることは分かっていた筈なのに……気さくに笑いかけてくれる市場のおばちゃんや町民の人達、ハーブ園を営むマーシェルさんのにこやかな姿が目に浮かび、目からこぼれ落ちる涙が止まらない。辺りは泣けるくらいの侘しい静寂に包まれたのだった。

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